「ブルゲンラント州」の版間の差分
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|州章 = Burgenland Wappen.svg |
|州章 = Burgenland Wappen.svg |
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|州章幅 = 100 |
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|地図 = |
|地図 = Burgenland in Austria.svg |
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|州都 = [[アイゼンシュタット]] |
|州都 = [[アイゼンシュタット]] |
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|最大の都市 = アイゼンシュタット |
|最大の都市 = アイゼンシュタット |
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|人口 = |
|人口 = (2013年1月1日)<br/>286,691 人 (第9位)<br/>72.36 人/[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]] |
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|ISOコード = AT-1 |
|ISOコード = AT-1 |
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|Website = www.burgenland.at |
|Website = www.burgenland.at |
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|面積項目 = 面積 |
|面積項目 = 面積 |
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|面積数値 = 3,965.46 [[平方キロメートル|km |
|面積数値 = 3,965.46 [[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]] (第7位) |
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|測地系 = [[北緯]]46度50分-48度7分<br/>[[東経]]16度30分-17度6分 |
|測地系 = [[北緯]]46度50分-48度7分<br/>[[東経]]16度30分-17度6分 |
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|最高点 = [[ゲシュリーベンシュタイン]] (884 [[メートル|m]]) |
|最高点 = [[ゲシュリーベンシュタイン]] (884 [[メートル|m]]) |
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|最低点 = [[アペトロン]]近郊 (114 m) |
|最低点 = [[アペトロン]]近郊 (114 m) |
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|州首相 = [[:de:Hans |
|州首相 = [[:de:Hans Peter Doskozil|ハンス・ペーター・ドスコーツィル]]([[オーストリア社会民主党|SPÖ]]) |
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|与党 = SPÖ |
|与党 = SPÖ |
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|前回選挙 = |
|前回選挙 = 2020年1月26日 |
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|次回選挙 = |
|次回選挙 = 2025年 |
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|参議院 = 3 |
|参議院 = 3 |
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|地方行政区分名 = 市町村総数<br/> - うち市の数<br/> - うち町の数 |
|地方行政区分名 = 市町村総数<br/> - うち市の数<br/> - うち町の数 |
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|地方行政区分 = 171<br/>13<br/> |
|地方行政区分 = 171<br/>13<br/>67 |
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'''ブルゲンラント州'''( |
'''ブルゲンラント州'''(ブルゲンラントしゅう、{{lang-de|Burgenland}} {{audio|Burgenland.ogg|発音|help=no}})は、[[オーストリア|オーストリア共和国]]を構成する9つの[[連邦州]]のひとつ。州都は[[アイゼンシュタット]]。[[1921年]]に[[サン=ジェルマン条約]]と[[トリアノン条約]]によって[[ハンガリー王国 (1920-1946)|ハンガリー王国]]から領土を割譲され成立した。 |
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== 名称 == |
== 名称 == |
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ブルゲンラント(<span lang="de" xml:lang="de">Burgenland</span>)は[[ドイツ語]]で「城の(多い)州」を意味する。これはハンガリー領であったときに構成していた4県([[ポジョニ県]]・[[モション県]]・[[シ |
