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== 幼少時代 ==
== 経歴 ==
=== 幼少期 ===
イタリア貴族にして空軍のエースだった[[フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア]]公とその妻ルイーザの三女として、[[イタリア]]の[[フォルテ・デイ・マルミ]]で生まれた。幼少時代を[[ローマ]]で過ごし、[[1946年]]に父を亡くした。ギリシャ=ラテン文学を学び、[[イタリア語]]、[[英語]]、[[フランス語]]を話すことができる。
[[イタリア空軍|空軍]]のエースだったイタリア貴族[[フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア]]公とその妻ルイーザの三女として、[[イタリア王国|イタリア]]の[[フォルテ・デイ・マルミ]]で生まれた。幼少時代を[[ローマ]]で過ごし、[[1946年]]に父を亡くした。ギリシャ=ラテン文学を学び、[[イタリア語]]、[[英語]]、[[フランス語]]を話すことができる。


== リエージュ公妃 ==
=== リエージュ公妃 ===
[[ファイル:Prinses Paola en Prins Albert van Belgie in Amsterdam Prinses Paola in rondvaart, Bestanddeelnr 922-2228.jpg|thumb|240px|リエージュ公妃時代(1969年)]]
[[1958年]]、[[教皇|ローマ教皇]][[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]の即位の式典のために、ベルギー国王の使者としてローマに来た[[リエージュ公]]アルベール王子と出会った。2人は[[1959年]][[7月2日]]に[[ブリュッセル]]で結婚し、バルヴェデール宮殿で暮らし始めた。2人の間には、[[フィリップ・ド・ベルジック (ブラバント公)|フィリップ]]王子、[[アストリッド・ド・ベルジック|アストリッド]]王女、[[ロラン・ド・ベルジック|ロラン]]王子の3子が生まれたが、アルベールとの結婚生活は決して順調ではなった。
[[1958年]]、[[教皇|ローマ教皇]][[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]の即位の式典のために、ベルギー国王の使者としてローマに来た[[リエージュ公]]アルベール王子と出会った。2人は[[1959年]][[7月2日]]に[[ブリュッセル]]で結婚し、バルヴェデール宮殿で暮らし始めた。2人の間には、[[フィリップ (ベルギー王)|フィリップ]]王子(現国王)、[[アストリッド・ド・ベルジック|アストリッド]]王女(オーストリア=エステ大公妃)、[[ロラン・ド・ベルジック|ロラン]]王子の3子が生まれたが、アルベールとの結婚生活は決して順調ではなく、共に愛人の存在があったり、長い期間別居していたために、離婚の調停が進んでいるという噂も起こった。


[[1970年代]]の終わりには、2人の結婚生活は危機を乗り越えた。しかし、王位継承権が第1位であったアルベールのであるにもかかわらず、パオラは公の場に姿を現すことが少なく、公的な役割を十分に果たすことをせず、公衆の前でスピーチをすることは決してなかった。パオラは宮殿内に安らぎを求め、[[ガーデニング]]や[[インテリア]]などに興味を持った。
[[1970年代]]の終わりには、2人の結婚生活は危機を乗り越えた。しかし、王位継承権が第1位であったアルベールのであるにもかかわらず、パオラは公の場に姿を現すことが少なく、公的な役割を十分に果たすことをせず、公衆の前でスピーチをすることは決してなかった。パオラは宮殿内に安らぎを求め、[[ガーデニング]]や[[インテリア]]などに興味を持った。


== ベルギー王妃 ==
=== ベルギー王妃 ===
[[1993年]][[8月9日]]に、アルベールはアルベール2世として国王に即位し、パオラは55歳にして王妃となった。パオラの父方の祖母はブリュッセル出身のベルギー人であり、ベルギー人の血を引く初めての王妃であった。
[[1993年]][[8月9日]]に、アルベールはアルベール2世として国王に即位し、パオラは55歳にして王妃となった。パオラの父方の祖母{{仮リンク|ロール・モセルマン・デュ・シュノワ|fr|Laure Mosselman du Chenoy}}はブリュッセル出身の[[ベルギー人]]であり、ベルギー人の血を引く初めての王妃となった。


== 子女 ==
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* [[ロラン・ド・ベルジック|ロラン]](1963年 - )

== 脚注 ==
<references/>

== 外部リンク ==
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* [http://www.monarchie.be/ ベルギー王室公式サイト] {{nl icon}}{{fr icon}}{{de icon}}{{en icon}}

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パオラ・ルッフォ・ディ・カラブリア
Paola Ruffo di Calabria
ベルギー王妃
2008年撮影
在位 1993年8月9日 - 2013年7月21日

全名 Paola Margherita Maria Antonia Consiglia
パオラ・マルゲリータ・マリーア・アントーニア・コンシーリア
出生 (1937-09-11) 1937年9月11日(86歳)
イタリア王国の旗 イタリア王国フォルテ・デイ・マルミ、ヴィラ・クラウディア
配偶者 アルベール2世
子女 フィリップ
アストリッド
ロラン
家名 ルッフォ・ディ・カラブリア家イタリア語版
父親 フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア
母親 ルイーザ・ガゼッリ・デイ・コンティ・ディ・ロッサーナ
宗教 カトリック教会
テンプレートを表示
ベルギー王室



パオラ・ルッフォ・ディ・カラブリアイタリア語: Paola Ruffo di Calabria, 1937年9月11日 - )は、ベルギー国王アルベール2世の王妃。現国王フィリップの母。

経歴

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幼少期

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空軍のエースだったイタリア貴族フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア公とその妻ルイーザの三女として、イタリアフォルテ・デイ・マルミで生まれた。幼少時代をローマで過ごし、1946年に父を亡くした。ギリシャ=ラテン文学を学び、イタリア語英語フランス語を話すことができる。

リエージュ公妃

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リエージュ公妃時代(1969年)

1958年ローマ教皇ヨハネ23世の即位の式典のために、ベルギー国王の使者としてローマに来たリエージュ公アルベール王子と出会った。2人は1959年7月2日ブリュッセルで結婚し、バルヴェデール宮殿で暮らし始めた。2人の間には、フィリップ王子(現国王)、アストリッド王女(オーストリア=エステ大公妃)、ロラン王子の3子が生まれたが、アルベールとの結婚生活は決して順調ではなく、共に愛人の存在があったり、長い期間別居していたために、離婚の調停が進んでいるという噂も起こった。

1970年代の終わりには、2人の結婚生活は危機を乗り越えた。しかし、王位継承権が第1位であったアルベールの妃であるにもかかわらず、パオラは公の場に姿を現すことが少なく、公的な役割を十分に果たすことをせず、公衆の前でスピーチをすることは決してなかった。パオラは宮殿内に安らぎを求め、ガーデニングインテリアなどに興味を持った。

ベルギー王妃

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1993年8月9日に、アルベールはアルベール2世として国王に即位し、パオラは55歳にして王妃となった。パオラの父方の祖母ロール・モセルマン・デュ・シュノワフランス語版はブリュッセル出身のベルギー人であり、ベルギー人の血を引く初めての王妃となった。

子女

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脚注

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外部リンク

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先代
ファビオラ・デ・モラ・イ・アラゴン
ベルギー王妃
1993年 - 2013年
次代
マティルド・デュデケム・ダコ