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「ふれあい広場・サンデー九」の版間の差分

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==概要==
==概要==
STVが1962年から1971年にかけ年末に開催していた[[急性灰白髄炎|小児麻痺]]対策を目的とした特別番組グランドチャリティショーにて坂本九が1963年の第2回開催から司会として出演し<ref>{{Cite book|和書|editor=札幌テレビ放送社史編纂委員会|title=札幌テレビ放送二十年史|publisher=札幌テレビ放送|date=1978-12-25|pages=367-368}}</ref>、これをきっかけにSTVと坂本の関係が深まり、より福祉に徹した番組を作ろうとの考えで生まれたのが当番組である<ref>{{Cite journal|和書|title=福祉番組STV出演はボクのライフワーク|journal=Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日|issue=26|publisher=北方圏センター|date=1979-01-01|pages=120 - 121|id={{NDLJP|2832842/61}}}}</ref><ref name="minpo">{{Cite journal|和書|editor=日本民間放送連盟|title=制作ノートから 行動する番組づくりをモットーに ふれあい広場|journal=月刊民放|volume=12|issue=10|publisher=日本民間放送連盟|date=1982-10-01|pages=35 - 37|id={{NDLJP|3470962/18}}}}</ref>。番組名は日曜午前9時の放送と坂本九に掛けたものとし<ref name="minpo"/>、福祉分野に日の当たらない時代のなか幅広い層に見てもらうべく親しみやすい人材が必要として坂本が起用され当初は「硬派なテーマに軟派なタレントは相応しくない」との反対意見があったものの<ref name="hs9408">坂本九思い出記念館が1周年福祉にかけた9年間 九ちゃんの熱意息づく - 北海道新聞1994年8月30日夕刊8-9面</ref>、坂本は月に平均して2-3来道し北海道内の福祉施設へ訪れ<ref name="hs850817"/>、[[]]生活を取り巻く問題や話題を道内や日本国内はもちろんこと、北欧オランダなどの海外取材も行て伝えていた<ref name="minpo"/>。また、聴覚障碍者番組を「観てもらうべく、全編に[[スーパーイズ (映像編)|テロップ]]を入て<ref name="minpo"/>、生放送の時手話通訳で放送していた。坂本はSTV参加して[[日本テレビネットワク協議会|日本テレビ系列]]の『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』のSTV担当司会も[[1978年]]の番組開始時から務めていた。
STVが1962年から1971年にかけ年末に開催していた[[急性灰白髄炎|小児麻痺]]対策を目的とした日本初の[[チャリティー]]特別番組グランドチャリティショーにて坂本九が1963年の第2回開催から司会として出演し<ref>{{Cite book|和書|editor=札幌テレビ放送社史編纂委員会|title=札幌テレビ放送二十年史|publisher=札幌テレビ放送|date=1978-12-25|pages=367-368}}</ref><ref name=":0">{{Cite web |title=46年前の『24時間テレビ』を探ってみる(1)〜『11PM』が起源だった!?〜 |url=https://gendai.media/articles/-/116005?imp=0 |website=現代ビジネス |date=2023-09-13 |access-date=2024-09-04 |author=更科修一郎 |page=3}}</ref>、これをきっかけにSTVと坂本の関係が深まり、より福祉に徹した番組を作ろうとの考えで生まれたのが当番組である<ref name=":0" /><ref>{{Cite journal|和書|title=福祉番組STV出演はボクのライフワーク|journal=Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日|issue=26|publisher=北方圏センター|date=1979-01-01|pages=120 - 121|id={{NDLJP|2832842/61}}}}</ref><ref name="minpo">{{Cite journal|和書|editor=日本民間放送連盟|title=制作ノートから 行動する番組づくりをモットーに ふれあい広場|journal=月刊民放|volume=12|issue=10|publisher=日本民間放送連盟|date=1982-10-01|pages=35 - 37|id={{NDLJP|3470962/18}}}}</ref>。番組名は日曜午前9時の放送と坂本九に掛けたものとし<ref name="minpo"/>、福祉分野に日の当たらない時代のなか幅広い層に見てもらうべく親しみやすい人材が必要として坂本が起用され当初は「硬派なテーマに軟派なタレントは相応しくない」との反対意見がありつつ<ref name="hs9408">坂本九思い出記念館が1周年福祉にかけた9年間 九ちゃんの熱意息づく - 北海道新聞1994年8月30日夕刊8-9面</ref>、当初1年間の放送予定だったものの共考える番組の姿勢が好感を得て初年度は視聴率平均7-8%・最高で10%を上る放送回も有り身障者から喜び意見寄付などの様々な要望が寄せられるなど好評だったことから放送を延長<ref>STVふれあい広場サンデー九 好評一年、継続放送へ 九ちゃん「さらに奥深く・・・」 - 北海道新聞1977年9月3日夕刊7面</ref>。テレビ番組のほか1978年番組の名場面や関係者のコメントなど集めた写真集ふれあいの頒布や<ref>福祉短信 テレビ番組サ九の写真「ふあい」無料配布 - 北海道新聞1978年8月25日朝刊12面</ref>、1982年8月1日に番組300回記念イベントとして「さっぽろ車イスマラソン」と多元的な展開行った<ref>福祉短信 第一回さっぽろ車すマラソン - 北海道新聞1982年7月23日朝刊12面</ref>。[[スポンサー]]は、[[北海道電力]]が一貫して[[一社提供]]で担当していた。


坂本は月に平均して2-3回来道し北海道内の福祉施設へ訪れ<ref name="hs850817"/>、[[障碍者]]の生活を取り巻く問題や話題を道内や日本国内はもちろんのこと、北欧やオランダなどの海外取材も行って伝えていた<ref name="minpo"/>。また、聴覚障碍者にも番組を「観て」もらうべく、全編に[[スーパーインポーズ (映像編集)|テロップ]]を入れて<ref name="minpo"/>、生放送の時は手話通訳で放送していた。坂本はSTVも参加している[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]の『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』のSTV担当司会も[[1978年]]の番組開始時から務めていた<ref name=":0" />。
[[スポンサー]]は、[[北海道電力]]が一貫して[[一社提供]]で担当していた。


[[1985年]](昭和60年)[[8月12日]]に発生した[[日本航空123便墜落事故]]で坂本が死去。10月上旬の本放送を予定していた7月29日に栗山町で行われた「ノビロ学園」のワークキャンプ<ref>123便悲劇の墜落航路 九ちゃん乗っていた - 北海道新聞1985年8月13日夕刊23面</ref>、7月29-30日に蘭越町内の「黒松内つくし園」系列のレクリエーション施設「ふれあいの里」開業記念のキャンプに参加したロケが生前最後の北海道での収録となり<ref name="hs850817">坂本九さん安らかに遺体悲しみの帰宅日航機事故泣き崩れる由紀子夫人 - 北海道新聞1985年8月17日夕刊13面</ref>、8月18日放送で「坂本九さんをしのぶ」の副題で追悼企画を実施し翌9月まで収録済みの内容を放送<ref name="HS850816">坂本九さんをしのぶSTV 18日のサンデー九 - 北海道新聞1985年8月16日夕刊</ref>。坂本の事故死に際し、共同作業者の[[永六輔]]は「障害者問題と取り組んだ地味な番組だったが9年間続きこの仕事には脱帽する」「この番組の九は北海道だけの九だった」と評価している<ref>土曜直曲-北海道新聞2018年8月18日夕刊1面</ref>。
[[1985年]](昭和60年)[[8月12日]]に発生した[[日本航空123便墜落事故]]で坂本が死去。10月上旬の本放送を予定していた7月29日に栗山町で行われた「ノビロ学園」のワークキャンプ<ref>123便悲劇の墜落航路 九ちゃん乗っていた - 北海道新聞1985年8月13日夕刊23面</ref>、7月29-30日に蘭越町内の「黒松内つくし園」系列のレクリエーション施設「ふれあいの里」開業記念のキャンプに参加したロケが生前最後の北海道での収録となり<ref name="hs850817">坂本九さん安らかに遺体悲しみの帰宅日航機事故泣き崩れる由紀子夫人 - 北海道新聞1985年8月17日夕刊13面</ref>、8月18日放送で「坂本九さんをしのぶ」の副題で追悼企画を実施し翌9月まで収録済みの内容を放送<ref name="HS850816">坂本九さんをしのぶSTV 18日のサンデー九 - 北海道新聞1985年8月16日夕刊</ref>。坂本の事故死に際し、共同作業者の[[永六輔]]は「障害者問題と取り組んだ地味な番組だったが9年間続きこの仕事には脱帽する」「この番組の九は北海道だけの九だった」と評価している<ref>土曜直曲-北海道新聞2018年8月18日夕刊1面</ref>。


