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'''ファン・ティー・キムフック'''({{Lang-vi|Phan Thị Kim Phúc}}、音訳[[漢字]]:'''潘氏金福'''、[[1963年]][[4月6日]] - )は、[[ベトナム]]系[[カナダ]]人。1972年[[ベトナム戦争]]の際に[[フィン・コン・ウト]]が撮影した[[ピューリッツァー賞]]獲得の写真に写ったことで知られる。


国際的な[[反戦運動]]家で、キム財団を創設し、[[カナダ]]・[[ヨーク大学_(カナダ)|ヨーク大学]]名誉[[法学博士]]、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[ユネスコ親善大使|親善大使]]を務めている。財団の名前がキム財団 (Kim Foundation) であることなどから、'''キム・フック'''や'''キムさん'''と呼称されることも多いが、[[姓]]はファン(Phan、潘)。キムフック(Kim Phúc、金福)は[[名]]である
'''ファン・ティー・キムフック'''([[ベトナム語]]:''Phan Thị Kim Phúc''、音訳[[漢字]]:'''潘氏金福'''、[[1963年]][[4月2日]] - )は、[[ベトナム]]系[[カナダ]]人。1972年[[ベトナム戦争]]の際に[[フィン・コン・ウト]]が撮影した[[ピューリッツァー賞]]獲得の写真に写ったことで知られる。

一般には'''キム・フック'''と呼称される。国際的な[[反戦運動]]家で、キム財団を創設し、[[カナダ]]・[[ヨーク大学_(カナダ)|ヨーク大学]]名誉[[法学博士]]、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[ユネスコ親善大使|親善大使]]を務めている。[[姓]]はファン(Phan、潘)。


==経歴==
==経歴==
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=== ベトナム戦争期 ===
=== ベトナム戦争期 ===
キムフックは[[ベトナム戦争]]当時、[[タイニン省]](西寧省)[[チャンバン県|チャンバン]]で暮らしていた。
キムフックは[[ベトナム戦争]]当時、[[タイニン省]](西寧省)[[チャンバン]]で暮らしていた。


[[1972年]][[6月8日]]、チャンバンにおいて[[南ベトナム]]軍と[[北ベトナム]]軍が交戦、南ベトナム軍の空軍機が[[ナパーム弾]]を投下し、キムフックが暮らすチャンバンは[[空襲]]を受けた。この時、逃げ惑う村人らとともに裸で逃げる9歳(当時)の少女だったキムフックを撮影した[[写真]]([[AP通信]]のベトナム人カメラマン[[フィン・コン・ウト]]撮影)は「戦争の恐怖」(Fear Of War)と題され([[:en:Phan Thi Kim Phuc|英語版]]に載っている)、全世界に配信された。この写真は翌[[1973年]]、[[ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門]]を獲得している。
[[1972年]][[6月8日]]、チャンバンにおいて[[南ベトナム]]軍と[[北ベトナム]]軍が交戦、南ベトナム軍の空軍機が[[ナパーム弾]]を投下し、キムフックが暮らすチャンバンは[[空襲]]を受けた。この時、逃げ惑う村人らとともに裸で逃げる9歳(当時)の少女だったキムフックを撮影した[[写真]]([[AP通信]]のベトナム人カメラマン[[フィン・コン・ウト]]撮影)は「戦争の恐怖」(The Terror of War) と題され、全世界に配信された<ref>『[[世界まる見え!テレビ特捜部]]』2024年1月15日放送分の映像ではキムフックの股間がモザイク処理されている</ref>。この写真は翌[[1973年]]、[[ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門]]を獲得している。


キムフックはこの空襲で重度の[[熱傷|火傷]]を負い、一命は取りとめたものの、この後17回にも及ぶ[[手術]]を受けている。なお、このとき彼女を救ったのは当時[[イギリス]]・[[ITN|ITNテレビ]]記者の[[クリストファー・ウェイン]]である。ウェインとは38年後の[[2010年]]にイギリスで再会を果たした。
キムフックはこの空襲で重度の[[熱傷|火傷]]を負い、一命は取りとめたものの、この後17回にも及ぶ[[手術]]を受けている。なお、このとき彼女を救ったのは当時[[イギリス]]・[[ITN|ITNテレビ]]記者のクリストファー・ウェイン (Christopher Wain) である。彼は[[南ベトナム]]政府の高官に直談判して、キムフックを設備の整っていない病院から、当時の旧サイゴン市内のバスキー病院に転院させることに尽力した。ウェインとキムフックは38年後の[[2010年]]にイギリスで再会を果たした<ref>{{Cite web|和書|url=http://mainichi.jp/select/world/news/20100519k0000m030109000c.html|title=ベトナム戦争:やけどの少女と救った元記者38年ぶり再会【毎日新聞】|publisher=[[毎日新聞社]]|date=2010-05-18|accessdate=2018-05-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100521033100/http://mainichi.jp/select/world/news/20100519k0000m030109000c.html|archivedate=2010-05-21|url-status=dead|url-status-date=2018-05-14}}</ref>


===現在に至るまで===
=== 現在に至るまで ===
[[1992年]]、[[結婚]]、現在では2児の母となった。ベトナム人の夫とともにカナダで暮らしている。
[[1992年]]、[[結婚]]、現在では2児の母となった。ベトナム人の夫とともにカナダで暮らしている。


