コンテンツにスキップ

「ユルゲン・コーラー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
 
(30人の利用者による、間の42版が非表示)
1行目: 1行目:
{{サッカー選手
{{サッカー選手
|名前=ユルゲン・コーラー
|名前=ユルゲン・コーラー
|画像=
|画像=Jürgen Kohler 2005.jpg
|画像サイズ=220px
|画像の説明= 2005年
|本名=
|本名=
|愛称=鋼のストッパー、Fussballgott
|愛称=鋼のストッパー、Fussballgott
12行目: 14行目:
|出身地=[[ランプスハイム]]
|出身地=[[ランプスハイム]]
|身長=186cm
|身長=186cm
|体重=87kg
|体重=84kg
|血液型=
|血液型=
|所属チーム名=
|所属チーム名=
18行目: 20行目:
|背番号=
|背番号=
|利き足=右足
|利き足=右足
|代表={{DEUf}}
|代表年1=1986-1998|代表1={{DEUf}}|代表出場1=105|代表得点1=2
|代表年=1986-1998
|代表出場(得点)=105 (2)
}}
}}
'''ユルゲン・コーラー'''({{lang|de|Jürgen Kohler}}、[[1965年]][[10月6日]] - )は、[[ドイツ]](旧[[西ドイツ]])・[[ランプスハイム]]出身の元[[サッカー|サッカー選手]]。選手時代のポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。現役時代は「のストッパー」の異名で知られたディフェンダーであった。
'''ユルゲン・コーラー'''({{lang|de|Jürgen Kohler}}、[[1965年]][[10月6日]] - )は、[[ドイツ]](旧[[西ドイツ]])・[[ランプスハイム]]出身の元[[サッカー選手]]。選手時代のポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。マンマークをさせれば世界一の実力と評価されるなど<ref> 別冊週刊サッカーマガジン 1994年初夏号 ハローUSA WORLD CUP 94 P.118 </ref>、現役時代は「世界最高のストッパー」の異名で知られたディフェンダーであった<ref name="wsd"> [[ワールドサッカーダイジェスト]] 1995年8月号 [[日本スポーツ企画出版社]] P.15-17</ref>


== 歴 ==
== クラブ経歴 ==
[[1977年]]、地元のクラブチームであるTBヤーン・ランプシャイムでキャリアをスタート。[[SVヴァルトホーフ・マンハイム]]在籍中の[[1986年]][[9月26日]]のデンマークで当時の西ドイツ代表としてデビューを飾る。翌年には当時ドイツ・ブンデスリーガのトップチームであった[[1.FCケルン]]へ移籍。[[クリストフ・ダウム]]監督の下、国際レベルのディフェンダーに成長。さらに[[1989年]]には[[バイエルン・ミュンヘン]]に移籍し、着実にドイツを代表するプレーヤーへと成長を遂げた。
[[1977年]]、地元のクラブチームであるTBヤーン・ランプシャイムでキャリアをスタート。[[SVヴァルトホーフ・マンハイム]]在籍中西ドイツ代表としてデビューを飾る。翌年には当時ドイツ・ブンデスリーガのトップチームであった[[1.FCケルン]]へ移籍。[[クリストフ・ダウム]]監督の下、着実評価を高め<ref name="BVB"/>、[[1989年]]には[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]に移籍し、着実にドイツを代表するプレーヤーへと成長を遂げた<ref name="BVB"/>


[[1990年]]には[[1990 FIFAワルドカップ|ワールドカップ・イタリア大会]]に出場し、優勝に貢献。翌年には[[セリエA (サッカー)|セリエA]]・[[ユヴェントスFC]]への移籍を果たし、[[マンツーマンディフェンス]]を重視する[[ジョバンニ・トラパットーニ]]監督の下、全幅の信頼を獲得し、'''世界最高のストッパー'''と称され、[[セリエA (サッカー)|セリエA]]では最優秀外国人選手賞を獲得する。ただ、94年に就任した[[マルチェロ・リッピ]]監督の下では、[[ロベルト・バッジョ]]同様冷遇され翌年・ドイツへ帰国
1991-92シズンには[[セリエA (サッカー)|セリエA]]・[[ユヴェントスFC]]への移籍を果たし、[[マンツーマンディフェンス]]を重視する[[ジョバンニ・トラパットーニ]]監督の下、全幅の信頼を獲得し、'''世界最高のストッパー'''と称され<ref name="wsd"/>1992-93シーズンには[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]優勝に貢献、また[[セリエA (サッカー)|セリエA]]では最優秀外国人選手賞を獲得する。1994-95シーズンから就任した[[マルチェロ・リッピ]]監督の下では、やや出場機会を減らしたが安定した守備でセリエA優勝に貢献した<ref name="wsd"/>


