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'''アダム・オーツ'''('''Adam Oates'''、[[1962年]][[8月27日]] - )は[[カナダ]][[オンタリオ州]]ウエストン生れのプロ[[アイスホッケー]]選手である[[NHL]] におけるポジションはセンターである
'''アダム・オーツ'''(Adam Oates、[[1962年]][[8月27日]] - )は[[カナダ|カナダ連邦]][[オンタリオ州]]ウエストン出身プロ[[アイスホッケー]]選手、指導者。ポジションはセンターだった


== 来歴 ==
== 来歴 ==
アダム・オーツは長じるれて[[ラクロス]]やホッケーにその才能を見せ、オンタリオ州における数々の記録を樹立した。
1962年に[[オンタリオ州]]ウエストン[[アイルランド人|アイルランド系]]の家庭に生ま、少年時代からはじめて成長して[[ラクロス]]やホッケーにその才能を見せ、オンタリオ州における数々の記録を樹立した。


[[1982年]]から[[1985年]]は、[[レンセリア工科大学]] (Rensselaer Polytechnic Institute、RPI) でプレイし、1985年に同校の NCAA 地区優勝に貢献する。このシーズン後の[[1985年]][[6月28日]]、フリーエージェントで NHL の[[デトロイト・レッドウィングス]]と契約しプロ入りした(一時、学位取得のためシーズンオフに復学)。 
[[1982年]]から[[1985年]]は、[[レンセリア工科大学]] (Rensselaer Polytechnic Institute、RPI) でプレイし、1985年に同校の NCAA 地区優勝に貢献する。このシーズン後の[[1985年]][[6月28日]]、フリーエージェントで NHL の[[デトロイト・レッドウィングス]]と契約しプロ入りした(一時、学位取得のためシーズンオフに復学)。 
短期間、マイナーリーグを経験した後、レッドウィングスで3年半プレーした。1989-1990シーズンからは[[セントルイス・ブルース]]に移籍([[1989年]][[6月15日]])し、[[ブレット・ハル]]とラインを組んで、「卓抜したプレーメーカー」との評価を確立した。ブレットとのラインは、当時流行のポップスグループ[[ダリル・ホール&ジョン・オーツ|ホール&オーツ]]をもじって、"Hull n Oates" と呼ばれた。
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2002-2003シーズンにはフリーエージェントで[[アナハイム・ダックス|マイティーダックス・オブ・アナハイム]]に移籍した([[2002年]][[7月1日]])。


== 受賞歴等 ==
== 詳細情報 ==
=== 通算成績 ===
* オールスター戦出場(1991年、1992年、1993年、1994年、1997年)
* オールスター第2チーム選抜(1991年)

== 生涯成績 ==
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== 関連項目 ==
=== 記録 ===
* オールスター戦出場(1991年、1992年、1993年、1994年、1997年)
* [[ブレット・ハル]]
* オールスター第2チーム選抜(1991年)


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2022年2月17日 (木) 11:19時点における最新版

2012年

アダム・オーツ(Adam Oates、1962年8月27日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州ウエストン出身の元プロアイスホッケー選手、指導者。ポジションはセンターだった。

来歴

[編集]

1962年に、オンタリオ州ウエストンにアイルランド系の家庭に生まれ、少年時代からはじめて成長してラクロスやホッケーにその才能を見せ、オンタリオ州における数々の記録を樹立した。

1982年から1985年は、レンセリア工科大学 (Rensselaer Polytechnic Institute、RPI) でプレイし、1985年に同校の NCAA 地区優勝に貢献する。このシーズン後の1985年6月28日、フリーエージェントで NHL のデトロイト・レッドウィングスと契約しプロ入りした(一時、学位取得のためシーズンオフに復学)。 

