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'''ユルゲン・コーラー'''({{lang|de|Jürgen Kohler}}、[[1965年]][[10月6日]] - )は、[[ドイツ]](旧[[西ドイツ]])・[[ランプスハイム]]出身の元[[サッカー選手]]。選手時代のポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。マンマークをさせれば世界一の実力と評価されるなど<ref> 別冊週刊サッカーマガジン 1994年初夏号 ハローUSA WORLD CUP 94 P.118 </ref>、現役時代は「世界最高のストッパー」の異名で知られたディフェンダーであった<ref name="wsd"> [[ワールドサッカーダイジェスト]] 1995年8月号 [[日本スポーツ企画出版社]] P.15-17</ref>。 |
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== クラブ経歴 == |
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[[1977年]]、地元のクラブチームであるTBヤーン・ランプシャイムでキャリアをスタート。[[SVヴァルトホーフ・マンハイム]]在籍中、西ドイツ代表としてデビューを飾る。翌年には当時ドイツ・ブンデスリーガのトップチームであった[[1.FCケルン]]へ移籍。[[クリストフ・ダウム]]監督の下、着実に評価を高め<ref name="BVB"/>、[[1989年]]には[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]に移籍し、着実にドイツを代表するプレーヤーへと成長を遂げた<ref name="BVB"/>。 |
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1991-92シーズンには[[セリエA (サッカー)|セリエA]]・[[ユヴェントスFC]]への移籍を果たし、[[マンツーマンディフェンス]]を重視する[[ジョバンニ・トラパットーニ]]監督の下、全幅の信頼を獲得し、'''世界最高のストッパー'''と称され<ref name="wsd"/>、1992-93シーズンには[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]優勝に貢献、また[[セリエA (サッカー)|セリエA]]では最優秀外国人選手賞を獲得する。1994-95シーズンから就任した[[マルチェロ・リッピ]]監督の下では、やや出場機会を減らしたが、安定した守備でセリエA優勝に貢献した<ref name="wsd"/>。 |
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1995-96シーズン、[[ボルシア・ドルトムント]]に移籍、このシーズンリーグ優勝を果たした<ref name=bund/>。1996-97シーズン、[[UEFAチャンピオンズリーグ|チャンピオンズリーグ]]準決勝、[[マンチェスター・ユナイテッド]]戦において、ベッカム、[[エリック・カントナ]]、[[ライアン・ギグス]]の繰り出すシュートをゴールライン上で、その全てを様々な体勢(1度はピッチに倒れたまま)からブロックし危機を救った<ref name=bund/>。この活躍が[[ドイツ]]のサッカーファンの心を打ち、「ユルゲン・コーラー、サッカーの神!」("Jürgen Kohler, Fussballgott!")とドルトムントサポーターたちが謳う様になった<ref name="BVB11">{{cite web|url= https://www.bundesliga.com/en/bundesliga/news/borussia-dortmund-all-time-xi-jurgen-klopp-lewandowski-reus-hummels-piszczek-8043|title= Borussia Dortmund's all-time top XI, featuring Jürgen Klopp, Robert Lewandowski and Marco Reus|publisher=www.bundesliga.com|date=2017年6月17日|accessdate=2020年9月18日}}</ref>。決勝では古巣ユベントスを3-1と破り優勝を果たした<ref name="BVB">{{cite web|url= https://www.borussiadortmund.co.uk/columnist/jurgen-kohler-remembering-defender-won/|title=Jurgen Kohler|publisher=www.borssiadortmund|date=2017年6月17日|accessdate=2020年9月18日}}</ref>。これらの活躍により、1997年のドイツ最優秀選手に選出された<ref name=bund/>。現役最後の年となった、2001-02シーズン、絶体的なレギュラーではなかったが、リーグ戦22試合に出場、[[1FCケルン]]戦では試合終了間際に得点を決めるなど、このシーズンのリーグ制覇に貢献した<ref name=bund/>。現役最後の試合となった、[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]決勝の[[フェイエノールト]]戦では、一発退場処分という結果となった<ref name="BVB11"/>。ドルトムントでは、通算250試合13得点<ref name=bund/>。 |
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その後代表としては[[1994年]]の[[1994 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・アメリカ大会]]、[[UEFA欧州選手権1996]]、[[1998年]]の[[1998 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・フランス大会]]に出場。クラブチームでは[[1995年]]に[[ボルシア・ドルトムント]]へ移籍し、[[2002年]]に選手生活から引退した。引退試合となった[[2002年]][[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]決勝の[[フェイエノールト]]戦では、一発退場処分という結果となった。これに関してコーラーは「服についた小さなシミみたいなものだ」と振り返っている |