ブルゲンラント(<span lang="de" xml:lang="de">Burgenland</span>)は[[ドイツ語]]で「城の(多い)州」を意味する。これはハンガリー領であったときに構成していた4県([[ポジョニ県]]・[[モション県]]・[[ショプロン県]]・[[ヴァシュ県]])のドイツ語名(プレスブルク・ヴィーゼルブルク・エーデンブルク・アイゼンブルク)をまとめる名称として[[1919年]]に作られた「フィーアブルゲンラント」(''<span lang="de" xml:lang="de">Vierburgenland</span>''、4つの城の州の意)という言葉に由来する。プレスブルク([[スロバキア語]]名[[ブラチスラヴァ]])が[[チェコスロバキア]]領となるなどしたため「4つの」は落とされたが、この地域には歴史的に東方からの異民族襲来に備えて多くの城があったため、州名として相応しいとして[[1922年]]の第1回州議会で採用された。 |
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[[ハンガリー語]]では、通常ドイツ語名がそのまま用いられる。しかしこれを翻訳した''<span lang="hu" xml:lang="hu">Várvidék</span>''や、かつてこの地域にあった言語島に由来する''<span lang="hu" xml:lang="hu">Őrvidék</span>''や''<span lang="hu" xml:lang="hu">Felső-Őrvidék</span>''といった名前で呼ばれることもある<ref>今日のハンガリーにおいては、キシュマルトン(アイゼンシュタット)のような例外を除けば、ブルゲンラント内の地名も基本的にドイツ語名を使う。</ref>。 |
[[ハンガリー語]]では、通常ドイツ語名がそのまま用いられる。しかしこれを翻訳した''<span lang="hu" xml:lang="hu">Várvidék</span>''や、かつてこの地域にあった言語島に由来する''<span lang="hu" xml:lang="hu">Őrvidék</span>''や''<span lang="hu" xml:lang="hu">Felső-Őrvidék</span>''といった名前で呼ばれることもある<ref>今日のハンガリーにおいては、キシュマルトン(アイゼンシュタット)のような例外を除けば、ブルゲンラント内の地名も基本的にドイツ語名を使う。</ref>。 |
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ブルゲンラントは[[パンノニア平原]]の西部にあたり、全域にわたって起伏の少ない平坦な地形である。州全土で農業が盛んで、とくに[[ワイン]]の産地でもある。 |
ブルゲンラントは[[パンノニア平原]]の西部にあたり、全域にわたって起伏の少ない平坦な地形である。州全土で農業が盛んで、とくに[[ワイン]]の産地でもある。 |
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ハンガリーとの国境に、ヨーロッパに2つある[[流出河川]]のない湖である[[ノイジードラー湖]](ハンガリー |
ハンガリーとの国境に、ヨーロッパに2つある[[流出河川]]のない湖のひとつである[[ノイジードラー湖]](ハンガリー名:フェルテー湖)がある。これは[[2001年]]に「フェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観」として[[世界遺産]]に登録された。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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この地域に最初に人が居住したのは[[石器時代]]にまでさかのぼる。紀元前後には[[ローマ帝国]]に征服され、[[パンノニア]]属州に属していた。パンノニアは5世紀頃にローマ帝国から[[フン族]]へ割譲され、次いで[[ゲルマン人]]の支配下に入った。[[8世紀]]末にこの地を支配していた[[アヴァール|アヴァール人]]は[[カール大帝]]の攻撃を受けて[[フランク王国]]に服属した。 |
この地域に最初に人が居住したのは[[石器時代]]にまでさかのぼる。紀元前後には[[ローマ帝国]]に征服され、[[パンノニア]]属州に属していた。パンノニアは5世紀頃にローマ帝国から[[フン族]]へ割譲され、次いで[[ゲルマン人]]の支配下に入った。[[8世紀]]末にこの地を支配していた[[アヴァール|アヴァール人]]は[[カール大帝]]の攻撃を受けて[[フランク王国]]に服属した。 |
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[[Image:Old boundary-river Lajtha001.jpg|thumb|left|1000年近くの間国境の川だった[[ライタ川]]は、現在ブルゲンラント州と[[ニーダーエスターライヒ州]]の州境となっている]] |
[[Image:Old boundary-river Lajtha001.jpg|thumb|left|1000年近くの間国境の川だった[[ライタ川]]は、現在ブルゲンラント州と[[ニーダーエスターライヒ州]]の州境となっている]] |
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[[10世紀]]はじめに今度は[[マジャル人]]がこの地を征服して[[東フランク王国]]へ侵入した。彼らは[[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]]に[[955年]]の[[レヒフェルトの戦い]]で敗れてドイツから撤退したが、パンノニアは引き続きマジャル人の支配下にあった。[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ3世]]と[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[ペーテル・オルセオロ]]の間の和約により[[1043年]]に[[ライタ川]]に国境が引かれ、以後[[1920年]]までの長きにわたって現在のブルゲンラントにあたる地域はハンガリー王国の西の端となっていた。 |