1995-96シーズン、[[ボルシア・ドルトムント]]に移籍、このシーズンリーグ優勝を果たした<ref name=bund/>。1996-97シーズン、[[UEFAチャンピオンズリーグ|チャンピオンズリーグ]]準決勝、[[マンチェスター・ユナイテッド]]戦において、ベッカム、[[エリック・カントナ]]、[[ライアン・ギグス]]の繰り出すシュートをゴールライン上で、その全てを様々な体勢(1度はピッチに倒れたまま)からブロックし危機を救った<ref name=bund/>。この活躍が[[ドイツ]]のサッカーファンの心を打ち、「ユルゲン・コーラー、サッカーの神!」("Jürgen Kohler, Fussballgott!")とドルトムントサポーターたちが謳う様になった<ref name="BVB11">{{cite web|url= https://www.bundesliga.com/en/bundesliga/news/borussia-dortmund-all-time-xi-jurgen-klopp-lewandowski-reus-hummels-piszczek-8043|title= Borussia Dortmund's all-time top XI, featuring Jürgen Klopp, Robert Lewandowski and Marco Reus|publisher=www.bundesliga.com|date=2017年6月17日|accessdate=2020年9月18日}}</ref>。決勝では古巣ユベントスを3-1と破り優勝を果たした<ref name="BVB">{{cite web|url= https://www.borussiadortmund.co.uk/columnist/jurgen-kohler-remembering-defender-won/|title=Jurgen Kohler|publisher=www.borssiadortmund|date=2017年6月17日|accessdate=2020年9月18日}}</ref>。これらの活躍により、1997年のドイツ最優秀選手に選出された<ref name=bund/>。現役最後の年となった、2001-02シーズン、絶体的なレギュラーではなかったが、リーグ戦22試合に出場、[[1FCケルン]]戦では試合終了間際に得点を決めるなど、このシーズンのリーグ制覇に貢献した<ref name=bund/>。現役最後の試合となった、[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]決勝の[[フェイエノールト]]戦では、一発退場処分という結果となった<ref name="BVB11"/>。ドルトムントでは、通算250試合13得点<ref name=bund/>。
その後代表としては[[1994年]]の[[1994 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・アメリカ大会]]、[[UEFA欧州選手権1996]]、[[1998年]]の[[1998 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・フランス大会]]に出場。クラブチームでは[[1995年]]に[[ボルシア・ドルトムント]]へ移籍し、[[2002年]]に選手生活から引退した。引退試合となった[[2002年]][[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]決勝の[[フェイエノールト]]戦では、一発退場処分という結果となった。これに関してコーラーは「服についた小さなシミみたいなものだ」と振り返っている


== 代表経歴 ==
引退後、ドイツU-21代表監督、[[バイエル・レバークーゼン]]のスポーツディレクター、[[MSVデュスブルク]]監督などを歴任したが、いずれも良い結果を残すことは出来ず、全て短期間で退いていた。
代表としては、1986年9月26日、[[サッカーデンマーク代表|デンマーク]]との親善試合で代表デビュー<ref name=bund>{{cite web|url=https://www.bundesliga.com/en/bundesliga/news/jurgen-kohler-a-legendary-stopper-germany-fifa-dortmund-juventus-bayern-17876|title=Jürgen Kohler: A legendary Bundesliga and Germany stopper|website=BUNDES LIGA|accessdate=2023-8-18}}</ref>。1988年の[[UEFA欧州選手権1988|欧州選手権]]では、準決勝まで進出したが、準決勝の[[サッカーオランダ代表|オランダ]]戦で、[[マルコ・ファン・バステン]]へのファールを取られ、PKを献上、これを[[ロナルド・クーマン]]に決められると、その後ファン・バステンに決勝点を奪われて敗戦した<ref name=bund/>。

[[1990年]]には[[1990 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・イタリア大会]]、グループリーグでは控え選手であったが、決勝トーナメントからレギュラーとして起用され、優勝に貢献<ref name="BVB"/>。1992年の[[UEFA EURO '92|欧州選手権]]では、決勝を含む全試合に出場、決勝でデンマークに敗れ、準優勝。[[1994年]]の[[1994 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・アメリカ大会]]出場。

1996年の[[UEFA欧州選手権1996]]では、キャプテンとして初戦の[[サッカーチェコ代表|チェコ]]戦で先発したが、僅か14分で負傷交代、チームは優勝を果たしたが、以降の試合には出場出来なかった<ref name=bund/>。[[1998年]]の[[1998 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・フランス大会]]に出場、準々決勝の[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]戦に出場して、敗戦、この試合が代表最後の試合となった。