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== 代表経歴 == |
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代表としては、1986年9月26日、[[サッカーデンマーク代表|デンマーク]]との親善試合で代表デビュー<ref name=bund>{{cite web|url=https://www.bundesliga.com/en/bundesliga/news/jurgen-kohler-a-legendary-stopper-germany-fifa-dortmund-juventus-bayern-17876|title=Jürgen Kohler: A legendary Bundesliga and Germany stopper|website=BUNDES LIGA|accessdate=2023-8-18}}</ref>。1988年の[[UEFA欧州選手権1988|欧州選手権]]では、準決勝まで進出したが、準決勝の[[サッカーオランダ代表|オランダ]]戦で、[[マルコ・ファン・バステン]]へのファールを取られ、PKを献上、これを[[ロナルド・クーマン]]に決められると、その後ファン・バステンに決勝点を奪われて敗戦した<ref name=bund/>。 |
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[[1990年]]には[[1990 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・イタリア大会]]、グループリーグでは控え選手であったが、決勝トーナメントからレギュラーとして起用され、優勝に貢献<ref name="BVB"/>。1992年の[[UEFA EURO '92|欧州選手権]]では、決勝を含む全試合に出場、決勝でデンマークに敗れ、準優勝。[[1994年]]の[[1994 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・アメリカ大会]]出場。 |
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1996年の[[UEFA欧州選手権1996]]では、キャプテンとして初戦の[[サッカーチェコ代表|チェコ]]戦で先発したが、僅か14分で負傷交代、チームは優勝を果たしたが、以降の試合には出場出来なかった<ref name=bund/>。[[1998年]]の[[1998 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・フランス大会]]に出場、準々決勝の[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]戦に出場して、敗戦、この試合が代表最後の試合となった。 |
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== 引退後 == |
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2008年の夏よりドイツ3部に所属する[[VfRアーレン]]の監督に就任したが、わずか3カ月で辞任。同クラブのスポーツディレクターに就任している。 |
2008年の夏よりドイツ3部に所属する[[VfRアーレン]]の監督に就任したが、わずか3カ月で辞任。同クラブのスポーツディレクターに就任している。 |
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== その他 == |
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クラブや代表チームにおける、[[マルコ・ファン・バステン]]とのピッチ上での対決がよく知られているが<ref name=bund/>、1988年の欧州選手権ではPKを与え、1得点を許したが、以降の対戦では、殆ど、ファン・バステンを抑え込むことに成功した<ref>{{cite web|url=https://www.goal.com/it/notizie/kohler-oggi-chi-era-juventus/c4114oxevaui1c1v1ndzfjgou|title=Jürgen Kohler, l'ultimo dei grandi stopper: trofei e leggenda|website=GOAL|date=2022-10-6|accessdate=2023-8-18}}</ref>。 |
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* 1977-1983 {{flagicon|GER}} TBヤーン・ランプスハイム |
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* 1987-1989 {{flagicon|GER}} [[1.FCケルン]] |
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* 1989-1991 {{flagicon|GER}} [[バイエルン・ミュンヘン]] |
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* 1991-1995 {{flagicon|ITA}} [[ユヴェントスFC]] |
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* 1995-2002 {{flagicon|GER}} [[ボルシア・ドルトムント]] |
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== 獲得タイトル == |
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** 優勝:1回 [[UEFA欧州選手権1996|1996]] |