9月23日にはSTVホールで坂本と同行者の小宮勝広マネージャーの合同追悼式「坂本九さんをしのぶ会」を実施、STVや社会福祉関係者が発起人となり妻の柏木由紀子・長女の大島花子・次女の大島舞子や小宮マネージャーの妻が出席し<ref name="50th"/>、1963年からのビデオ上映や福祉施設利用者を交えたコンサート<ref name="hs850918"/>、STV山本達雄社長から柏木への感謝状授与、最後に参列者全員での「上を向いて歩こう」の合唱を行い<ref name="50th"/>、9月29日の最終回ではこれまでの番組内容の総集編と合わせ追悼イベントの様子を放送した<ref name="hs850918">坂本九さんをしのぶ会23日に札幌で - 北海道新聞1985年9月18日夕刊</ref>。最終回のサブタイトルは「あの笑顔あのふれ愛九ちゃんアリガトウ」。番組では、「坂本'''九'''が'''9時'''から'''9年間'''放送した番組」と9のつながりのコメントがあった。この他同年の『24時間テレビ』も例年通り坂本がSTVローカルの司会を務める予定だったが、事故により実現せずSTVアナウンサーが担当<ref name="HS850816"/>。事故から2週間後の放送ではSTVホールの舞台に坂本の遺影が置かれ<ref name="50th">突然の坂本九さんの訃報!「サンデー九」の終焉 - 札幌テレビ放送50年の歩み(札幌テレビ放送)158頁</ref>、エンディングの全国中継ではホールの出演者・ボランティア・観客全員で黙祷を捧げ、冥福を祈った。
9月23日にはSTVホールで坂本と同行していた小宮勝広マネージャーの合同追悼式「坂本九さんをしのぶ会」を実施、STVや社会福祉関係者が発起人となり妻の柏木由紀子・長女の大島花子・次女の大島舞子や小宮マネージャーの妻が出席し<ref name="50th"/>、1963年からの足跡を振り返るVTR上映や福祉施設利用者を交えたコンサート<ref name="hs850918"/>、[[山本達雄 (実業家)|山本達雄]]STV社長から柏木への感謝状授与、最後に参列者全員での「上を向いて歩こう」の合唱を行い<ref name="50th"/>、9月29日の最終回ではこれまでの番組内容の総集編と合わせ追悼イベントの様子を放送した<ref name="hs850918">坂本九さんをしのぶ会23日に札幌で - 北海道新聞1985年9月18日夕刊</ref>。最終回のサブタイトルは「あの笑顔あのふれ愛 九ちゃんありがとう<ref>人間の記録141坂本九上を向いて歩こう(日本図書センター 2001年)208頁</ref>。番組では、「坂本'''九'''が'''9時'''から'''9年間'''放送した番組」と9のつながりのコメントがあった。この他同年の『24時間テレビ』も例年通り坂本がSTVローカルの司会を務める予定だったが、事故により実現せずSTVアナウンサーが担当<ref name="HS850816"/>。事故から2週間後の放送ではSTVホールの舞台に坂本の遺影が置かれ<ref name="50th">突然の坂本九さんの訃報!「サンデー九」の終焉 - 札幌テレビ放送50年の歩み(札幌テレビ放送)158頁</ref>、エンディングの全国中継ではホールの出演者・ボランティア・観客全員で黙祷を捧げ、冥福を祈った。


[[2015年]](平成27年)[[3月26日]]、[[朝日放送テレビ|ABCテレビ]][[ビーバップ!ハイヒール]]で各地の記念館がテーマとなった回にて、北海道[[栗山町]]の坂本九思い出記念館も紹介された。その際、設立経緯が本番組の取材にあるとしてロケ時の再現ドラマが流れたほか、本番組の実際の放送映像も一部放送された。
[[2015年]](平成27年)[[3月26日]]、[[朝日放送テレビ|ABCテレビ]][[ビーバップ!ハイヒール]]で各地の記念館がテーマとなった回にて、北海道[[栗山町]]の坂本九思い出記念館も紹介された。その際、設立経緯が本番組の取材にあるとしてロケ時の再現ドラマが流れたほか、本番組の実際の放送映像も一部放送された。