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[[1997年]]にはカナダ国籍を取得。[[1997年]][[11月10日]]、[[ユネスコ親善大使]]に任じられる。


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[[1999年]]、自伝を出版する。<ref>''Chong, Denise (1991).'' '''''The Girl in the Picture: the Story of Kim Phúc, the Photograph and the Vietnam War''''',''Penguin Books: New York.'' {{ISBN2|0-670-88040-X}}</ref>


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[[2004年]][[10月22日]]、世界各地の[[戦争]]・[[紛争]]に遭遇している子供たちを救済する活動が認められ、カナダ・[[トロント]]の[[ヨーク大学_(カナダ)|ヨーク大学]]から名誉法学博士号を授与される。


==脚注==
== 脚注 ==
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==外部リンク==
== 参考文献 ==
* 藤えりか 『「ナパーム弾の少女」五〇年の物語』 講談社、2022年
* [http://portal.unesco.org/en/ev.php@URL_ID=8323&URL_DO=DO_TOPIC&URL_SECTION=201.html UNESCO Kim Phúc Phan Thi]
== 外部リンク ==
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* [http://digitaljournalist.org/issue0008/ng_intro.htm Detailed series of articles.]
* [http://digitaljournalist.org/issue0008/ng_intro.htm Detailed series of articles.]
* [http://www.kimfoundation.com/en/index.htm Kim Foundation International]{{リンク切れ|date=June 2010}}
* [http://www.kimfoundation.com/ Kim Foundation International]
* {{cite web
* [http://www.cbsnews.com/stories/2000/09/19/world/main234703.shtml CBS News 2000]
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* [http://www.griffith.edu.au/er/campaign/phuc/home.html Griffith]{{リンク切れ|date=June 2010}}
| archiveurl = https://web.archive.org/20200613150350/cbsnews.com/news/whatever-happened-to-her/
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| date = 2000-09-19
| accessdate = 2008-01-02
| archivedate = 2020-06-13 }}
* [https://web.archive.org/web/20070914130953/http://www.griffith.edu.au/er/campaign/phuc/home.html Griffith]
* [https://web.archive.org/web/20071222212421/http://www.mystae.com/reflections/vietnam/myth.html Thoughts on possible fraud.]

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ファン・ティー・キムフックベトナム語: Phan Thị Kim Phúc、音訳漢字潘氏金福1963年4月6日 - )は、ベトナムカナダ人。1972年ベトナム戦争の際にフィン・コン・ウトが撮影したピューリッツァー賞獲得の写真に写ったことで知られる。

国際的な反戦運動家で、キム財団を創設し、カナダヨーク大学名誉法学博士ユネスコ親善大使を務めている。財団の名前がキム財団 (Kim Foundation) であることなどから、キム・フックキムさんと呼称されることも多いが、はファン(Phan、潘)。キムフック(Kim Phúc、金福)はである。

経歴

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画像外部リンク
“The Terror of War” - ウェイバックマシン(2021年7月9日アーカイブ分)
フィン・コン・ウト、1972年6月8日撮影

ベトナム戦争期

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キムフックはベトナム戦争当時、タイニン省(西寧省)チャンバンで暮らしていた。

1972年6月8日、チャンバンにおいて南ベトナム軍と北ベトナム軍が交戦、南ベトナム軍の空軍機がナパーム弾を投下し、キムフックが暮らすチャンバンは空襲を受けた。この時、逃げ惑う村人らとともに裸で逃げる9歳(当時)の少女だったキムフックを撮影した写真AP通信のベトナム人カメラマンフィン・コン・ウト撮影)は「戦争の恐怖」(The Terror of War) と題され、全世界に配信された[1]。この写真は翌1973年ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門を獲得している。

キムフックはこの空襲で重度の火傷を負い、一命は取りとめたものの、この後17回にも及ぶ手術を受けている。なお、このとき彼女を救ったのは当時イギリスITNテレビ記者のクリストファー・ウェイン (Christopher Wain) である。彼は南ベトナム政府の高官に直談判して、キムフックを設備の整っていない病院から、当時の旧サイゴン市内のバスキー病院に転院させることに尽力した。ウェインとキムフックは38年後の2010年に、イギリスで再会を果たした[2]

現在に至るまで

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1992年結婚、現在では2児の母となった。ベトナム人の夫とともにカナダで暮らしている。

1996年、ベトナム戦争中に負った重度の火傷を治療する手術を施してくれた外科医との再会を果たす。

1997年にはカナダ国籍を取得。1997年11月10日ユネスコ親善大使に任じられる。

1999年、自伝を出版する。[3]

2004年10月22日、世界各地の戦争紛争に遭遇している子供たちを救済する活動が認められ、カナダ・トロントヨーク大学から名誉法学博士号を授与される。

脚注

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  1. ^ 世界まる見え!テレビ特捜部』2024年1月15日放送分の映像ではキムフックの股間がモザイク処理されている
  2. ^ ベトナム戦争:やけどの少女と救った元記者38年ぶり再会【毎日新聞】”. 毎日新聞社 (2010年5月18日). 2010年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月14日閲覧。
  3. ^ Chong, Denise (1991). The Girl in the Picture: the Story of Kim Phúc, the Photograph and the Vietnam WarPenguin Books: New York. ISBN 0-670-88040-X

参考文献

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  • 藤えりか 『「ナパーム弾の少女」五〇年の物語』 講談社、2022年

外部リンク

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