[[10世紀]]はじめに今度は[[マジャル人]]がこの地を征服して[[東フランク王国]]へ侵入した。彼らは[[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]]に[[955年]]の[[レヒフェルトの戦い]]で敗れてドイツから撤退したが、パンノニアは引き続きマジャル人の支配下にあった。[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ3世]]と[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[ペーテル (ハンガリー王)|ペーテル・オルセオロ]]の間の和約により[[1043年]]に[[ライタ川]]に国境が引かれ、以後[[1920年]]までの長きにわたって現在のブルゲンラントにあたる地域はハンガリー王国の西の端となっていた。 |
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中世以降継続的にドイツからの移民があり、また16世紀以降はプロテスタントが神聖ローマ帝国内の宗派対立から逃れてくるようになったため、ハンガリー領内でありながらこの地域はドイツ人が卓越していた。[[1910年]]の国勢調査によれば、現在のブルゲンラント州の地域には291,800人の住人がおり、うち217,072人(74%)がドイツ語話者、43,633人(15%)が[[クロアチア語]]話者、26,225人(9%)がハンガリー語話者であった(ただしこの統計では[[ロマ]]は先祖の母語で数えられている)。 |
中世以降継続的にドイツからの移民があり、また16世紀以降はプロテスタントが神聖ローマ帝国内の宗派対立から逃れてくるようになったため、ハンガリー領内でありながらこの地域はドイツ人が卓越していた。[[1910年]]の国勢調査によれば、現在のブルゲンラント州の地域には291,800人の住人がおり、うち217,072人(74%)がドイツ語話者、43,633人(15%)が[[クロアチア語]]話者、26,225人(9%)がハンガリー語話者であった(ただしこの統計では[[ロマ]]は先祖の母語で数えられている)。 |
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[[1918年]]に[[第一次世界大戦]]に敗れた[[オーストリア=ハンガリー帝国]]が解体されると、[[第一共和国 (オーストリア)|第一共和政のオーストリア]]がドイツ人の多いこの地域を領有することになった。しかしこれを巡ってオーストリアと[[ハンガリー王国 (1920-1946)|ハンガリー]]の間に紛争がおき、[[イタリア王国|イタリア]]の仲裁によって一部地域では帰属を問う住民投票が行なわれた。この結果ブルゲンラント州の州都となることが予定されていたエーデンブルク(ハンガリー語名[[ショプロン]])とその周辺がハンガリーに残留し、他の地域がブルゲンラント州としてオーストリアの連邦州となった。 |
[[1918年]]に[[第一次世界大戦]]に敗れた[[オーストリア=ハンガリー帝国]]が解体されると、[[第一共和国 (オーストリア)|第一共和政のオーストリア]]がドイツ人の多いこの地域を領有することになった。しかしこれを巡ってオーストリアと[[ハンガリー王国 (1920-1946)|ハンガリー]]の間に紛争がおき、[[1921年]]に[[イタリア王国|イタリア]]の仲裁によって、[[ヴェネツィア議定書]]で一部地域では帰属を問う住民投票が行なわれた。この結果ブルゲンラント州の州都となることが予定されていたエーデンブルク(ハンガリー語名[[ショプロン]])とその周辺がハンガリーに残留し、他の地域がブルゲンラント州としてオーストリアの連邦州となった。 |
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[[1938年]]に[[ナチス・ドイツ]]によるオーストリア合邦([[アンシュルス]])がなされると、ブルゲンラント州は分割され、[[ニーダードナウ大管区]]および[[シュタイアーマルク大管区]]に分割統合された。 |
[[1938年]]に[[ナチス・ドイツ]]によるオーストリア合邦([[アンシュルス]])がなされると、ブルゲンラント州は分割され、[[ニーダードナウ帝国大管区]]および[[シュタイアーマルク帝国大管区]]に分割統合された。 |
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ドイツが[[第二次世界大戦]]に敗れた後、旧ブルゲンラント州の領域は[[ソビエト連邦]]の占領下に置かれた。[[1955年]]にオーストリアは連合国との間に[[オーストリア国家条約]]を調印して独立を回復し、ブルゲンラント州も再び設置された。国境を接するハンガリーが共産化されたためブルゲンラント州は[[冷戦]]の最前線となり、[[1956年]]の[[ハンガリー動乱]]の際には多数の難民が流入した。 |
ドイツが[[第二次世界大戦]]に敗れた後、旧ブルゲンラント州の領域は[[ソビエト連邦]]の占領下に置かれた。[[1955年]]にオーストリアは連合国との間に[[オーストリア国家条約]]を調印して独立を回復し、ブルゲンラント州も再び設置された。国境を接するハンガリーが共産化されたためブルゲンラント州は[[冷戦]]の最前線となり、[[1956年]]の[[ハンガリー動乱]]の際には多数の難民が流入した。 |
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[[1989年]][[7月27日]]、オーストリア外相[[アロイス・モック]]とハンガリー外相[[ホルン・ジュラ]]はブルゲンラント州[[クリンゲンバハ]]にあった国境の有刺鉄線を切った。これは[[鉄のカーテン]]に穴があけられたことを意味し、[[汎ヨーロッパ・ピクニック]]、ひいては[[ベルリンの壁崩壊]]につながる出来事であった。 |
[[1989年]][[7月27日]]、オーストリア外相[[アロイス・モック]]とハンガリー外相[[ホルン・ジュラ]]はブルゲンラント州[[クリンゲンバハ]]にあった国境の有刺鉄線を切った。これは[[鉄のカーテン]]に穴があけられたことを意味し、[[汎ヨーロッパ・ピクニック]]、ひいては[[ベルリンの壁崩壊]]につながる出来事であった。 |