==主題歌==
==主題歌==
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;アシスタント
;アシスタント
:[[宇都宮庸子]]
:[[宇都宮庸子]]
==放送リスト==
出典:<ref>札幌テレビ放送「ふれあい広場・サンデー九」放送全記録(四六二回) - 人間の記録141坂本九上を向いて歩こう(日本図書センター 2001年)234-251頁</ref>
<div class="NavFrame" style="clear:both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align:left;">1976年</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
{| class="wikitable"
|-
! 回数 !!放送日 !! 副題
|-
|1||10月3日||愛の広場で-[[旭山記念公園|旭山公園]]から
|-
|2||10月10日||ブラインダーズと仲間たち-苫小牧
|-
|3||10月17日||愛は血よりも-里親・里子
|-
|4||10月24日||ゆたかな老後を-岩見沢市
|-
|5||10月31日||自立をめざして-北海道肢体不自由者訓練センター
|-
|6||11月7日||つながりの輪-「アカシヤ会」
|-
|7||11月14日||仲間たちとともに-札幌福祉作業所
|-
|8||11月21日||輪禍のあと-交通遺児に愛の手を
|-
|9||11月28日||風にもまけず-[[札幌報恩学園]]
|-
|10||12月5日||内臓障害者は訴える-人工腎臓患者の場合
|-
|11||12月12日||社会復帰への道-北海道リハビリーを訪ねて
|-
|12||12月19日||師走の町にともしびを-心の里親会
|-
|13||12月26日||冬の陽に手をかざし-札幌育児園
|}
</div></div>
<div class="NavFrame" style="clear:both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align:left;">1977年</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
{| class="wikitable"
|-
! 回数 !!放送日 !! 副題
|-
|14||1月2日||走れ!ゴールの向うへ-ろう学校サッカー部
|-
|15||1月9日||ピアシリを仰いで-名寄市の福祉
|-
|16||1月16日||[[北海道栗山高等学校|栗山高校]]演劇部作品"かげの砦"より
|-
|17||1月23日||レッツゴーボランティア-札幌市ボランティアグループ
|-
|18||1月30日||施設訪問「稲寿園」-特別養護老人ホーム
|-
|19||2月6日||電波で話そう-身障者ハム
|-
|20||2月13日||盲導犬とともに
|-
|21||2月20日||車椅子の職場-岩見沢協和義肢製作所
|-
|22||2月27日||施設訪問-[[北海道立子ども総合医療・療育センター|道立札幌肢体不自由児療養センター]]
|-
|23||3月6日||白銀わが友-[[札幌藻岩山スキー場|札幌藻岩市民スキー場]]
|-
|24||3月13日||巣立ちの季節-[[北海道立衛生学院|道立衛生学院]]保健婦科
|-
|25||3月20日||老人問題に愛の灯を-[[北海道美唄尚栄高等学校|道立美唄南高]]家庭クラブ
|-
|26||3月27日||つぼみよ空に向って-札幌市立美香保小肢体不自由児学級
|-
|27||4月3日||普段着の[[堂垣内尚弘|知事]]と語ろう
|-
|28||4月10日||見えない読書-朗読・点訳ボランティア
|-
|29||4月17日||手話劇が生まれるまで-旭川・手話サークル三親会
|-
|30||4月24日||施設訪問"ノビロよ春の日に向って"
|-
|31||5月1日||はたらこう・はたらきたい
|-
|32||5月8日||「車椅子の青春」の人々
|-
|33||5月15日||みっちゃんの青春-小山内美智子さん(札幌)
|-
|34||5月22日||手話でふれあいの輪をひろげよう
|-
|35||5月29日||五月の風の中で-北海道盲学校を訪ねて
|-
|36||6月5日||動き出した福祉村
|-
|37||6月12日||働きつつ学ぶ日々-[[北海道家庭学校]]
|-
|38||6月19日||働く日まで-旭川市上川更生ハイムの人々
|-
|39||6月26日||「小さな村」の小さなおまつり-小樽市大倉山学院
|-
|40||7月3日||函館の鐘-カトリックによる社会福祉事業
|-
|41||7月10日||ボランティア-函館の仲間たち
|-
|42||7月17日||むつみあう日々-函館・愛泉園
|-
|43||7月24日||どこかで何かが-北海道福祉トピックス
|-
|44||7月31日||あした希望の花々よ開け-上磯町・ゆうあいの郷
|-
|45||8月7日||もっと障害児に本を-札幌ふきのとう文庫
|-
|46||8月14日||支笏湖につどう-胆振・厚真町老人クラブ
|-
|47||8月21日||見て!ぼくらにも作れる
|-
|48||8月28日||熱きその手に-北海道真駒内養護学校
|-
|49||9月4日||生きがいの町-十勝・池田町
|-
|50||9月13日||総集編 施設訪問の部
|-
|51||9月18日||総集編 スタジオと道南・道東の部
|-
|52||9月25日||がんばれ身障スポーツマン
|-
|53||10月2日||みのりの秋・果樹園にて-余市・幸住学園
|-
|54||10月9日||光と風の中に-北海道精神薄弱者愛護展を見終わって
|-
|55||10月16日||わたしたちにとっての福祉村
|-
|56||10月23日||わたしたちの映画-札幌市の福祉映画「生きる」に出演して
|-
|57||10月30日||小さな善意みつけた-3つのふれあいトピックス
|-
|58||11月6日||ふたつの文化祭-札幌ろうあ者文化祭・札幌盲人文化祭
|-
|59||11月13日||おめでとう13組の新婚さん-[[クピド・フェア|岩見沢緑成園]]合同結婚式
|-
|60||11月20日||難病連からの発言
|-
|61||11月27日||北風が吹いても-養護施設・南藻会
|-
|62||12月4日||手づくり集会所-千歳市視力障害部会
|-
|63||12月11日||小鳥が飛びたつとき-札幌・山の手幼稚園
|-
|64||12月18日||銀山学園の人々
|-
|65||12月25日||シャン・シャン・シャンどさんこクリスマス-北海道立もなみ幼稚園
|}
</div></div>
<div class="NavFrame" style="clear:both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align:left;">1978年</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
{| class="wikitable"
|-
! 回数!!放送日 !!副題
|-
|66||1月1日||[[八代英太]]"福祉"を語る
|-
|67||1月8日||アル中患者に愛のホームを-札幌・青十字サマリヤ館
|-
|68||1月15日||新成人に何を望むか
|-
|69||1月22日||世界のろう教育
|-
|70||1月29日||ボランティアへの出発
|-
|71||2月5日||巣立つ日近く
|-
|72||2月12日||発車オーライ-福祉タクシー
|-
|73||2月19日||福祉との出会い
|-
|74||2月26日||音楽をつくる子どもたち
|-
|75||3月5日||がんばれ!雪中マラソン
|-
|76||3月12日||空飛ぶボランティア
|-
|77||3月19日||わたしたちの福祉論
|-
|78||3月26日||この目で見た北欧の老人たち-道新長瀬記者レポート
|-
|79||4月2日||身障者に働く機会を!太陽を!
|-
|80||4月9日||ふるさとのお爺ちゃんお婆ちゃん
|-
|81||4月16日||愛と光の調べ-アランカルネセッカ演奏会
|-
|82||4月23日||ほら鼓動が聞こえる-[[北海道立子ども総合医療・療育センター|道立小児総合保健センター]]
|-
|83||4月30日||手話落語でお笑いを一席-[[古今亭圓菊 (2代目)|古今亭円菊]]
|-
|84||5月7日||隆ちゃん・石仏・春の旅
|-
|85||5月14日||言友会からの発言
|-
|86||5月21日||春の陽に向って-静内ペテガリ園
|-
|87||5月28日||社会への巣立ち-身障高卒者その後
|-
|88||6月4日||身障者の生活圏を広げるために
|-
|89||6月11日||老後-私の生きがい
|-
|90||6月18日||熱球!身障者のソフトボール
|-
|91||6月25日||海外取材1 ストックホルムのハンディキャップ研究所を訪ねて
|-
|92||7月2日||海外取材2 スウェーデン・デンマークのすてきな身障者ハウス
|-
|93||7月9日||海外取材3 ここが福祉村のルーツ、オランダのヘットドルブ([[:nl:Het Dorp (Arnhem)|nl]])を訪ねて
|-
|94||7月16日||海外取材4 身障者の社会統合・スウェーデンのフォーカサスシステム
|-
|95||7月23日||海外取材5 ブラッドゴールド氏の福祉論
|-
|96||7月30日||布絵本づくりに愛をこめて-美唄南高家庭クラブ
|-
|97||8月6日||まちへ出よう-車椅子の仲間たち
|-
|98||8月13日||緑の湯の里-大滝村・北湯沢リハビリテーションセンター
|-
|99||8月20日||いま社会への新しい門出-札幌手をつなぐ親の会
|-
|100||9月3日||福祉わたしの提言1 福祉についての100人インタビュー
|-
|101||9月10日||福祉わたしの提言2 福祉についての100人インタビュー
|-
|102||9月17日||愛と理解のバザール-第4回北海道愛護展
|-
|103||9月24日||おれのオホーツク-車椅子の画家・玉谷章さん
|-
|104||10月1日||車椅子散歩実験記
|-
|105||10月8日||自立を見つけた!札幌いちご会の合宿記録
|-
|106||10月15日||養護学校の義務化を考える
|-
|107||10月22日||全道盲学校文化体育大会
|-
|108||10月29日||清幌園をたずねて
|-
|109||11月5日||くらしにうるおいを-身障者のためのファッション
|-
|110||11月12日||[[全国身体障害者スポーツ大会|全国身障者スポーツ大会]]-長野県松本市から
|-
|111||11月19日||[[原田泰治]]と海の子・山の子
|-
|112||11月26日||山梨県・福祉村をたずねて
|-
|113||12月3日||チャリティトピックス
|-
|114||12月10日||札幌わたぼうしコンサート
|-
|115||12月17日||オーストラリア福祉旅行から
|-
|116||12月24日||サマリア館完成-アル中患者のために
|-
|117||12月31日||今年をふりかえって
|}
</div></div>
<div class="NavFrame" style="clear:both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align:left;">1979年</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
{| class="wikitable"
|-
! 回数!!放送日 !!副題
|-
|118||1月7日||新春、白いつえの歌会
|-
|119||1月14日||ジムさん俺たちは働きたい
|-
|120||1月21日||素顔の老人たち
|-
|121||1月28日||わたぼうしの絵本
|-
|122||2月4日||義務教育-Mの場合
|-
|123||2月11日||清い流れのほとりで-北海少年院
|-
|124||2月18日||盲学校スキー教室-札幌市藤の沢バードカントリースキー場
|-
|125||2月25日||子供の環境を語る
|-
|126||3月4日||高等盲学校音楽祭
|-
|127||3月11日||北海道身体障害者職業訓練所
|-
|128||3月18日||ハンディキャップスキー大会-砂川市民スキー場
|-
|129||3月25日||響け!ノビロブラザーズ
|-
|130||4月1日||広がるつながりの輪
|-
|131||4月8日||「泣きながら笑う日」の世界
|-
|132||4月15日||施設訪問・グリーンハイム
|-
|133||4月22日||千歳・千寿園とブルーファミリア
|-
|134||4月29日||知事と語る
|-
|135||5月6日||オープンに先がけて・福祉村から
|-
|136||5月13日||千歳・いずみ学園とボランティアたち
|-
|137||5月20日||盲人養護老人ホーム・恵明園に春が来た
|-
|138||5月27日||施設訪問・伊達太陽の園
|-
|139||6月3日||福祉のまち黒松内-養護施設つくし園を中心に
|-
|140||6月10日||つよく明るく!筋ジストロフィーの子供達-[[国立病院機構八雲病院|国立療養所八雲病院]]
|-
|141||6月17日||動き出したふれあいワゴン
|-
|142||6月24日||ふるさと・小さなめぐりあい-原田泰治メルヘンの世界
|-
|143||7月1日||障害児と絵本の世界
|-
|144||7月8日||北海道車椅子バスケット大会-坂本九杯争奪
|-
|145||7月15日||SAPPORO689コンサートI
|-
|146||7月22日||SAPPORO689コンサートII
|-
|147||7月29日||札幌長生園-歌舞伎一座ふんとう記
|-
|148||8月5日||見える世界が広がった-視力障害者の新しい補助具
|-
|149||8月12日||福祉村レポート
|-
|150||8月19日||聴覚障害センター資金造成チャリティ-旭川ビールパーティ
|-
|151||9月2日||わたぼうし音楽祭と村本直君
|-
|152||9月9日||施設訪問・富良野国の子寮
|-
|153||9月16日||光と風の中に・愛護展青空市(生放送)
|-
|154||9月23日||盲目のピアニスト・アランカルネセッカ演奏会
|-
|155||9月30日||光と風の里建設チャリティ(恵庭)
|-
|156||10月7日||札幌わたぼうしコンサート
|-
|157||10月14日||身障者のスウェーデン旅行 その1
|-
|158||10月21日||身障者のスウェーデン旅行 その2
|-
|159||10月28日||翔べ!ペンギンたち
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|160||11月4日||共同作業所への夢
|-
|161||11月11日||全国身体障害者スポーツ大会(宮崎)あふれる力・ふれあう心
|-
|162||11月18日||全国身体障害者スポーツ大会(宮崎)出あい・ふれあい・語りあい
|-
|163||11月25日||施設訪問 向陽の里・宮崎
|-
|164||12月2日||障害者の生きる道・ウイルキー
|-
|165||12月9日||夢はでっかく"たんぽぽ園""ありがとうの会"
|-
|166||12月16日||自閉症児について考える
|-
|167||12月23日||舞台劇・[[北海道鵡川高等学校|鵡川高校]]「風の道標」-小人症と特殊学級
|-
|168||12月30日||一年をふりかえって-サン九総集編
|}
</div></div>
<div class="NavFrame" style="clear:both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align:left;">1980年</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
{| class="wikitable"
|-
! 回数!!放送日 !!副題
|-
|169||1月6日||'80年代の幕あけ-今年の抱負
|-
|170||1月13日||さよならの日々-仙台ありのまま舎
|-
|171||1月20日||のぞみ寮の一日
|-
|172||1月27日||チャリティクラッシックコンサート-アンサンブルNOVA
|-
|173||2月3日||新婚さんこんにちは-沢口宅
|-
|174||2月10日||仲間たちとすべろう小野寺令さん
|-
|175||2月17日||脳性マヒ早期発見
|-
|176||2月24日||第一回全道ハンディキャップスキー大会-砂川
|-
|177||3月2日||三人四脚-奥田公子・もうひとつの日記
|-
|178||3月9日||九ちゃんの一日訪問学級
|-
|179||3月16日||手は口ほどにものを言う-手話落語・古今亭円菊
|-
|180||3月23日||キャンバスが描く春
|-
|181||3月30日||さよならヒヨコたち-手稲山王幼稚園
|-
|182||4月6日||高校一年生-養護学校から公立高校合格者
|-
|183||4月13日||ボランティアって何?-札幌わたぼうし会の場合
|-
|184||4月20日||この道・この人-ある同窓会・中坪イミさん
|-
|185||4月27日||病弱児病棟の春-市立療養所[[国立病院機構北海道医療センター|西札幌病院]]・[[市立札幌山の手支援学校|山の手養護]]
|-
|186||5月4日||百歳から見た老人福祉
|-
|187||5月11日||あなたの腎臓をください
|-
|188||5月18日||大きくなれ、チビッコ農園奮戦記
|-
|189||5月25日||春、わたしたちの旅立ちは
|-
|190||6月1日||あなたもオーナードライバー
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|191||6月8日||第2回坂本九杯争奪車椅子バスケットボール大会
|-
|192||6月15日||九ちゃんルポ・がんばれ盲人野球
|-
|193||6月22日||112冊の図書-[[北海道札幌丘珠高等学校|丘珠高校]]点訳部
|-
|194||6月29日||私たちの明日のために
|-
|195||7月6日||[[松山善三]]・[[名もなく貧しく美しく#1980年版|名もなく貧しく美しく]]
|-
|196||7月13日||でく工房・その仲間たち
|-
|197||7月20日||アカ勝て シロ勝て-統合保育児の運動会
|-
|198||7月27日||函館のサリバン先生
|-
|199||8月3日||われら人間
|-
|200||8月10日||手話の輪の中で-新得町
|-
|201||8月17日||北海点字図書館いま・むかし-帯広市
|-
|202||8月24日||3年目の夏・共働学舎-新得町
|-
|203||9月7日||声の機関誌"しいの実"-小樽視力障害者福祉協会
|-
|204||9月14日||チビッコ農園秋の収穫祭
|-
|205||9月21日||第2回精神薄弱者愛護展・青空市(生放送)
|-
|206||9月28日||広場でみんなボランティア
|-
|207||10月5日||わたぼうしコンサート
|-
|208||10月12日||若者よ君たちに老後はあるか!
|-
|209||10月19日||秋のふれあいコンサート
|-
|210||10月26日||共同生活のこころみ"札幌第一共育寮の場合"
|-
|211||11月2日||手をつなぐボランティアたち"苫小牧緑星の里より"
|-
|212||11月9日||全国身障者スポーツ大会(栃木)秋の栃木どさんこ奮闘記
|-
|213||11月16日||全国身障者スポーツ大会(栃木)祭りの後のふれあいは
|-
|214||11月23日||小鳩たちの明日のために-ダウン症児の母の会記録
|-
|215||11月30日||恵庭市民と"光と風の里"園生たち
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|216||12月7日||あつまれ栃木っ子!わらしべの里
|-
|217||12月14日||盲導犬ジョナ物語
|-
|218||12月21日||手話通訳もうひとつの側面-手話通訳者の職業病
|-
|219||12月28日||九ちゃん国会を行く
|}
</div></div>
<div class="NavFrame" style="clear:both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align:left;">1981年</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
{| class="wikitable"
|-
! 回数!!放送日 !!副題
|-
|220||1月4日||[[国際障害者年]]を迎えて PARTI
|-
|221||1月11日||国際障害者年を迎えて PARTII
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|222||1月18日||炉ばたのふれあい"[[沼田曜一]]民話の世界"
|-
|223||1月25日||自立への挑戦"「心の足を大地につけて」を出版して"
|-
|224||2月1日||職親からの発言"身障者、精薄者の就職問題"
|-
|225||2月8日||雪にいどむ仲間たち"2月にひろう"
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|226||2月15日||生きるって何?道立稚内養護学校の記録フィルムから
|-
|227||2月22日||身障者と冬の交通問題
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|228||3月1日||白い道の汗と涙-心身障害者歩くスキーのつどい
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|229||3月8日||ぼく、音を見つけた-ろう児の写真集から
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|230||3月15日||春を待つ新芽のように-小人症治療の現場から
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|231||3月22日||6歳のわかれ道-統合保育と就学
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|232||3月29日||ホップ・ステップ・・・そして-在宅障害者と授産
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|233||4月5日||もし、あなたが明日・・・"中途障害者の闘い"
|-
|234||4月12日||僕らの絵が絵本になった"障害児が描く絵本の世界"
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|235||4月19日||統合教育の試み-健ちゃんと34人の仲間たち
|-
|236||4月26日||新米先生の出発・その抱負と現実
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|237||5月3日||ふれあいの旅立ち-北海道キャラバンコンサート
|-
|238||5月10日||ようこそキャサリン-北海道・カナダ福祉のかけ橋
|-
|239||5月17日||ネパールからの友人 サム・クリシュナ
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|240||5月24日||3年目の福祉村
|-
|241||5月31日||春だ、若葉だ、スポーツだ!!
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|242||6月7日||青い鳥とボランティア-難病連
|-
|243||6月14日||リボンのついた赤い靴-小寺せきさん
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|244||6月21日||自立・小さな経営者の生活と意見
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|245||6月28日||ふれあい劇団公演記GMG北海道公演
|-
|246||7月5日||国際障害者年・話題をおって
|-
|247||7月12日||君と遊ぼうふれあいの船-青函連絡船噴火湾一周
|-
|248||7月19日||伊達・つくし寮の仲間たち
|-
|249||7月26日||かっこうの丘の村人たち-豊浦やまと更生園から
|-
|250||8月2日||身障者雇用 その遠い道のり
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|251||8月9日||おもちゃが結ぶ街角の輪-土浦おもちゃライブラリー
|-
|252||8月16日||白い杖、一五〇〇キロの旅
|-
|253||8月30日||手話の夕べ
|-
|254||9月6日||ぼくらの夏休み日記-[[北海道平取養護学校|平取養護学校]]
|-
|255||9月13日||愛護展青空市(生中継)
|-
|256||9月20日||ひとりぼっちの障害者たち-精神障害者すみれ会
|-
|257||9月27日||いつも友達でいよう-2つの若いグループの活動から
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|258||10月4日||もしあなたが明日PARTII-山の手リハビリー
|-
|259||10月11日||手をつなごうみんな友だち-旭川市障害児フェスティバル
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|260||10月18日||日々あたらしく-障害者雇用を旭川に見る
|-
|261||10月25日||あさひかわ車椅子散歩-ガイドマップを作った人々
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|262||11月1日||冴える!道産子のうで-国際アビリンピック
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|263||11月8日||ラブ・フォー・トゥモロー
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|264||11月15日||クヨクヨなんて大嫌い、ゴールめざしてVサイン-滋賀
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|265||11月22日||スポーツそれは"生きる道"-山下正泰さん・花田邦則さん
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|266||11月29日||キャンバスのなかの青春-二人の受賞ハンディ画家
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|267||12月6日||目に見えないものを尊く美しいと信じて
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|268||12月13日||絵本をつくる子供たち-[[止揚学園]](滋賀)
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|269||12月20日||ダウン症児の将来は・・・・・・
|-
|270||12月27日||国際障害者年をふりかえって
|}
</div></div>
<div class="NavFrame" style="clear:both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align:left;">1982年</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
{| class="wikitable"
|-
! 回数!!放送日 !!副題
|-
|271||1月3日||'82福祉の旅立
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|272||1月10日||20歳の出会い、そして翔き
|-
|273||1月17日||視力障害者の提言-生きるとは!
|-
|274||1月24日||ろう児保育・その実情
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|275||1月31日||闘魂!勇気ある人たち-スポーツに挑む!
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|276||2月7日||飛び出そう、白い道の彼方へ
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|277||2月14日||お届けします"声の新聞"-小樽朗読友の会
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|278||2月21日||一本の鉛筆から広がる仲間たち
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|279||2月28日||白いコースに集う仲間-第2回心身障害者歩くスキーの集い
|-
|280||3月7日||車椅子から白銀の世界へ
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|281||3月14日||高齢化社会の暗い谷間-写真家田辺順一氏の作品から
|-
|282||3月21日||親父とおやじと俺達
|-
|283||3月28日||ある同窓会
|-
|284||4月4日||さよなら僕のおねえさん
|-
|285||4月11日||今、独居老人は・・・・・・
|-
|286||4月18日||4年目の春に咲いた村の花-福祉村レポート
|-
|287||4月25日||岩間勝美くんの春
|-
|288||5月2日||脳障害児に笑顔がもどった-その新しい治療と療育
|-
|289||5月9日||春、光を求めてぼくらは-視覚障害者の2つの話題
|-
|290||5月16日||自立への旅立ち-あすか共同作業所を訪れて
|-
|291||5月23日||光りあるところを求めて-ユニークな2つの老後問題
|-
|292||5月30日||"なずなの家"を訪ねて-重度心身障害児と地域で暮らす
|-
|293||6月6日||あなたの腎臓をください(II)
|-
|294||6月13日||難病とのたたかい-脊髄小脳変性症リハビリー
|-
|295||6月20日||ふきのとう・あしたへの夢-ふきのとう子供図書館
|-
|296||6月27日||ふれあいをワゴンに乗せて-ふれあいワゴン3周年
|-
|297||7月4日||香りの散歩道・花あるところに-美唄
|-
|298||7月11日||車椅子から見た街の顔-札幌・車椅子オリエンテーリング
|-
|299||7月18日||車椅子日本縦断3,000km-北の旅PARTI
|-
|300||7月25日||車椅子日本縦断3,000km-北の旅PARTII
|-
|301||8月1日||'82さっぽろ車椅子マラソンPARTI
|-
|302||8月8日||'82さっぽろ車椅子マラソンPARTII
|-
|303||8月15日||手話劇"岩を砕きて"
|-
|304||8月29日||母さんぼくと話そう!-小学生の手話クラブ部長の活躍
|-
|305||9月5日||光と風の中に-歳4回青空市場から生中継
|-
|306||9月12日||つくしが6本輪になって!-九ちゃん黒松内つくし園訪問記
|-
|307||9月19日||カナダ・ラッシェの仲間たち
|-
|308||9月26日||'82夏われら人間コンサート-ピアニスト三好俊行の夏
|-
|309||10月3日||ふれあいを求めて!秋まつり-大野町・収穫感謝祭
|-
|310||10月10日||光の中ボールを追って-[[北海道高等盲学校]]イレブンの青春
|-
|311||10月17日||ふれあい連絡船-老人と若者を結ぶ海峡の旅
|-
|312||10月24日||手をつなぎ心をつないでわく力-全国身障者スポーツ大会・島根PARTI
|-
|313||10月31日||手をつなぎ心をつないでわく力-全国身障者スポーツ大会・島根PARTII
|-
|314||11月7日||光の家の盲人園長-島根ライトハウス
|-
|315||11月14日||ひらかれた老人ホーム-島根県長浜市和光園を訪ねて
|-
|316||11月21日||みちことオーサー-出会い、そしてはばたき
|-
|317||11月28日||明日へ!つながり広場から-工房児地蔵からの発言
|-
|318||12月5日||ある青年・自立への道程-おしまコロニー通勤寮の報告
|-
|319||12月12日||子育て合宿-障害児母子訓練
|-
|320||12月19日||明るくはずむ声の場で-視力障害者文化祭
|-
|321||12月26日||はじめての明日-在宅障害者クリスマスのつどい
|}
</div></div>