== 引退後 ==
引退後、ドイツU-21代表監督、[[バイエル・レバークーゼン]]のスポーツディレクター、[[MSVデュスブルク]]監督などを歴任したが、いずれも良い結果を残すことは出来ず、全て短期間で退いていた。


2008年の夏よりドイツ3部に所属する[[VfRアーレン]]の監督に就任したが、わずか3カ月で辞任。同クラブのスポーツディレクターに就任している。
2008年の夏よりドイツ3部に所属する[[VfRアーレン]]の監督に就任したが、わずか3カ月で辞任。同クラブのスポーツディレクターに就任している。


== 所属クラブ ==
== その他 ==
クラブや代表チームにおける、[[マルコ・ファン・バステン]]とのピッチ上での対決がよく知られているが<ref name=bund/>、1988年の欧州選手権ではPKを与え、1得点を許したが、以降の対戦では、殆ど、ファン・バステンを抑え込むことに成功した<ref>{{cite web|url=https://www.goal.com/it/notizie/kohler-oggi-chi-era-juventus/c4114oxevaui1c1v1ndzfjgou|title=Jürgen Kohler, l'ultimo dei grandi stopper: trofei e leggenda|website=GOAL|date=2022-10-6|accessdate=2023-8-18}}</ref>。
* 1977-1983 {{flagicon|GER}} TBヤーン・ランプスハイム
* 1983-1987 {{flagicon|GER}} [[SVヴァルトホーフ・マンハイム]]
* 1987-1989 {{flagicon|GER}} [[1.FCケルン]]
* 1989-1991 {{flagicon|GER}} [[バイエルン・ミュンヘン]] 
* 1991-1995 {{flagicon|ITA}} [[ユヴェントスFC]]
* 1995-2002 {{flagicon|GER}} [[ボルシア・ドルトムント]] 


== 獲得タイトル ==
== 獲得タイトル ==
48行目: 51行目:
** 優勝:1回 [[UEFA欧州選手権1996|1996]]
** 優勝:1回 [[UEFA欧州選手権1996|1996]]
** 準優勝:1回 [[UEFA欧州選手権1992|1992]]
** 準優勝:1回 [[UEFA欧州選手権1992|1992]]
* トヨタカップ:1回 1997
* [[UEFAチャンピオンズリーグ]]優勝:1回 1997
* [[UEFAチャンピオンズリーグ]]優勝:1回 1997
* [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]
* [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]
58行目: 60行目:
* [[イタリア・スーパーカップ]]優勝:1回 1995
* [[イタリア・スーパーカップ]]優勝:1回 1995


== エピソード ==
== 個人タイトル ==
* [[UEFA欧州選手権1992]] ベストイレブン
ドイツでよく使われる「サッカーの神」(Fussballgott)という言葉は元々コーラーのために謳われた愛称。[[ボルシア・ドルトムント]]の一員として1996-97シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ|チャンピオンズリーグ]]準決勝、[[マンチェスター・ユナイテッド]]戦において、相手フォワードの[[エリック・カントナ]]の繰り出すシュートを様々な体勢(1度はピッチに倒れたまま)からブロックし危機を救った。この活躍が[[ドイツ]]のサッカーファンの心を打ち、「ユルゲン・コーラー、サッカーの神!」("Jürgen Kohler, Fussballgott!")とドイツ中の[[サポーター]]が謳う様になった。
* [[年間最優秀サッカー選手賞 (ドイツ)|ドイツ年間最優秀サッカー選手賞]] : 1997

* キッカー年間ベストイレブン : 1986–87, 1987–88, 1988–89, 1990–91, 1998–99, 2000–01
その後、[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ・ブンデスリーガ]]で活躍した他の選手などにも頻繁に「サッカーの神」と謳われる様になったが、「ユルゲン・コーラーこそ唯一のサッカーの神だ!」("Jürgen Kohler ist der einzige Fussballgott!")と他選手にも同じ愛称をつける事に反発するサポーターも多い。


== 脚注 ==
{{Reflist}}
==外部リンク==
==外部リンク==
* {{Sports links}}
*[http://fussballdaten.de/spieler/kohlerjuergen/ Career stats at fussballdaten.de] {{de icon}}
*[http://fussballdaten.de/spieler/kohlerjuergen/ Career stats at fussballdaten.de] {{de icon}}


69行目: 74行目:
|titlestyle =background:#ffffff; color:#000000;
|titlestyle =background:#ffffff; color:#000000;
|list1=
|list1=

