コンテンツにスキップ

「アメリカ通信委員会」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
ページ「Committees of Correspondence for Democracy and Socialism」の翻訳により作成
 
編集の要約なし
 
1行目:
 
'''民主主義と社会主義の通信委員会'''、あるいは単に'''アメリカ通信委員会'''<ref name="zenei1" /><ref name="zenei2" />(The '''Committees of Correspondence for Democracy and Socialism ;''' '''CCDS''')は[[アメリカ共産党|アメリカ合衆国共産党]](CPUSA) の穏健派グループとして、1991年に[[民主的社会主義]]グループとして設立された。アメリカ独立革命時の「{{仮リンク|通信委員会|en|Committees of correspondence}}」(Committees of Correspondence)を名前の由来にしたこのグループは、CPUSAにおける[[{{仮リンク|ガス・ホール]]|en|Gus_Hall}}の指導力量を非難し、[[ソビエト連邦の解体]]を踏まえて党はレーニン主義を放棄し複数の潮流を内在する[[民主的社会主義]]を志向すべきだとの立場に立った。 自らを[[マルクス主義]]者と位置付け続けた<ref>{{Cite web |url=http://www.cc-ds.org/publications/goals-principles/ |title=Goals & Principles of the Committees of Correspondence for Democracy and Socialism |publisher=Committees of Correspondence for Democracy and Socialism |access-date=April 6, 2019}}</ref>。
[[File:Committees_of_Correspondence_for_Democracy_and_Socialism_Logo.png|サムネイル|CCDS logo, 2023]]
'''民主主義と社会主義の通信委員会'''、あるいは単に'''アメリカ通信委員会'''(The '''Committees of Correspondence for Democracy and Socialism ;''' '''CCDS''')は[[アメリカ共産党|アメリカ合衆国共産党]](CPUSA) の穏健派グループとして、1991年に[[民主的社会主義者]]グループとして設立された。アメリカ独立革命時の「通信委員会」 Committees of Correspondenceを名前の由来にしたこのグループは、CPUSAにおける[[ガス・ホール]]の指導力量を非難し、[[ソビエト連邦の解体]]を踏まえて党はレーニン主義を放棄し複数の潮流を内在する[[民主的社会主義]]を志向すべきだとの立場に立った。 自らを[[マルクス主義]]者と位置付け続けた<ref>{{Cite web |url=http://www.cc-ds.org/publications/goals-principles/ |title=Goals & Principles of the Committees of Correspondence for Democracy and Socialism |publisher=Committees of Correspondence for Democracy and Socialism |access-date=April 6, 2019}}</ref>。
 
元CPUSA幹部で、[[ピート・シーガー]]や[[アンジェラ・デイヴィス]]とともに活動家として知られる{{仮リンク|ギル・グリーン|en|Gil Green (communist)}}は、1991年の全国会議以来改革運動を指導した<ref>Erwin Marquit and Doris G. Marquit, [https://web.archive.org/web/20070311011756/http://www.mndaily.com/daily/gopher-archives/1992/02/19/Party_survives%2C_but_as_a_shell.txt "Party survives, but as a shell"], ''Minnesota Daily'', February 19, 1992. (Archive.org copy)</ref>。CPUSA内で多数を獲得することができなかったため、この改革を求める派閥はCPUSAを離党した。 新組織設立のための会議が開かれ、CPUSAの伝統にとらわれない独立左派や社会主義者、あるいはその政策に不満を抱いて離党した人々が集まった。 2000年、このグループは「民主主義と社会主義のための通信委員会」に名称を変更した。 CPUSAに加えて、CCDSはアメリカ民主社会党とアメリカ社会党の二重党員であることを認めている。CCDSの出版物には、『対話とイニシアチブ』(Dialogue and Initiative)、『クロスカレント』(Crosscurrents)などがある<ref>[http://www.cc-ds.org Committees of Correspondence for Democracy and Socialism Website]</ref>
 
== 日本共産党との関係 ==
1994年に開かれた日本共産党第20回大会に祝電<ref name="zenei1">『前衛』1994年9月増刊号、新日本出版社。</ref>を、1997年に開かれた日本共産党第21回党大会<ref name="zenei2">『前衛』1997年11月増刊号、新日本出版社。</ref>に来賓を送っている。
 
== 脚注 ==

2024年7月3日 (水) 01:11時点における最新版

民主主義と社会主義の通信委員会、あるいは単にアメリカ通信委員会[1][2](The Committees of Correspondence for Democracy and Socialism ; CCDS)はアメリカ合衆国共産党(CPUSA) の穏健派グループとして、1991年に民主的社会主義者グループとして設立された。アメリカ独立革命時の「通信委員会英語版」(Committees of Correspondence)を名前の由来にしたこのグループは、CPUSAにおけるガス・ホール英語版の指導力量を非難し、ソビエト連邦の解体を踏まえて党はレーニン主義を放棄し複数の潮流を内在する民主的社会主義を志向すべきだとの立場に立った。 自らをマルクス主義者と位置付け続けた[3]

元CPUSA幹部で、ピート・シーガーアンジェラ・デイヴィスとともに活動家として知られるギル・グリーン英語版は、1991年の全国会議以来改革運動を指導した[4]。CPUSA内で多数を獲得することができなかったため、この改革を求める派閥はCPUSAを離党した。 新組織設立のための会議が開かれ、CPUSAの伝統にとらわれない独立左派や社会主義者、あるいはその政策に不満を抱いて離党した人々が集まった。 2000年、このグループは「民主主義と社会主義のための通信委員会」に名称を変更した。 CPUSAに加えて、CCDSはアメリカ民主社会党とアメリカ社会党の二重党員を認めている。CCDSの出版物には、『対話とイニシアチブ』(Dialogue and Initiative)、『クロスカレント』(Crosscurrents)などがある[5]

日本共産党との関係[編集]

1994年に開かれた日本共産党第20回大会に祝電[1]を、1997年に開かれた日本共産党第21回党大会[2]に来賓を送っている。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『前衛』1994年9月増刊号、新日本出版社。
  2. ^ a b 『前衛』1997年11月増刊号、新日本出版社。
  3. ^ Goals & Principles of the Committees of Correspondence for Democracy and Socialism”. Committees of Correspondence for Democracy and Socialism. 2019年4月6日閲覧。
  4. ^ Erwin Marquit and Doris G. Marquit, "Party survives, but as a shell", Minnesota Daily, February 19, 1992. (Archive.org copy)
  5. ^ Committees of Correspondence for Democracy and Socialism Website

外部リンク[編集]