<div class="NavFrame" style="clear:both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align:left;">1983年</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
{| class="wikitable"
|-
! 回数!!放送日 !!副題
|-
|322||1月3日||元気なおとしより100人に聞きます-ことしは国際老人年
|-
|323||1月9日||アル中からの脱出-MAC-メリノール・アルコールセンターの人々
|-
|324||1月16日||われら車椅子セールスマン-半身マヒの営業所長
|-
|325||1月23日||シルバー・ウェーブへの提言-シリーズ老後"長い生命のために"を終って
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|326||1月30日||スキーが僕にくれたもの-津坂力雄君の冬
|-
|327||2月6日||難病患者10年目の春-道難病センター開所
|-
|328||2月13日||たすけあい・二人三脚雪まつり-身障者、雪像と遊ぶスケッチ
|-
|329||2月20日||冬の都に生きて-わが心の時計台
|-
|330||2月27日||ぼくらのお母さんはひまわりだ!-障害児をもつ親の会から
|-
|331||3月6日||愛の詩「来夢来人」-障害者の心の自画像
|-
|332||3月13日||こころの目でむすぶ列島早春-札幌・島根のライトハウスをむすんで
|-
|333||3月20日||心のつながりを求めて-ホームヘルパーと老人たち
|-
|334||3月27日||「青春マッチポイント」-少女漫画のアトリエから
|-
|335||4月3日||「私たちからのメッセージ」-知恵おくれの人たちの木版画集
|-
|336||4月10日||監督とオレたちのスコアブック-旭川大学野球部の一年
|-
|337||4月17日||1年目の遠い春-在宅障害児と共に暮らすなずなの家
|-
|338||4月24日||集まれ麦の子!-4人のボランティアの出発
|-
|339||5月1日||保護から自立へ-障害者の社会参加とは
|-
|340||5月8日||ダッシュ!ダッシュ!車椅子-ある車椅子ランナーの道標
|-
|341||5月15日||これが車椅子マラソンだ心臓破りの坂を走る!-車椅子ランナーの闘魂
|-
|342||5月22日||障害者の自立を助ける-ボストン自立生活センター取材記
|-
|343||5月29日||生命ある限り自分で生きる2人の意見-ボストンに住む日米障害者の生き方
|-
|344||6月5日||障害児(者)の歯を守る-施設と辺地の子の歯科治療
|-
|345||6月12日||明日に向ってペダルを踏んだ-施設訓練生の自立
|-
|346||6月19日||おれたちの仕事は今-不況の中の身障者モデル工場
|-
|347||6月26日||自立、その出発へのメッセージ-エド・ロング氏大いに語る
|-
|348||7月3日||手話でふれあいダンス-新たなコミュニケーションを求めて
|-
|349||7月10日||爺ちゃん劇団緑の北海道を行く-世田谷演劇同好会札幌慰問
|-
|350||7月17日||104人のストライカー-全道高齢者ボーリング大会から
|-
|351||7月24日||夏を走った!初めての親子マラソン-第3回千歳マラソン
|-
|352||7月31日||医の原点ホスピストとは-東札幌病院オープン
|-
|353||8月7日||ラベンダーの香りにのせて-におい袋を作る子供たち
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|354||8月14日||北海道友愛日本語学校-言葉の障害を越える中国帰国者
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|355||8月28日||愛の作品まごころこめて-第5回青空市光と風の中に
|-
|356||9月4日||跳ねた!踊った!車椅子ねぶたの旅-札幌・青森車椅子バスケット交歓記
|-
|357||9月11日||民間初めての老人専門紙-映像で送る悠々新聞
|-
|358||9月18日||歩み、そして又一歩4つの試み-北の峰学園からの報告
|-
|359||9月25日||盲導犬アニーとアン-盲人を支えるもう一人の家族
|-
|360||10月2日||働く障害者6人の輪-障害者のハム工場を訪ねて
|-
|361||10月9日||テレビ版老人介護の実技-おとしよりの生活を考える女性のつどい
|-
|362||10月16日||闘病719日!とりもどした私の高校-輪禍のり越えた西岡さん
|-
|363||10月23日||みんなで贈ろう!言葉と文字-STV文化教室手話・点字講座
|-
|364||10月30日||こころの詩を絵筆にこめて-養護施設グリーンハイツの仲間たち
|-
|365||11月6日||走れ!みんなの愛で-旭川カーボランティアふれあい号
|-
|366||11月13日||明日に向って走れ-岩見沢-札幌32キロ車いすマラソン
|-
|367||11月20日||5,000人のクラスメート-北海道特殊教育振興大会
|-
|368||11月27日||長距離車いすランナーの闘魂PARTI-'83[[大分国際車いすマラソン]]
|-
|369||12月4日||長距離車いすランナーの闘魂PARTII-'83大分国際車いすマラソン
|-
|370||12月11日||「笑って死ねるか」-別府一燈園を訪ねて
|-
|371||12月18日||舞夢の世界-パントマイム劇絵姿女房
|-
|372||12月25日||九ちゃんときよしこの夜-サンデー九クリスマスの集い
|}
</div></div>