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== |
== 人口統計 == |
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{| class="wikitable" style="float:left;margin:2px" |
{| class="wikitable" style="float:left;margin:2px" |
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|+ '''人口動静''' |
|+ '''人口動静''' |
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| style="text-align:center" | 2001年5月15日 || 277,569 |
| style="text-align:center" | 2001年5月15日 || 277,569 |
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| style="text-align:center" | 2016年1月1日 || 291,023 |
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{| class="wikitable" style="float:left;margin:2px" |
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|+ '''言語分布'''(2001年)<ref name="Sprache">{{cite web2|title=Bevölkerung mit österreichischer Staatsbürgerschaft nach Umgangssprache seit 1971|periodical=|publisher=STATISTIK AUSTRIA|url=http://www.statistik.at/web_de/statistiken/bevoelkerung/volkszaehlungen_registerzaehlungen/bevoelkerung_nach_demographischen_merkmalen/022886.html|url-status=|format=HTML, PDF, XLS|access-date=2013-03-29|archive-url=|archive-date=|last=|date=2007-12-06|year=|language=|pages=|quote=}}{{リンク切れ|date=2017年9月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref> |
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|+ '''言語分布'''(1991年) |
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! style="text-align:center" | 言語 !! 割合 |
! style="text-align:center" | 言語 !! 割合 |
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| style="text-align:left"| [[ドイツ語]] || style="text-align:right"| |
| style="text-align:left"| [[ドイツ語]] || style="text-align:right"| 90.6% |
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| style="text-align:left"| [[ブルゲンラント・クロアチア語]] || style="text-align:right"| |
| style="text-align:left"| [[ブルゲンラント・クロアチア語]] || style="text-align:right"| 6.1% |
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| style="text-align:left"| [[ハンガリー語]] || style="text-align:right"| |
| style="text-align:left"| [[ハンガリー語]] || style="text-align:right"| 1.8% |
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| style="text-align:left"| [[クロアチア語]] || style="text-align:right"| |
| style="text-align:left"| [[クロアチア語]] || style="text-align:right"| 0.4% |
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| style="text-align:left"| [[ロマ語]] || style="text-align:right"| 0.1% |
| style="text-align:left"| [[ロマ語]] || style="text-align:right"| 0.1% |
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| style="text-align:left"| [[スロヴァキア語]] || style="text-align:right"| 0.1% |
| style="text-align:left"| [[スロヴァキア語]] || style="text-align:right"| 0.1%以下 |
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| style="text-align:left"| その他 || style="text-align:right"| |