短期間、マイナーリーグを経験した後、レッドウィングスで3年半プレーした。1989-1990シーズンからはセントルイス・ブルースに移籍(1989年6月15日)し、ブレット・ハルとラインを組んで、「卓抜したプレーメーカー」との評価を確立した。ブレットとのラインは、当時流行であったアメリカのポップスグループで、アダムとおなじアイルランド系のジョン・オーツが属する「ホール&オーツ」をもじって、"Hull n Oates" と呼ばれた。

1992年のシーズンオフには、ボストン・ブルーインズにトレード移籍(2月7日)し、カム・ニーリー (Cam Neely) や RPI の同窓生ジョー・ジュノー (Joe Juneau) らとチームメートとなった。

1996-1997シーズンの途中で、オーツはワシントン・キャピタルズにトレードされた(1997年3月1日)。

2002年1月14日の対ブルーインズ戦で、NHL 史上8人目となる生涯1,000アシストを達成した。

2001-2002シーズン終了間際にフィラデルフィア・フライヤーズにトレードされた(2002年3月19日)。交換条件はマキシム・ウーレ (Maxime Ouellet) 及び2002年3月19日のドラフト第1順位から第3順位までの指名権であった。フライヤーズでは、わずか14試合に出場したのみであったが、3ゴール7アシストをあげた。また、2002年3月27日に、対ニューヨーク・アイランダーズ戦で通算1,200試合出場に達した。

2002-2003シーズンにはフリーエージェントでマイティーダックス・オブ・アナハイムに移籍した(2002年7月1日)。

詳細情報

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通算成績

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    レギュラーシーズン   プレイオフ
シーズン チーム リーグ GP G A Pts PIM GP G A Pts PIM
1985-1986 デトロイト・レッドウィングス NHL 38 9 11 20 10 - - - - -
1986-1987 デトロイト・レッドウィングス NHL 76 15 32 47 21 16 4 7 11 6
1987-1988 デトロイト・レッドウィングス NHL 63 14 40 54 20 16 8 12 20 6
1988-1989 デトロイト・レッドウィングス NHL 69 16 62 78 14 6 0 8 8 2
1989-1990 セントルイス・ブルース NHL 80 23 79 102 30 12 2 12 14 4
1990-1991 セントルイス・ブルース NHL 61 25 90 115 29 13 7 13 20 10
1991-1992 セントルイス・ブルース NHL 54 10 59 69 12 - - - - -
1991-1992 ボストン・ブルーインズ NHL 26 10 20 30 10 15 5 14 19 4
1992-1993 ボストン・ブルーインズ NHL 84 45 97 142 32 4 0 9 9 4
1993-1994 ボストン・ブルーインズ NHL 77 32 80 112 45 13 3 9 12 8
1994-1995 ボストン・ブルーインズ NHL 48 12 41 53 8 5 1 0 1 2
1995-1996 ボストン・ブルーインズ NHL 70 25 67 92 18 5 2 5 7 2
1996-1997 ボストン・ブルーインズ NHL 63 18 52 70 10 - - - - -
1996-1997 ワシントン・キャピタルズ NHL 17 4 8 12 4 - - - - -
1997-1998 ワシントン・キャピタルズ NHL 82 18 58 76 36 21 6 11 17 8
1998-1999 ワシントン・キャピタルズ NHL 59 12 42 54 22 - - - - -
1999-2000 ワシントン・キャピタルズ NHL 82 15 56 71 14 5 0 3 3 4
2000-2001 ワシントン・キャピタルズ NHL 81 13 69 82 28 6 0 0 0 0
2001-2002 ワシントン・キャピタルズ NHL 66 11 57 68 22 - - - - -
2001-2002 フィラデルフィア・フライヤーズ NHL 14 3 7 10 6 5 0 2 2 0
2002-2003 マイティーダックス・オブ・アナハイム NHL 67 9 36 45 16 21 4 9 13 6
NHL合計 1277 339 1063 1402 407 163 42 114 156 66

記録

[編集]
  • オールスター戦出場(1991年、1992年、1993年、1994年、1997年)
  • オールスター第2チーム選抜(1991年)