<div class="NavFrame" style="clear:both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align:left;">1984年</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
{| class="wikitable"
|-
! 回数!!放送日 !!副題
|-
|373||1月3日||'84愛がある-サンデー九からおめでとう
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|374||1月8日||小さな家大きな仲間-生活の家からのメッセージ
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|375||1月15日||初めまして自立塾です!-在宅障害者の生活訓練の教室
|-
|376||1月22日||春を創る-丘珠焼リハビリ
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|377||1月29日||難病患者は今-シリーズ地域の医療を守るNo1
|-
|378||2月5日||もしもしいのちの電話です-北海道いのちの電話
|-
|379||2月12日||「さをり」と仲間たち-園生の心で織る現代手織り
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|380||2月19日||友情はおれの足-室蘭三野勉さんとその仲間たち
|-
|381||2月26日||自立への夢を造形する
|-
|382||3月4日||体にいいもの食べてますか-しらかば会の仲間たち
|-
|383||3月11日||冬の扉をひらく-ミニスキーつき車イス街を行く
|-
|384||3月18日||今ドライバーの条件-障害者と交通問題を考える
|-
|385||3月25日||ある統合教育聞こえるよみんなの声が-札幌市幌北小学校難聴学級
|-
|386||4月1日||まいあがれチェアスキーの白い雪-車椅子でもスキーが滑れる
|-
|387||4月8日||のびやかに育て追分の子供たち-江差町手をつなぐ親の会から
|-
|388||4月15日||ボランティア情報デスクから-20万人の仲間
|-
|389||4月22日||めだかの学園-温水プールの障害児訓練
|-
|390||4月29日||教室のある病院-10年目を迎えた[[札幌市立桑園小学校ひまわり分校・札幌市立陵北中学校ひまわり分校|ひまわり分校]]を訪ねて
|-
|391||5月6日||学習障害児のために-感覚統合へのアプローチ
|-
|392||5月13日||わが村に生きる-6年目を迎えた福祉村
|-
|393||5月20日||障害者は今地域で暮らしたいのです-自立の手足ボランティア募集中
|-
|394||5月27日||この街に2人-2組の夫婦物語
|-
|395||6月3日||手で見る写真展-盲人カメラマンの挑戦
|-
|396||6月10日||樹がわたしたちにくれたもの-工房児地蔵春の旅
|-
|397||6月17日||銭函の熱中先生-[[北海道高等聾学校|道立高等ろう学校]]山根昭治さん
|-
|398||6月24日||おびひろ手作り映画の仲間たち-障害者の理解を求めて
|-
|399||7月1日||緑の大地に集まれ!-第1回全国ゲートボール北海道親善大会
|-