| style="text-align:left"| その他 || style="text-align:right"| 0.9% |
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{{clear}} |
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== 政治 == |
== 政治 == |
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ブルゲンラント州議会(''<span lang="de" xml:lang="de">Landtag</span>'')の定数は36議席で、任期は5年である。 |
ブルゲンラント州議会(''<span lang="de" xml:lang="de">Landtag</span>'')の定数は36議席で、任期は5年である。[[2003年]]に、選挙権年齢が16歳に引き下げられた。[[2020年]][[1月26日]]に行なわれた直近の選挙では、[[オーストリア社会民主党]](SPÖ)が過半数の19議席を獲得。以下[[オーストリア国民党]](ÖVP)が11議席、[[オーストリア自由党]](FPÖ)が3議席、[[緑の党 (オーストリア)|緑の党]]が2議席、無所属が1議席を獲得した。2024年現在、社会民主党が州議会の単独与党となっている。 |
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州内閣には7名の閣僚が置かれてい |
州内閣には7名の閣僚が置かれている。 |
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== 地方行政 == |
== 地方行政 == |
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ブルゲンラント州は7つの郡(''<span lang="de" xml:lang="de">Bezirk</span>''; 行政管区とも)に分けられる。郡は自治体ではなく、行政事務を処理する州の出先機関である。一方ハンガリー王国時代に[[自由都市]]であった[[アイゼンシュタット]]と[[ルスト (ブルゲンラント州)|ルスト]]は郡に属さない[[憲章都市]](''<span lang="de" xml:lang="de">Statutarstadt</span>'')に指定されており、両市は郡の業務も独自に処理している。 |
ブルゲンラント州は7つの郡(''<span lang="de" xml:lang="de">Bezirk</span>''; 行政管区とも)に分けられる。郡は自治体ではなく、行政事務を処理する州の出先機関である。一方ハンガリー王国時代に[[自由都市]]であった[[アイゼンシュタット]]と[[ルスト (ブルゲンラント州)|ルスト]]は郡に属さない[[憲章都市]](''<span lang="de" xml:lang="de">Statutarstadt</span>'')に指定されており、両市は郡の業務も独自に処理している。 |
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[[Image:Karte Aut Bgld.png|right|250px|ブルゲンラント州の郡および憲章都市の区分]] |
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郡は以下の通り。郡名のみドイツ語綴りを付記した。括弧内は郡庁所在地である。 |
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* [[アイゼンシュタット=ウムゲーブング郡]] <span lang="de" xml:lang="de">Bezirk Eisenstadt-Umgebung</span> ([[アイゼンシュタット]]) |
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* [[イェンナースドルフ郡]] <span lang="de" xml:lang="de">Bezirk Jennersdorf</span> ([[イェンナースドルフ]]) |
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* [[オーバーヴァルト郡]] <span lang="de" xml:lang="de">Bezirk Oberwart</span> ([[オーバーヴァルト]]) |
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* [[オーバープレンドルフ郡]] <span lang="de" xml:lang="de">Bezirk Oberpullendorf</span> ([[オーバープレンドルフ]] |
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* [[ギュッシング郡]] <span lang="de" xml:lang="de">Bezirk Güssing</span> ([[ギュッシング]]) |
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* [[ノイジードル・アム・ゼー郡]] <span lang="de" xml:lang="de">Bezirk Neusiedl am See</span> ([[ノイジードル・アム・ゼー]]) |
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* [[マッテルスブルク郡]] <span lang="de" xml:lang="de">Bezirk Mattersburg</span> ([[マッテルスブルク]]) |
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また郡の下には合計171の基礎自治体([[ゲマインデ]])が置かれており、うち13が市(''<span lang="de" xml:lang="de">Stadtgemeinde</span>'') |
