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'''ナナ・アレクサンドリア'''({{lang-ka|ნანა ალექსანდრია}}、{{lang-en-short|Nana Alexandria}}、[[1949年]][[10月13日]] - )は、[[ジョージア (国)|ジョージア]]の女子[[チェス]]選手。女子世界チェス選手権で、2度挑戦者となった。


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エロレーティングの自己ベストは1988年の2415点。1986年から2001年まで[[世界チェス連盟]] (FIDE) 女子委員会の委員長を務めた。現在もFIDEに勤めている。
エロレーティングの自己ベストは1988年の2415点。1986年から2001年まで[[世界チェス連盟]] (FIDE) 女子委員会の委員長を務めた。現在もFIDEに勤めている。
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2021年3月11日 (木) 16:59時点における最新版

ナナ・アレクサンドリア
1986年、ドバイにて
フルネーム ნანა ალექსანდრია
ジョージア (国)の旗 ジョージア
生誕 (1949-10-13) 1949年10月13日(75歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
グルジア共和国 ポティ
タイトル ウーマングランドマスター
FIDEレート 2342 (2010年5月)
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ナナ・アレクサンドリアグルジア語: ნანა ალექსანდრია: Nana Alexandria1949年10月13日 - )は、ジョージアの女子チェス選手。女子世界チェス選手権で、2度挑戦者となった。

当時ソビエト連邦構成国だったグルジア共和国ポティに生まれた。1966年に女子インターナショナルマスター (WIM) 、1976年に女子グランドマスター (WGM) のタイトルを手にし、1966年、1968年、1969年の計3度、ソ連女流チャンピオンとなった。女子世界選手権では1975年と1981年の2度挑戦者となりマッチを戦ったが、前者ではノナ・ガプリンダシヴィリに敗れ、後者ではマイア・チブルダニゼに引き分け防衛を許した。チェス・オリンピアードにも1969年、1974年、1978年、1980年、1982年、1986年の計6度、ソ連代表として出場し[1]、1980年代のソ連黄金期に多大な貢献を果たした。

エロレーティングの自己ベストは1988年の2415点。1986年から2001年まで世界チェス連盟 (FIDE) 女子委員会の委員長を務めた。現在もFIDEに勤めている。

脚注

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参考文献

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外部リンク

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