1971年の南海ホークスでは、1971年の南海ホークスの動向をまとめる。

1971年の南海ホークス
成績
パシフィック・リーグ4位
61勝65敗4分 勝率.484[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 大阪球場
球団組織
オーナー 川勝傳
経営母体 南海電気鉄道
監督 野村克也(選手兼任)
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1972 »

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この年の南海ホークスは、野村克也選手兼任監督の2年目のシーズンである。

概要

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野村監督2年目のチームは前年まで投手陣の柱だった杉浦忠が引退したこともあり、投手陣の弱体化が懸念された。5年ぶりの優勝が期待されたチームは開幕から打撃陣が絶好調で、4月は首位の近鉄に次ぐ2位につけたが、5月以降は前年Bクラスの阪急が首位を奪取すると苦しい戦いが続いた。チームは6月以降近鉄との3位争いに終始したが、西岡三四郎門田博光ら若手の活躍もむなしく最後は近鉄に引き離され、優勝の阪急に22.5ゲーム差を付けられて2年ぶりのBクラスに終わった。杉浦が引退した投手陣では西岡や三浦清弘村上雅則などがそれなりの成績を収めたが、2年目の佐藤道郎は相手にマークされたこともあり成績が低下したこともあり、チーム防御率が4.27まで転落した。打撃陣では2年目の門田が前年から成績を伸ばして打点王のタイトルを獲得し、野村や来日2年目のクラレンス・ジョーンズもそれなりの成績を収め、156本塁打はリーグ3位と健闘した。シーズン終了後、ベテラン皆川睦雄が杉浦の後を追うように引退した。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 富田勝
2 広瀬叔功
3 門田博光
4 野村克也
5 ジョーンズ
6 島野育夫
7 藤原満
8 桜井輝秀
9 西岡三四郎
1971年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 近鉄 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 --
2位 阪急 0.5 ロッテ 2.5 ロッテ 6.5 ロッテ 1.0 ロッテ 3.5 ロッテ 3.5
3位 西鉄 1.0 近鉄 6.5 近鉄 14.0 近鉄 15.0 近鉄 15.5 近鉄 18.0
4位 南海 1.5 南海 12.0 南海 17.0 南海 14.5 南海 16.5 南海 22.5
5位 ロッテ 2.0 東映 13.5 東映 21.0 東映 24.0 東映 28.0 東映 35.5
6位 東映 7.0 西鉄 西鉄 24.5 西鉄 26.5 西鉄 32.5 西鉄 43.5


1971年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪急ブレーブス 80 39 11 .672 優勝
2位 ロッテオリオンズ 80 46 4 .635 3.5
3位 近鉄バファローズ 65 60 5 .520 18.0
4位 南海ホークス 61 65 4 .484 22.5
5位 東映フライヤーズ 44 74 12 .373 35.5
6位 西鉄ライオンズ 38 84 8 .311 43.5

オールスターゲーム1971

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コーチ 野村克也
ファン投票 野村克也 島本講平 高橋博
監督推薦 村上雅則
  • 取り消し線は出場辞退

できごと

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選手・スタッフ

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[2]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
門田博光 打点王 120打点 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
野村克也 捕手 2年連続15度目
門田博光 外野手 初受賞

ドラフト

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順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 野崎恒男 投手 富士重工業 入団
2位 飯山正樹 投手 北川工業高 入団
3位 定岡智秋 内野手 鹿児島実業高 入団
4位 片平伸作 内野手 東京農業大学 入団
5位 鶴崎茂樹 内野手 筑紫工業高 入団
6位 山本雅夫 外野手 育英高 入団
7位 土屋明生 投手 関西学院大学 拒否・三菱重工三原入社
8位 慶野茂 外野手 甲府工業高 拒否・電電関東入社
9位 林正広 内野手 住友金属 拒否

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 年度別成績 1971年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月22日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7