|400||7月8日||400回記念番組 ふれ愛400生放送PARTI
|-
|401||7月15日||400回記念番組 ふれ愛400生放送PARTII
|-
|402||7月22日||おとふけだより 生きがい-町ぐるみの高齢者福祉
|-
|403||7月29日||走れ!宮下高の夏-車イス道南の旅
|-
|404||8月5日||ぼけないで、ぼけさせないで-北海道ぼけ老人をかかえる家族の会
|-
|405||8月12日||ぼく海をみたよ-金崎健児くん6歳の旅
|-
|406||8月26日||伝えたい私のハート-ふれあい広場びらとり
|-
|407||9月2日||ともに汗を ともによろこびを-「光と風の里」の園生と恵庭の人たち
|-
|408||9月9日||通院列車-地域医療と難病
|-
|409||9月16日||緑と太陽とふれあいキャンプ-養護施設と子供と厚真の青年たち
|-
|410||9月23日||秋空の下で・・・・・・広がる心の輪-第6回青空市
|-
|411||9月30日||とびだそう!大地へ-ふれあい広場'84まくべつ
|-
|412||10月7日||こだまが呼ぶ十勝岳-札幌美香保小つぼみ学級同窓会
|-
|413||10月14日||ロスの空に日の丸を!北のイレブン-[[デフリンピック|世界ろうあ者大会]]サッカー・アジア代表の顔
|-
|414||10月21日||熱演![[宮城まり子]]と[[ねむの木村|ねむの木]]の友達-道愛護10周年記念公演より
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|415||10月28日||愛の広場で手をとりあって-2つの身障者レクリエーション
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|416||11月4日||オロロン鳥の翔く町から-ふれあい広場'84はぼろ
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|417||11月11日||「地上100センチの視線」の仲間たち-旭川車イスの会からの報告
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|418||11月18日||私たちは音をつかんだ!-聴力障害者とジャズダンス
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|419||11月25日||地域を結ぶ音楽のかけ橋-ノビロブラザーズの10年
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|420||12月2日||あなたの車イス作りませんか!!-車イスセールスマン奮戦記
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|421||12月9日||障害者の人に何を訴えるか-テレビシンポジウム
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|422||12月16日||走れ!親と子のきずなで-オホーツクの盲人マラソンランナー
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|423||12月23日||下校後きみたちはどう過ごしているの?-共同学童保育所「いたちクラブ」からの報告
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|424||12月30日||'84ふれ愛HEART to HEART-中学生が見た福祉
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<div class="NavHead" style="text-align:left;">1985年</div>
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! 回数!!放送日 !!副題
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|425||1月6日||初春・雪に舞う 若柳純希の世界-難聴を克服して
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|426||1月13日||歌って踊った新年会-2つの施設のお正月
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|427||1月20日||1985最先端をレポートする-福祉機器と臓器移植
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|428||1月27日||二人のシュプール-視力障害者歩くスキーの会
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|429||2月3日||訓練・生活・・・いま私たちは-道立身障者リハビリセンターを訪ねて
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|430||2月10日||お待たせ!?福祉の場できる-赤い羽根プロムナード発足
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|431||2月17日||車イス・雪まつり絵日記-札幌青森車イスバスケットチーム交流会
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|432||2月24日||川柳はこころの窓です-平取中学校いちい学級
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|433||3月3日||ガンバ追え!マットの仲間たち-道立高等盲学校レスリング部の春
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|434||3月10日||お年寄りのためのデー・サービス-特別養護老人ホーム「幸栄の里」から
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|435||3月17日||白銀のつながりの輪を!!-砂川ハンディキャップスキー大会
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|436||3月24日||木とこどもの詩-障害児の夢を育てるおもちゃの家-留辺蘂
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|437||3月31日||木のまちで働く喜び-るべしべ更生園通勤寮の報告
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|438||4月7日||春の音がきこえた!!高等ろう学校専攻科歯科技工科生たち
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|439||4月14日||風に向って教育はいま-インタビュー構成・統合教育の現状
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|440||4月21日||愛と自立を見つけたい-介護ボランティアお願いします
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|441||4月28日||鼓動!臓器移植の新時代-臓器移植専門病院を訪ねて
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|442||5月5日||せりふの見える映画が来る-手話を取り入れた映画「声なき群唱」
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|446||6月2日||のびて!母さんのつくしんぼ-生活実習、共同作業所の新しい芽
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|447||6月9日||生きる意欲、機能回復に励む-札幌丘珠病院のリハビリテーション
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|448||6月16日||ボランティア・新しいアングル-ボランティア労力銀行の12年
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|449||6月23日||となりのじいちゃん-夢に生きるふたりの老人
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|450||6月30日||車イス富士山頂に立つ-古市義雄・男のロマン
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|457||8月18日||特別番組 坂本九さんをしのぶ
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|459||9月8日||土と人の恵みのなかで-ノビロ青年の家ワークキャンプ
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|460||9月15日||光と風の中に・ぼくらの市場から-第7回青空市
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|461||9月22日||炎い夏・さわやかな汗-道立高等盲学校レスリング部の青春像
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|462||9月29日||あの笑顔・あのふれ愛 九ちゃんありがとう
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== スタッフ ==
== スタッフ ==
* ディレクター:[[上田豊]](STV)
* ディレクター:[[上田豊]](STV)
* 脚本・構成:佐々木逸郎<ref>第13回道新文学賞人と作品 佐々木逸郎さん - 北海道新聞1979年10月23日夕刊</ref>


