1969年の阪急ブレーブスでは、1969年の阪急ブレーブスの動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、西本幸雄監督の7年目のシーズンであり、3年連続のリーグ優勝を果たしたシーズンである。
3連覇を目指すチームはオフのドラフト会議でのちの名選手・山田久志、加藤秀司、福本豊の3人を獲得するなど、暗黒時代を支えたベテランから第2期黄金時代を支える若手への世代交代が図られた。前年4位からの巻き返しを図る近鉄とのマッチレースが5月以降続き、一度は近鉄に流れが傾くが10月中旬の直接対決4連戦に大きく勝ち越して3年連続のリーグ優勝を達成。投手陣では米田哲也・梶本隆夫・足立光宏などが最後までローテを守り、打撃陣では前年レギュラー定着の大熊忠義が1番を打ち、和製大砲の長池徳士も本塁打王と打点王の二冠を獲得するなど4番として奮闘した。日本シリーズは巨人の2勝1敗で迎えた第4戦、4回裏の土井正三のホームスチールを巡って正捕手の岡村浩二が判定に納得できず岡田功球審を殴打して退場すると、岡村の退場後にマスクをかぶった中沢伸二や岡田幸喜の捕手陣が巨人打線の集中打を抑えきれず3対9で敗戦。続く第5戦は接戦の末5対3で勝利して巨人の後楽園球場での胴上げを阻止したものの、西宮での第6戦を落として2勝4敗で敗退。三度巨人に挑戦するも、西本監督の「打倒巨人」は実らなかった。タイトルでは長池が本塁打王&打点王のほかにMVPを、阪本敏三が盗塁王を獲得した。前年ドラフトで1位指名の山田は都市対抗後の8月に入団するが、わずか7試合の登板で0勝1敗に終わった。
1969年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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阪急 |
--
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阪急 |
--
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阪急 |
--
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阪急 |
--
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阪急 |
--
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阪急 |
--
|
阪急 |
--
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2位
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東映 |
3.5
|
近鉄 |
2.5
|
近鉄 |
0.5
|
近鉄 |
0.0
|
近鉄 |
0.5
|
近鉄 |
1.0
|
近鉄 |
2.0
|
3位
|
ロッテ |
4.0
|
東映 |
6.0
|
東映 |
8.0
|
東映 |
6.0
|
ロッテ |
8.0
|
ロッテ |
6.5
|
ロッテ |
5.5
|
4位
|
南海 |
6.0
|
ロッテ |
7.0
|
ロッテ |
8.0
|
ロッテ |
8.5
|
東映 |
14.5
|
東映 |
17.0
|
東映 |
19.5
|
5位
|
西鉄
|
南海 |
7.5
|
西鉄 |
9.0
|
西鉄 |
12.0
|
西鉄 |
15.0
|
西鉄 |
20.5
|
西鉄 |
25.0
|
6位
|
近鉄 |
7.5
|
西鉄 |
10.0
|
南海 |
16.5
|
南海 |
18.5
|
南海 |
22.0
|
南海 |
24.0
|
南海 |
26.0
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1969年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月26日(日) |
第1戦 |
読売ジャイアンツ |
6 - 5 |
阪急ブレーブス |
阪急西宮球場
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10月27日(月) |
第2戦 |
読売ジャイアンツ |
1 - 2 |
阪急ブレーブス
|
10月28日(火) |
移動日
|
10月29日(水) |
第3戦 |
阪急ブレーブス |
3 - 7 |
読売ジャイアンツ |
後楽園球場
|
10月30日(木) |
第4戦 |
阪急ブレーブス |
4 - 9 |
読売ジャイアンツ
|
10月31日(金) |
第5戦 |
阪急ブレーブス |
5 - 3 |
読売ジャイアンツ
|
11月1日(土) |
移動日
|
11月2日(日) |
第6戦 |
読売ジャイアンツ |
9 - 2 |
阪急ブレーブス |
阪急西宮球場
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優勝:読売ジャイアンツ(5年連続11回目)
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[1]
ベストナイン
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選手名 |
ポジション |
回数
|
岡村浩二 |
捕手 |
初受賞
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阪本敏三 |
遊撃手 |
2年連続2度目
|
長池徳二 |
外野手 |
2年ぶり2度目
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