また、郡の下には合計171の基礎自治体([[ゲマインデ]])が置かれており、うち13自治体が市(''<span lang="de" xml:lang="de">Stadtgemeinde</span>'')、67自治体が町(''<span lang="de" xml:lang="de">Marktgemeinde</span>''; [[マーケットタウン|市場町]])の指定を受けている。詳細は[[ブルゲンラント州の地方自治体]]を参照。 |
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[[File:Burgenland Nord-Mittel-Süd.svg|thumb|240px|ブルゲンラント州の各地域<br />{{legend|93e295|北ブルゲンラント}}{{legend|fff77a|中央ブルゲンラント}}{{legend|98d9f7|南ブルゲンラント}}]] |
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{| class="wikitable sortable" |
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! ナンバープレート |
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! 郡名 |
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! 位置 |
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! 郡庁所在地 |
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! 面積<br />(km<sup>2</sup>) |
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! 人口<br /><small>(2020年1月1日)</small> |
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! 人口密度 |
|||
! 自治体数 |
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|- |
|||
| E |
|||
| [[アイゼンシュタット]] |
|||
| [[File:Karte A Bgld E.svg|80px]] |
|||
| [[憲章都市]] |
|||
| 42.88 |
|||
| 14,816 |
|||
| 345 |
|||
| |
|||
|- |
|||
| EU |
|||
| [[アイゼンシュタット=ウムゲーブング郡]] |
|||
| [[File:Karte A Bgld EU.svg|80px]] |
|||
| アイゼンシュタット |
|||
| 453.14 |
|||
| 43,236 |
|||
| 95 |
|||
| 23 |
|||
|- |
|||
| GS |
|||
| [[ギュッシング郡]] |
|||
| [[File:Karte A Bgld GS.svg|80px]] |
|||
| {{仮リンク|ギュッシング|de|Güssing}} |
|||
| 485.44 |
|||
| 25,699 |
|||
| 53 |
|||
| 28 |
|||
|- |
|||
| JE |
|||
| [[イェンナースドルフ郡]] |
|||
| [[File:Karte A Bgld JE.svg|80px]] |
|||
| [[イェンナースドルフ]] |
|||
| 253.35 |
|||
| 17,097 |
|||
| 68 |
|||
| 12 |
|||
|- |
|||
| MA |
|||
| [[マッテルスブルク郡]] |
|||
| [[File:Karte A Bgld MA.svg|80px]] |
|||
| [[マッテルスブルク]] |
|||
| 237.84 |
|||
| 40,042 |
|||
| 168 |
|||
| 19 |
|||
|- |
|||
| ND |
|||
| [[ノイジードル・アム・ゼー郡]] |
|||
| [[File:Karte A Bgld ND.svg|80px]] |
|||
| {{仮リンク|ノイジードル・アム・ゼー|de|Neusiedl am See}} |
|||
| 1,038.65 |
|||
| 59,990 |
|||
| 58 |
|||
| 27 |
|||
|- |
|||
| OP |
|||
| [[オーバープレンドルフ郡]] |
|||
| [[File:Karte A Bgld OP.svg|80px]] |
|||
| {{仮リンク|オーバープレンドルフ|de|Oberpullendorf}} |
|||
| 701.49 |
|||
| 37,384 |
|||
| 53 |
|||
| 28 |
|||
|- |
|||
| OW |
|||
| [[オーバーヴァルト郡]] |
|||
| [[File:Karte A Bgld OW.svg|80px]] |
|||
| {{仮リンク|オーバーヴァルト|de|Oberwart}} |
|||
| 732.62 |
|||
| 54,192 |
|||
| 73 |
|||
| 32 |
|||
|- |
|||
| RU |
|||
| [[ルスト (ブルゲンラント州)|ルスト]] |
|||
| [[File:Karte A Bgld RU.svg|80px]] |
|||
| 憲章都市 |
|||
| 20.01 |
|||
| 1,980 |
|||
| 98 |
|||
| |
|||
|- |
|||
|} |
|||
== シンボル == |
== シンボル == |
||
118行目: | 206行目: | ||
File:Burgenland Wappen.svg|州の紋章 |
File:Burgenland Wappen.svg|州の紋章 |
||
File:Flag of Burgenland.svg|州旗 |
File:Flag of Burgenland.svg|州旗 |
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File: |
File:Flag_of_Burgenland_(state).svg|州政府旗 |