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* [[イタリア・スーパーカップ]]優勝:1回 1995 |
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== 個人タイトル == |
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* [[UEFA欧州選手権1992]] ベストイレブン |
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ドイツでよく使われる「サッカーの神」(Fussballgott)という言葉は元々コーラーのために謳われた愛称。[[ボルシア・ドルトムント]]の一員として1996-97シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ|チャンピオンズリーグ]]準決勝、[[マンチェスター・ユナイテッド]]戦において、相手フォワードの[[エリック・カントナ]]の繰り出すシュートを様々な体勢(1度はピッチに倒れたまま)からブロックし危機を救った。この活躍が[[ドイツ]]のサッカーファンの心を打ち、「ユルゲン・コーラー、サッカーの神!」("Jürgen Kohler, Fussballgott!")とドイツ中の[[サポーター]]が謳う様になった。 |
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* [[年間最優秀サッカー選手賞 (ドイツ)|ドイツ年間最優秀サッカー選手賞]] : 1997 |
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* キッカー年間ベストイレブン : 1986–87, 1987–88, 1988–89, 1990–91, 1998–99, 2000–01 |
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その後、[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ・ブンデスリーガ]]で活躍した他の選手などにも頻繁に「サッカーの神」と謳われる様になったが、「ユルゲン・コーラーこそ唯一のサッカーの神だ!」("Jürgen Kohler ist der einzige Fussballgott!")と他選手にも同じ愛称をつける事に反発するサポーターも多い。 |
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== 脚注 == |
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==外部リンク== |
==外部リンク== |
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*[http://fussballdaten.de/spieler/kohlerjuergen/ Career stats at fussballdaten.de] {{de icon}} |
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[[simple:Jürgen Kohler]] |
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[[sv:Jürgen Kohler]] |
2024年11月26日 (火) 01:57時点における最新版
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2005年 | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | 鋼のストッパー、Fussballgott | |||||
ラテン文字 | Jürgen Kohler | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1965年10月6日(59歳) | |||||
出身地 | ランプスハイム | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 84kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1986-1998 | ドイツ | 105 | (2) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ユルゲン・コーラー(Jürgen Kohler、1965年10月6日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)・ランプスハイム出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー。マンマークをさせれば世界一の実力と評価されるなど[1]、現役時代は「世界最高のストッパー」の異名で知られたディフェンダーであった[2]。
クラブ経歴
[編集]1977年、地元のクラブチームであるTBヤーン・ランプシャイムでキャリアをスタート。SVヴァルトホーフ・マンハイム在籍中、西ドイツ代表としてデビューを飾る。翌年には当時ドイツ・ブンデスリーガのトップチームであった1.FCケルンへ移籍。クリストフ・ダウム監督の下、着実に評価を高め[3]、1989年にはバイエルン・ミュンヘンに移籍し、着実にドイツを代表するプレーヤーへと成長を遂げた[3]。
1991-92シーズンにはセリエA・ユヴェントスFCへの移籍を果たし、マンツーマンディフェンスを重視するジョバンニ・トラパットーニ監督の下、全幅の信頼を獲得し、世界最高のストッパーと称され[2]、1992-93シーズンにはUEFAカップ優勝に貢献、またセリエAでは最優秀外国人選手賞を獲得する。1994-95シーズンから就任したマルチェロ・リッピ監督の下では、やや出場機会を減らしたが、安定した守備でセリエA優勝に貢献した[2]。