== ラジオ版 ==
== ラジオ版 ==
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[[Category:1976年のテレビ番組 (日本)]]
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2024年12月5日 (木) 16:56時点における最新版

ふれあい広場・サンデー九
ジャンル 情報番組
出演者 坂本九
宇都宮庸子
製作
制作 札幌テレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1976年昭和51年)10月3日[1][2] - 1985年(昭和60年)9月29日[3]
放送時間日曜 9:00 - 9:30
放送分30分
回数462
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ふれあい広場・サンデー九』(ふれあいひろば・サンデーきゅう)は、1976年昭和51年)10月3日[1][2]から1985年(昭和60年)9月29日[3]まで札幌テレビ (STV) で放送された社会福祉関連の情報番組。司会を務めた坂本九冠番組でもある。全462回[4]。放送時間は毎週日曜 9時00分 - 9時30分(JST[5]

本項では、2011年平成23年)4月8日から2014年(平成26年)3月28日までSTVラジオで放送された同名ラジオ番組についても記述する。

概要

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STVが1962年から1971年にかけ年末に開催していた小児麻痺対策を目的とした日本初のチャリティー特別番組『グランドチャリティショー』にて坂本九が1963年の第2回開催から司会として出演し[6][7]、これをきっかけにSTVと坂本の関係が深まり、より福祉に徹した番組を作ろうとの考えで生まれたのが当番組である[7][8][9]。番組名は日曜午前9時の放送と坂本九に掛けたものとし[9]、福祉分野に日の当たらない時代のなか幅広い層に見てもらうべく親しみやすい人材が必要として坂本が起用され当初は「硬派なテーマに軟派なタレントは相応しくない」との反対意見がありつつ[4]、当初1年間の放送予定だったものの共に考える番組の姿勢が好感を得て初年度は視聴率平均7-8%・最高で10%を上回る放送回も有り身障者からの喜びの意見や寄付などの様々な要望が寄せられるなど好評だったことから放送を延長[10]。テレビ番組のほか1978年には番組の名場面や関係者のコメントなどを集めた写真集「ふれあい」の頒布や[11]、1982年8月1日には番組300回記念イベントとして「さっぽろ車イスマラソン」といった多元的な展開も行った[12]スポンサーは、北海道電力が一貫して一社提供で担当していた。

坂本は月に平均して2-3回来道し北海道内の福祉施設へ訪れ[13]障碍者の生活を取り巻く問題や話題を道内や日本国内はもちろんのこと、北欧やオランダなどの海外取材も行って伝えていた[9]。また、聴覚障碍者にも番組を「観て」もらうべく、全編にテロップを入れて[9]、生放送の時は手話通訳で放送していた。坂本はSTVも参加している日本テレビ系列の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のSTV担当司会も1978年の番組開始時から務めていた[7]