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</gallery> |
</gallery> |
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ブルゲンラント州の紋章は[[1922年]]に制定された。意匠は「地は金色で、黒い岩の上に振り向いた赤い鷲がとまっていて、その鷲は冠をかぶって赤と白毛皮で横四つに塗り分けられた盾を持ち、両翼の上には黒い小十字架」である。これはかつてこの地域の領主であったMattersdorf- |
ブルゲンラント州の紋章は[[1922年]]に制定された。意匠は「地は金色で、黒い岩の上に振り向いた赤い鷲がとまっていて、その鷲は冠をかぶって赤と白毛皮で横四つに塗り分けられた盾を持ち、両翼の上には黒い小十字架」である。これはかつてこの地域の領主であったMattersdorf-Forchtenstein伯(Nagymarton-Fraknó伯、岩にとまる鷲)とギュッシング伯(Németújvár伯、赤と白毛皮の縞)の紋章を組み合わせて作られた。 |
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州旗は州の色である赤と金からなる横縞の二色旗である。こちらは[[1971年]]に公式のものとなった。また州政府の旗は州旗の中央に州の紋章が配されている。 |
州旗は州の色である赤と金からなる横縞の二色旗である。こちらは[[1971年]]に公式のものとなった。また州政府の旗は州旗の中央に州の紋章が配されている。 |
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133行目: | 221行目: | ||
{{オーストリアの地方行政区画}} |
{{オーストリアの地方行政区画}} |
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2024年6月1日 (土) 11:53時点における最新版
- ブルゲンラント州
- Burgenland
-
(州旗) (州の紋章) -
州都 アイゼンシュタット 最大の都市 アイゼンシュタット 州首相 ハンス・ペーター・ドスコーツィル(SPÖ) 面積 3,965.46 km2 (第7位) 人口
- 総計
- 人口密度(2013年1月1日)
286,691 人 (第9位)
72.36 人/km2与党 SPÖ 前回選挙 2020年1月26日 次回選挙 2025年 連邦議会議席数 3 市町村総数
- うち市の数
- うち町の数171
13
67測地系 北緯46度50分-48度7分
東経16度30分-17度6分最高点 ゲシュリーベンシュタイン (884 m) 最低点 アペトロン近郊 (114 m) ISO 3166-2:AT AT-1 ウェブサイト [1]
ブルゲンラント州(ブルゲンラントしゅう、ドイツ語: Burgenland )は、オーストリア共和国を構成する9つの連邦州のひとつ。州都はアイゼンシュタット。1921年にサン=ジェルマン条約とトリアノン条約によってハンガリー王国から領土を割譲され成立した。
名称
[編集]ブルゲンラント(Burgenland)はドイツ語で「城の(多い)州」を意味する。これはハンガリー領であったときに構成していた4県(ポジョニ県・モション県・ショプロン県・ヴァシュ県)のドイツ語名(プレスブルク・ヴィーゼルブルク・エーデンブルク・アイゼンブルク)をまとめる名称として1919年に作られた「フィーアブルゲンラント」(Vierburgenland、4つの城の州の意)という言葉に由来する。プレスブルク(スロバキア語名ブラチスラヴァ)がチェコスロバキア領となるなどしたため「4つの」は落とされたが、この地域には歴史的に東方からの異民族襲来に備えて多くの城があったため、州名として相応しいとして1922年の第1回州議会で採用された。
ハンガリー語では、通常ドイツ語名がそのまま用いられる。しかしこれを翻訳したVárvidékや、かつてこの地域にあった言語島に由来するŐrvidékやFelső-Őrvidékといった名前で呼ばれることもある[1]。
ブルゲンラント・クロアチア語名のGradišće [ɡradiːʃtʃɛ]や、スロベニア語名のGradiščanskoもドイツ語名をそれぞれの言語に翻訳したものである。
地理
[編集]オーストリアの最東部に位置する州で、南北は166kmあるのに対し東西は最狭部(ジークグラーベン)で5kmしかない細長い形をしている。西側はニーダーエスターライヒ州およびシュタイアーマルク州と接しており、東側はスロバキア・ハンガリーおよびスロベニアとの国境となっている。
ブルゲンラントはパンノニア平原の西部にあたり、全域にわたって起伏の少ない平坦な地形である。州全土で農業が盛んで、とくにワインの産地でもある。
ハンガリーとの国境に、ヨーロッパに2つある流出河川のない湖のひとつであるノイジードラー湖(ハンガリー名:フェルテー湖)がある。これは2001年に「フェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観」として世界遺産に登録された。
歴史
[編集]この地域に最初に人が居住したのは石器時代にまでさかのぼる。紀元前後にはローマ帝国に征服され、パンノニア属州に属していた。パンノニアは5世紀頃にローマ帝国からフン族へ割譲され、次いでゲルマン人の支配下に入った。8世紀末にこの地を支配していたアヴァール人はカール大帝の攻撃を受けてフランク王国に服属した。
10世紀はじめに今度はマジャル人がこの地を征服して東フランク王国へ侵入した。彼らはオットー1世に955年のレヒフェルトの戦いで敗れてドイツから撤退したが、パンノニアは引き続きマジャル人の支配下にあった。神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世とハンガリー王ペーテル・オルセオロの間の和約により1043年にライタ川に国境が引かれ、以後1920年までの長きにわたって現在のブルゲンラントにあたる地域はハンガリー王国の西の端となっていた。
中世以降継続的にドイツからの移民があり、また16世紀以降はプロテスタントが神聖ローマ帝国内の宗派対立から逃れてくるようになったため、ハンガリー領内でありながらこの地域はドイツ人が卓越していた。1910年の国勢調査によれば、現在のブルゲンラント州の地域には291,800人の住人がおり、うち217,072人(74%)がドイツ語話者、43,633人(15%)がクロアチア語話者、26,225人(9%)がハンガリー語話者であった(ただしこの統計ではロマは先祖の母語で数えられている)。