1995-96シーズン、ボルシア・ドルトムントに移籍、このシーズンリーグ優勝を果たした[4]。1996-97シーズン、チャンピオンズリーグ準決勝、マンチェスター・ユナイテッド戦において、ベッカム、エリック・カントナ、ライアン・ギグスの繰り出すシュートをゴールライン上で、その全てを様々な体勢(1度はピッチに倒れたまま)からブロックし危機を救った[4]。この活躍がドイツのサッカーファンの心を打ち、「ユルゲン・コーラー、サッカーの神!」("Jürgen Kohler, Fussballgott!")とドルトムントサポーターたちが謳う様になった[5]。決勝では古巣ユベントスを3-1と破り優勝を果たした[3]。これらの活躍により、1997年のドイツ最優秀選手に選出された[4]。現役最後の年となった、2001-02シーズン、絶体的なレギュラーではなかったが、リーグ戦22試合に出場、1FCケルン戦では試合終了間際に得点を決めるなど、このシーズンのリーグ制覇に貢献した[4]。現役最後の試合となった、UEFAカップ決勝のフェイエノールト戦では、一発退場処分という結果となった[5]。ドルトムントでは、通算250試合13得点[4]。
代表経歴
[編集]代表としては、1986年9月26日、デンマークとの親善試合で代表デビュー[4]。1988年の欧州選手権では、準決勝まで進出したが、準決勝のオランダ戦で、マルコ・ファン・バステンへのファールを取られ、PKを献上、これをロナルド・クーマンに決められると、その後ファン・バステンに決勝点を奪われて敗戦した[4]。
1990年にはワールドカップ・イタリア大会、グループリーグでは控え選手であったが、決勝トーナメントからレギュラーとして起用され、優勝に貢献[3]。1992年の欧州選手権では、決勝を含む全試合に出場、決勝でデンマークに敗れ、準優勝。1994年のワールドカップ・アメリカ大会出場。
1996年のUEFA欧州選手権1996では、キャプテンとして初戦のチェコ戦で先発したが、僅か14分で負傷交代、チームは優勝を果たしたが、以降の試合には出場出来なかった[4]。1998年のワールドカップ・フランス大会に出場、準々決勝のクロアチア戦に出場して、敗戦、この試合が代表最後の試合となった。
引退後
[編集]引退後、ドイツU-21代表監督、バイエル・レバークーゼンのスポーツディレクター、MSVデュースブルク監督などを歴任したが、いずれも良い結果を残すことは出来ず、全て短期間で退いていた。
2008年の夏よりドイツ3部に所属するVfRアーレンの監督に就任したが、わずか3カ月で辞任。同クラブのスポーツディレクターに就任している。
その他
[編集]クラブや代表チームにおける、マルコ・ファン・バステンとのピッチ上での対決がよく知られているが[4]、1988年の欧州選手権ではPKを与え、1得点を許したが、以降の対戦では、殆ど、ファン・バステンを抑え込むことに成功した[6]。
獲得タイトル
[編集]- FIFAワールドカップ優勝:1回 1990
- UEFA欧州選手権
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝:1回 1997
- UEFAカップ
- 優勝:1回 1993
- 準優勝:1回 2002
- ドイツ・ブンデスリーガ優勝:3回 1990、1996、2002
- セリエA優勝:1回 1995
- コッパ・イタリア優勝:1回 1995
- イタリア・スーパーカップ優勝:1回 1995
個人タイトル
[編集]- UEFA欧州選手権1992 ベストイレブン
- ドイツ年間最優秀サッカー選手賞 : 1997
- キッカー年間ベストイレブン : 1986–87, 1987–88, 1988–89, 1990–91, 1998–99, 2000–01
脚注
[編集]- ^ 別冊週刊サッカーマガジン 1994年初夏号 ハローUSA WORLD CUP 94 P.118
- ^ a b c ワールドサッカーダイジェスト 1995年8月号 日本スポーツ企画出版社 P.15-17
- ^ a b c d “Jurgen Kohler”. www.borssiadortmund (2017年6月17日). 2020年9月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “Jürgen Kohler: A legendary Bundesliga and Germany stopper”. BUNDES LIGA. 2023年8月18日閲覧。
- ^ a b “Borussia Dortmund's all-time top XI, featuring Jürgen Klopp, Robert Lewandowski and Marco Reus”. www.bundesliga.com (2017年6月17日). 2020年9月18日閲覧。
- ^ “Jürgen Kohler, l'ultimo dei grandi stopper: trofei e leggenda”. GOAL (2022年10月6日). 2023年8月18日閲覧。
外部リンク
[編集]- ユルゲン・コーラー - National-Football-Teams.com
- ユルゲン・コーラー - Soccerway.com
- ユルゲン・コーラー - FootballDatabase.eu
- ユルゲン・コーラー - WorldFootball.net
- ユルゲン・コーラー - Transfermarkt.comによる選手データ
- ユルゲン・コーラー - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ユルゲン・コーラー - FIFA主催大会成績
- ユルゲン・コーラー - レキップ
- ユルゲン・コーラー - Fussballdaten.de
- ユルゲン・コーラー - Munzinger Sports Archives
- Career stats at fussballdaten.de
- ドイツのサッカー選手
- サッカードイツ代表選手
- SVヴァルトホーフ・マンハイムの選手
- 1.FCケルンの選手
- FCバイエルン・ミュンヘンの選手
- ユヴェントスFCの選手
- ボルシア・ドルトムントの選手
- UEFA欧州選手権ドイツ代表選手
- UEFA欧州選手権1988出場選手
- UEFA EURO 1992出場選手
- UEFA EURO 1996出場選手
- FIFAワールドカップドイツ代表選手
- 1990 FIFAワールドカップ出場選手
- 1994 FIFAワールドカップ出場選手
- 1998 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAワールドカップ優勝選手
- FIFAセンチュリークラブ
- ドイツのサッカー指導者
- ジルバーネス・ロールベアブラット受賞者
- 在イタリア・ドイツ人
- ラインラント=プファルツ州出身の人物
- 1965年生
- 存命人物