<span/>
{{UEFA欧州選手権1988西ドイツ代表}}
{{UEFA欧州選手権1988西ドイツ代表}}
{{1990 FIFAワールドカップ西ドイツ代表}}
{{1990 FIFAワールドカップ西ドイツ代表}}
76行目: 81行目:
|titlestyle =background:#ffffff; color:#000000;
|titlestyle =background:#ffffff; color:#000000;
|list1=
|list1=

<span/>
{{UEFA欧州選手権1992ドイツ代表}}
{{UEFA EURO '92ドイツ代表}}
{{1994 FIFAワールドカップドイツ代表}}
{{1994 FIFAワールドカップドイツ代表}}
{{UEFA欧州選手権1996ドイツ代表}}
{{UEFA EURO '96ドイツ代表}}
{{1998 FIFAワールドカップドイツ代表}}
{{1998 FIFAワールドカップドイツ代表}}
}}
}}
{{年間最優秀サッカー選手賞 (ドイツ)}}
{{年間最優秀サッカー選手賞 (ドイツ)}}
{{UEFA欧州選手権ベストイレブン 1992}}


{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:こおらあ ゆるけん}}
{{DEFAULTSORT:こおらあ ゆるけん}}
[[Category:ドイツのサッカー選手]]
[[Category:ドイツのサッカー選手]]
[[Category:サッカードイツ代表選手]]
[[Category:SVヴァルトホーフ・マンハイムの選手]]
[[Category:1.FCケルンの選手]]
[[Category:1.FCケルンの選手]]
[[Category:バイエルン・ミュンヘンの選手]]
[[Category:FCバイエルン・ミュンヘンの選手]]
[[Category:ユヴェントスFCの選手]]
[[Category:ユヴェントスFCの選手]]
[[Category:ボルシア・ドルトムントの選手]]
[[Category:ボルシア・ドルトムントの選手]]
[[Category:ドイツのサッカー指導者]]
[[Category:UEFA欧州選手権ドイツ代表選手]]
[[Category:UEFA欧州選手権1988出場選手]]
[[Category:UEFA EURO 1992出場選手]]
[[Category:UEFA EURO 1996出場選手]]
[[Category:FIFAワールドカップドイツ代表選手]]
[[Category:1990 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[Category:1990 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[Category:1994 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[Category:1994 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[Category:1998 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[Category:1998 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[Category:FIFAワールドカップ優勝選手]]
[[Category:FIFAセンチュリークラブ]]
[[Category:FIFAセンチュリークラブ]]
[[Category:ドイツのサッカー指導者]]
[[Category:ジルバーネス・ロールベアブラット受賞者]]
[[Category:在イタリア・ドイツ人]]
[[Category:ラインラント=プファルツ州出身の人物]]
[[Category:1965年生]]
[[Category:1965年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

[[ar:يورغن كوهلر]]
[[be:Колер Юрген]]
[[bn:ইয়ুর্গেন কোহ্‌লার]]
[[da:Jürgen Kohler]]
[[de:Jürgen Kohler]]
[[en:Jürgen Kohler]]
[[es:Jürgen Kohler]]
[[fa:یورگن کولر]]
[[fi:Jürgen Kohler]]
[[fr:Jürgen Kohler]]
[[id:Jürgen Kohler]]
[[it:Jürgen Kohler]]
[[nl:Jürgen Kohler]]
[[pl:Jürgen Kohler]]
[[pt:Jürgen Kohler]]
[[ru:Колер, Юрген]]
[[simple:Jürgen Kohler]]
[[sv:Jürgen Kohler]]

2024年11月26日 (火) 01:57時点における最新版

ユルゲン・コーラー
2005年
名前
愛称 鋼のストッパー、Fussballgott
ラテン文字 Jürgen Kohler
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1965-10-06) 1965年10月6日(59歳)
出身地 ランプスハイム
身長 186cm
体重 84kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
代表歴
1986-1998 ドイツの旗 ドイツ 105 (2)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ユルゲン・コーラーJürgen Kohler1965年10月6日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)・ランプスハイム出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー。マンマークをさせれば世界一の実力と評価されるなど[1]、現役時代は「世界最高のストッパー」の異名で知られたディフェンダーであった[2]

クラブ経歴

[編集]

1977年、地元のクラブチームであるTBヤーン・ランプシャイムでキャリアをスタート。SVヴァルトホーフ・マンハイム在籍中、西ドイツ代表としてデビューを飾る。翌年には当時ドイツ・ブンデスリーガのトップチームであった1.FCケルンへ移籍。クリストフ・ダウム監督の下、着実に評価を高め[3]1989年にはバイエルン・ミュンヘンに移籍し、着実にドイツを代表するプレーヤーへと成長を遂げた[3]