1918年に第一次世界大戦に敗れたオーストリア=ハンガリー帝国が解体されると、第一共和政のオーストリアがドイツ人の多いこの地域を領有することになった。しかしこれを巡ってオーストリアとハンガリーの間に紛争がおき、1921年にイタリアの仲裁によって、ヴェネツィア議定書で一部地域では帰属を問う住民投票が行なわれた。この結果ブルゲンラント州の州都となることが予定されていたエーデンブルク(ハンガリー語名ショプロン)とその周辺がハンガリーに残留し、他の地域がブルゲンラント州としてオーストリアの連邦州となった。
1938年にナチス・ドイツによるオーストリア合邦(アンシュルス)がなされると、ブルゲンラント州は分割され、ニーダードナウ帝国大管区およびシュタイアーマルク帝国大管区に分割統合された。
ドイツが第二次世界大戦に敗れた後、旧ブルゲンラント州の領域はソビエト連邦の占領下に置かれた。1955年にオーストリアは連合国との間にオーストリア国家条約を調印して独立を回復し、ブルゲンラント州も再び設置された。国境を接するハンガリーが共産化されたためブルゲンラント州は冷戦の最前線となり、1956年のハンガリー動乱の際には多数の難民が流入した。
1989年7月27日、オーストリア外相アロイス・モックとハンガリー外相ホルン・ジュラはブルゲンラント州クリンゲンバハにあった国境の有刺鉄線を切った。これは鉄のカーテンに穴があけられたことを意味し、汎ヨーロッパ・ピクニック、ひいてはベルリンの壁崩壊につながる出来事であった。
人口統計
[編集]調査年月日 | 人口 |
---|---|
1923年3月7日 | 286,299 |
1951年6月1日 | 276,136 |
1961年3月21日 | 271,001 |
1971年5月12日 | 272,119 |
1981年5月12日 | 269,771 |
1991年5月15日 | 273,541 |
2001年5月15日 | 277,569 |
2016年1月1日 | 291,023 |
言語 | 割合 |
---|---|
ドイツ語 | 90.6% |
ブルゲンラント・クロアチア語 | 6.1% |
ハンガリー語 | 1.8% |
クロアチア語 | 0.4% |
ロマ語 | 0.1% |
スロヴァキア語 | 0.1%以下 |
その他 | 0.9% |
政治
[編集]ブルゲンラント州議会(Landtag)の定数は36議席で、任期は5年である。2003年に、選挙権年齢が16歳に引き下げられた。2020年1月26日に行なわれた直近の選挙では、オーストリア社会民主党(SPÖ)が過半数の19議席を獲得。以下オーストリア国民党(ÖVP)が11議席、オーストリア自由党(FPÖ)が3議席、緑の党が2議席、無所属が1議席を獲得した。2024年現在、社会民主党が州議会の単独与党となっている。
州内閣には7名の閣僚が置かれている。
地方行政
[編集]ブルゲンラント州は7つの郡(Bezirk; 行政管区とも)に分けられる。郡は自治体ではなく、行政事務を処理する州の出先機関である。一方ハンガリー王国時代に自由都市であったアイゼンシュタットとルストは郡に属さない憲章都市(Statutarstadt)に指定されており、両市は郡の業務も独自に処理している。
また、郡の下には合計171の基礎自治体(ゲマインデ)が置かれており、うち13自治体が市(Stadtgemeinde)、67自治体が町(Marktgemeinde; 市場町)の指定を受けている。詳細はブルゲンラント州の地方自治体を参照。
ナンバープレート | 郡名 | 位置 | 郡庁所在地 | 面積 (km2) |
人口 (2020年1月1日) |
人口密度 | 自治体数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
E | アイゼンシュタット | 憲章都市 | 42.88 | 14,816 | 345 | ||
EU | アイゼンシュタット=ウムゲーブング郡 | アイゼンシュタット | 453.14 | 43,236 | 95 | 23 | |
GS | ギュッシング郡 | ギュッシング | 485.44 | 25,699 | 53 | 28 | |
JE | イェンナースドルフ郡 | イェンナースドルフ | 253.35 | 17,097 | 68 | 12 | |
MA | マッテルスブルク郡 | マッテルスブルク | 237.84 | 40,042 | 168 | 19 | |
ND | ノイジードル・アム・ゼー郡 | ノイジードル・アム・ゼー | 1,038.65 | 59,990 | 58 | 27 | |
OP | オーバープレンドルフ郡 | オーバープレンドルフ | 701.49 | 37,384 | 53 | 28 | |
OW | オーバーヴァルト郡 | オーバーヴァルト | 732.62 | 54,192 | 73 | 32 | |
RU | ルスト | 憲章都市 | 20.01 | 1,980 | 98 |
シンボル
[編集]-
州の紋章
-
州旗
-
州政府旗
ブルゲンラント州の紋章は1922年に制定された。意匠は「地は金色で、黒い岩の上に振り向いた赤い鷲がとまっていて、その鷲は冠をかぶって赤と白毛皮で横四つに塗り分けられた盾を持ち、両翼の上には黒い小十字架」である。これはかつてこの地域の領主であったMattersdorf-Forchtenstein伯(Nagymarton-Fraknó伯、岩にとまる鷲)とギュッシング伯(Németújvár伯、赤と白毛皮の縞)の紋章を組み合わせて作られた。
州旗は州の色である赤と金からなる横縞の二色旗である。こちらは1971年に公式のものとなった。また州政府の旗は州旗の中央に州の紋章が配されている。
脚注
[編集]- ^ 今日のハンガリーにおいては、キシュマルトン(アイゼンシュタット)のような例外を除けば、ブルゲンラント内の地名も基本的にドイツ語名を使う。
- ^ "Bevölkerung mit österreichischer Staatsbürgerschaft nach Umgangssprache seit 1971" (HTML, PDF, XLS). STATISTIK AUSTRIA. 6 December 2007. 2013年3月29日閲覧。[リンク切れ]