1985年(昭和60年)、8月12日に発生した日本航空123便墜落事故で坂本が死去。10月上旬の本放送を予定していた7月29日に栗山町で行われた「ノビロ学園」のワークキャンプ[14]、7月29-30日に蘭越町内の「黒松内つくし園」系列のレクリエーション施設「ふれあいの里」開業記念のキャンプに参加したロケが生前最後の北海道での収録となり[13]、8月18日放送で「坂本九さんをしのぶ」の副題で追悼企画を実施し翌9月まで収録済みの内容を放送[15]。坂本の事故死に際し、共同作業者の永六輔は「障害者問題と取り組んだ地味な番組だったが9年間続きこの仕事には脱帽する」「この番組の九は北海道だけの九だった」と評価している[16]

9月23日にはSTVホールで坂本と同行していた小宮勝広マネージャーの合同追悼式「坂本九さんをしのぶ会」を実施、STVや社会福祉関係者が発起人となり妻の柏木由紀子・長女の大島花子・次女の大島舞子や小宮マネージャーの妻が出席し[17]、1963年からの足跡を振り返るVTR上映や福祉施設利用者を交えたコンサート[18]山本達雄STV社長から柏木への感謝状授与、最後に参列者全員での「上を向いて歩こう」の合唱を行い[17]、9月29日の最終回ではこれまでの番組内容の総集編と合わせ追悼イベントの様子を放送した[18]。最終回のサブタイトルは「あの笑顔あのふれ愛 九ちゃんありがとう」[19]。番組では、「坂本9時から9年間放送した番組」と9のつながりのコメントがあった。この他同年の『24時間テレビ』も例年通り坂本がSTVローカルの司会を務める予定だったが、事故により実現せずSTVアナウンサーが担当[15]。事故から2週間後の放送ではSTVホールの舞台に坂本の遺影が置かれ[17]、エンディングの全国中継ではホールの出演者・ボランティア・観客全員で黙祷を捧げ、冥福を祈った。

2015年(平成27年)3月26日ABCテレビビーバップ!ハイヒール』で各地の記念館がテーマとなった回にて、北海道栗山町の坂本九思い出記念館も紹介された。その際、設立経緯が本番組の取材にあるとしてロケ時の再現ドラマが流れたほか、本番組の実際の放送映像も一部放送された。

主題歌

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終了時の出演者

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メイン司会
坂本九
アシスタント
宇都宮庸子

放送リスト

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出典:[20]

スタッフ

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  • ディレクター:上田豊(STV)
  • 脚本・構成:佐々木逸郎[21]

ラジオ版

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ふれあい広場・サンデー九
ジャンル 情報番組
放送方式 生放送
放送期間 2011年(平成23年)4月8日 - 2014年(平成26年)3月28日
放送時間 金曜16:00 - 16:15(2011年4月 - 2013年3月)
木曜16:00 - 16:15(2013年4月 - 2014年3月)
放送局 STVラジオ
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「坂本九ふれあい記念館」を運営する栗山町の知的障害者授産施設「ハローENJOY」代表の橘文也らが中心となり、上記のテレビ番組を引き継ぐラジオ番組として[22]2011年(平成23年)4月8日よりSTVラジオにて、同名タイトルで復活した。当初は『牧とのりおのスーパースクランブル』に内包され、毎週金曜16時 - 16時15分に放送された。2013年(平成25年)4月から『どさんこラジオ』に内包されてからは、毎週木曜16時 - 16時15分に変更され、2014年(平成26年)3月28日に放送終了した。

当番組も社会福祉をテーマにしており、北海道社会福祉協議会の協力により制作された。毎回、福祉に関わる道内の団体や事業所を紹介する内容となっており、取材先からのレポートや、関係者をゲストに招いてのトークが行われていた。

坂本九の長女の大島花子[22]、次女の舞坂ゆき子、妻である柏木由紀子も不定期にゲスト出演し、たびたび取材先でのレポーターも務めていた。

脚注

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  1. ^ a b 札幌テレビ放送社史編纂委員会 編『札幌テレビ放送二十年史』札幌テレビ放送、1978年12月25日、758頁。NDLJP:12275336/401 
  2. ^ a b 北海道新聞』(縮刷版) 1976年(昭和51年)10月3日付朝刊、テレビ欄。
  3. ^ a b 『北海道新聞』(縮刷版) 1985年(昭和60年)9月29日付朝刊、テレビ欄。
  4. ^ a b 坂本九思い出記念館が1周年福祉にかけた9年間 九ちゃんの熱意息づく - 北海道新聞1994年8月30日夕刊8-9面
  5. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1976年(昭和51年)10月 - 1985年(昭和60年)9月、テレビ欄。
  6. ^ 札幌テレビ放送社史編纂委員会 編『札幌テレビ放送二十年史』札幌テレビ放送、1978年12月25日、367-368頁。 
  7. ^ a b c 更科修一郎 (2023年9月13日). “46年前の『24時間テレビ』を探ってみる(1)〜『11PM』が起源だった!?〜”. 現代ビジネス. p. 3. 2024年9月4日閲覧。
  8. ^ 「福祉番組STV出演はボクのライフワーク」『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第26号、北方圏センター、1979年1月1日、120 - 121頁、NDLJP:2832842/61 
  9. ^ a b c d 日本民間放送連盟(編)「制作ノートから 行動する番組づくりをモットーに ふれあい広場」『月刊民放』第12巻第10号、日本民間放送連盟、1982年10月1日、35 - 37頁、NDLJP:3470962/18 
  10. ^ STVふれあい広場サンデー九 好評一年、継続放送へ 九ちゃん「さらに奥深く・・・」 - 北海道新聞1977年9月3日夕刊7面
  11. ^ 福祉短信 テレビ番組サンデー九の写真集「ふれあい」無料配布 - 北海道新聞1978年8月25日朝刊12面
  12. ^ 福祉短信 第一回さっぽろ車いすマラソン - 北海道新聞1982年7月23日朝刊12面
  13. ^ a b 坂本九さん安らかに遺体悲しみの帰宅日航機事故泣き崩れる由紀子夫人 - 北海道新聞1985年8月17日夕刊13面
  14. ^ 123便悲劇の墜落航路 九ちゃん乗っていた - 北海道新聞1985年8月13日夕刊23面
  15. ^ a b 坂本九さんをしのぶSTV 18日のサンデー九 - 北海道新聞1985年8月16日夕刊
  16. ^ 土曜直曲-北海道新聞2018年8月18日夕刊1面
  17. ^ a b c 突然の坂本九さんの訃報!「サンデー九」の終焉 - 札幌テレビ放送50年の歩み(札幌テレビ放送)158頁
  18. ^ a b 坂本九さんをしのぶ会23日に札幌で - 北海道新聞1985年9月18日夕刊
  19. ^ 人間の記録141坂本九上を向いて歩こう(日本図書センター 2001年)208頁
  20. ^ 札幌テレビ放送「ふれあい広場・サンデー九」放送全記録(四六二回) - 人間の記録141坂本九上を向いて歩こう(日本図書センター 2001年)234-251頁
  21. ^ 第13回道新文学賞人と作品 佐々木逸郎さん - 北海道新聞1979年10月23日夕刊
  22. ^ a b 九ちゃんの笑顔今も道内に - 北海道新聞2011年8月11日夕刊
札幌テレビNNN 日曜 9:00 - 9:30
前番組 番組名 次番組
佐藤愛子のがんばり人生
(1975年10月5日 - 1976年9月26日)
ふれあい広場・サンデー九
(1976年10月3日 - 1985年9月29日)
おはよう訪問
(1985年10月6日 - 1986年3月30日)
【土曜 6:15 - 6:45より移動】