1991-92シーズンにはセリエAユヴェントスFCへの移籍を果たし、マンツーマンディフェンスを重視するジョバンニ・トラパットーニ監督の下、全幅の信頼を獲得し、世界最高のストッパーと称され[2]、1992-93シーズンにはUEFAカップ優勝に貢献、またセリエAでは最優秀外国人選手賞を獲得する。1994-95シーズンから就任したマルチェロ・リッピ監督の下では、やや出場機会を減らしたが、安定した守備でセリエA優勝に貢献した[2]

1995-96シーズン、ボルシア・ドルトムントに移籍、このシーズンリーグ優勝を果たした[4]。1996-97シーズン、チャンピオンズリーグ準決勝、マンチェスター・ユナイテッド戦において、ベッカム、エリック・カントナライアン・ギグスの繰り出すシュートをゴールライン上で、その全てを様々な体勢(1度はピッチに倒れたまま)からブロックし危機を救った[4]。この活躍がドイツのサッカーファンの心を打ち、「ユルゲン・コーラー、サッカーの神!」("Jürgen Kohler, Fussballgott!")とドルトムントサポーターたちが謳う様になった[5]。決勝では古巣ユベントスを3-1と破り優勝を果たした[3]。これらの活躍により、1997年のドイツ最優秀選手に選出された[4]。現役最後の年となった、2001-02シーズン、絶体的なレギュラーではなかったが、リーグ戦22試合に出場、1FCケルン戦では試合終了間際に得点を決めるなど、このシーズンのリーグ制覇に貢献した[4]。現役最後の試合となった、UEFAカップ決勝のフェイエノールト戦では、一発退場処分という結果となった[5]。ドルトムントでは、通算250試合13得点[4]

代表経歴

[編集]

代表としては、1986年9月26日、デンマークとの親善試合で代表デビュー[4]。1988年の欧州選手権では、準決勝まで進出したが、準決勝のオランダ戦で、マルコ・ファン・バステンへのファールを取られ、PKを献上、これをロナルド・クーマンに決められると、その後ファン・バステンに決勝点を奪われて敗戦した[4]

1990年にはワールドカップ・イタリア大会、グループリーグでは控え選手であったが、決勝トーナメントからレギュラーとして起用され、優勝に貢献[3]。1992年の欧州選手権では、決勝を含む全試合に出場、決勝でデンマークに敗れ、準優勝。1994年ワールドカップ・アメリカ大会出場。

1996年のUEFA欧州選手権1996では、キャプテンとして初戦のチェコ戦で先発したが、僅か14分で負傷交代、チームは優勝を果たしたが、以降の試合には出場出来なかった[4]1998年ワールドカップ・フランス大会に出場、準々決勝のクロアチア戦に出場して、敗戦、この試合が代表最後の試合となった。

引退後

[編集]

引退後、ドイツU-21代表監督、バイエル・レバークーゼンのスポーツディレクター、MSVデュースブルク監督などを歴任したが、いずれも良い結果を残すことは出来ず、全て短期間で退いていた。

2008年の夏よりドイツ3部に所属するVfRアーレンの監督に就任したが、わずか3カ月で辞任。同クラブのスポーツディレクターに就任している。

その他

[編集]

クラブや代表チームにおける、マルコ・ファン・バステンとのピッチ上での対決がよく知られているが[4]、1988年の欧州選手権ではPKを与え、1得点を許したが、以降の対戦では、殆ど、ファン・バステンを抑え込むことに成功した[6]

獲得タイトル

[編集]

個人タイトル

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 別冊週刊サッカーマガジン 1994年初夏号 ハローUSA WORLD CUP 94 P.118
  2. ^ a b c ワールドサッカーダイジェスト 1995年8月号 日本スポーツ企画出版社 P.15-17
  3. ^ a b c d Jurgen Kohler”. www.borssiadortmund (2017年6月17日). 2020年9月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i Jürgen Kohler: A legendary Bundesliga and Germany stopper”. BUNDES LIGA. 2023年8月18日閲覧。
  5. ^ a b Borussia Dortmund's all-time top XI, featuring Jürgen Klopp, Robert Lewandowski and Marco Reus”. www.bundesliga.com (2017年6月17日). 2020年9月18日閲覧。
  6. ^ Jürgen Kohler, l'ultimo dei grandi stopper: trofei e leggenda”. GOAL (2022年10月6日). 2023年8月18日閲覧。

外部リンク

[編集]