1936年の野球
競技結果
編集日本プロ野球
編集公式戦
編集第1回日本職業野球リーグ戦(春季)
編集このシーズンは7球団のうち東京巨人軍を除く6球団が参加したが3つの大会全て参加したのは名古屋金鯱軍を除く5球団で、長期リーグ戦ではなく、甲子園大会・鳴海大会・宝塚大会の3つの大会による短期リーグ戦で、優勝球団はもちろん全球団の順位を定めなかった。
球団 | 甲子園大会 | 鳴海大会 | 宝塚大会 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
勝(引)敗 | 勝(引)敗 | 勝(引)敗 | |||||
東京巨人軍 | アメリカ合衆国遠征のため、不参加 | ||||||
大阪タイガース | 3(0)2 | 1(0)1 | 1(0)1 | ||||
名古屋軍 | 2(0)3 | 1(0)1 | 0(0)2 | ||||
東京セネタース | 4(0)1 | 3(0)0 | 2(0)0 | ||||
阪急軍 | 2(0)3 | 1(0)2 | 2(0)0 | ||||
大東京軍 | 0(1)4 | 0(0)2 | 0(0)2 | ||||
名古屋金鯱軍 | 3(1)1 | 不参加 |
※網掛けは各大会の首位球団。
連盟結成記念全日本野球選手権(夏季)
編集このシーズンは7球団が参加し、東京市・大阪市・名古屋市の3大都市でトーナメント戦を行い、東京大会と名古屋大会は敗者復活戦付きで行われた。
球団 | トーナメント戦 | ||
---|---|---|---|
東京大会 | 大阪大会 | 名古屋大会 | |
東京巨人軍 | 敗者復活戦敗退 | 1回戦敗退 | 敗者復活戦敗退 |
大阪タイガース | 準決勝敗退 | 1回戦敗退 | 首位 |
名古屋軍 | 首位 | 準決勝敗退(シード) | 敗者復活後敗退 |
東京セネタース | 決勝敗退 | 決勝敗退 | 準決勝敗退 |
阪急軍 | 準決勝敗退 | 首位 | 決勝敗退 |
大東京軍 | 敗者復活戦敗退 | 1回戦敗退 | 敗者復活戦敗退 |
名古屋金鯱軍 | 敗者復活後敗退 | 準決勝敗退 | 準決勝敗退 |
※網掛けは各大会の首位球団。
各大会の首位球団でプレーオフを行い、最終的な優勝球団を決定する予定であったが、会場である野球場が確保できなかったため、プレーオフは開催されず、前シーズンに続いて優勝球団はもちろん全球団の順位を定めなかった。
第2回全日本野球選手権(秋季)
編集このシーズンは7球団が参加し、東京大会で総当たりリーグ戦を2回、大阪大会で総当たりリーグ戦2回、トーナメント戦1回、名古屋大会でトーナメント戦1回を行い、各大会の首位球団に勝ち点1(複数の場合は均等割り)を与え、最終的に勝ち点の多い球団を総合優勝とした。
球団 | リーグ戦 | トーナメント戦 | リーグ戦 | 勝ち点 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
大阪大会 | 名古屋大会 | 大阪大会 | 東京大会 | 大阪大会 | 東京大会 | ||
勝(引)敗 | 成績 | 勝(引)敗 | 勝(引)敗 | 勝(引)敗 | |||
東京巨人軍 | 5(0)1 | 1回戦敗退 | 首位(シード) | 4(0)2 | 5(0)1 | 2(0)4 | 2.5 |
大阪タイガース | 4(0)2 | 首位 | 準決勝敗退(3位) | 5(0)1 | 5(0)1 | 5(0)1 | 2.5 |
名古屋軍 | 3(0)3 | 1回戦敗退 | 1回戦敗退 | 5(0)1 | 2(0)4 | 2(0)4 | 0.5 |
東京セネタース | 2(0)4 | 決勝敗退 | 1回戦敗退 | 3(0)3 | 2(0)4 | 3(0)3 | 0 |
阪急軍 | 3(1)2 | 準決勝敗退(3位) | 決勝敗退 | 2(0)4 | 3(0)3 | 5(0)1 | 0.5 |
大東京軍 | 2(1)3 | 準決勝敗退(4位、シード) | 1回戦敗退 | 0(0)6 | 0(0)6 | 3(0)3 | 0 |
名古屋金鯱軍 | 1(0)5 | 1回戦敗退 | 準決勝敗退(4位) | 2(0)4 | 4(0)2 | 1(0)5 | 0 |
※網掛けは各大会の首位球団。
東京巨人軍と大阪タイガースが勝ち点2.5で並んだため、両球団による年度優勝決定戦が洲崎球場で行われることになった[2]。
- 年度優勝決定戦
- 第1試合(12月9日)東京巨人軍 5-3 大阪タイガース
- 第2試合(12月10日)東京巨人軍 3-5 大阪タイガース
- 第3試合(12月11日)東京巨人軍 4-2 大阪タイガース
個人タイトル
編集タイトル | 選手 | 球団 | 成績 |
---|---|---|---|
首位打者 | 中根之 | 名古屋 | .376 |
本塁打王 | 古谷倉之助 山下実 藤村富美男 |
金鯱 阪急 大阪 |
2本 |
打点王 | 古谷倉之助 | 金鯱 | 23点 |
盗塁王 | 苅田久徳 | 東京セネタース | 16個 |
最優秀防御率 | 景浦將 | 大阪 | 0.79 |
最多勝利 | 沢村栄治 | 巨人 | 13勝 |
最多奪三振 | 内藤幸三 | 金鯱 | 139個 |
最高勝率 | 景浦將 | 大阪 | 1.000 |
社会人野球
編集→詳細は「第10回都市対抗野球大会」を参照
- 決勝(明治神宮野球場・8月10日)
東京大学野球
編集中等野球
編集- 第13回選抜中等学校野球大会決勝(阪神甲子園球場・4月5日)
- 第22回全国中等学校優勝野球大会決勝(阪神甲子園球場・8月20日)
メジャーリーグ
編集→詳細は「1936年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ) (4勝2敗) ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ・リーグ)
できごと
編集この節の加筆が望まれています。 |
1月
編集- 1月5日 - 東京巨人軍の二出川延明が名古屋金鯱軍に移籍、日本プロ野球初のトレードとされている[3]。
- 1月15日 - 名古屋軍設立、初代監督に池田豊が就任[4]。
- 1月23日 - 大阪阪急野球協会(阪急軍)設立。
2月
編集- 2月5日 - 日本職業野球連盟が結成される[3]。
- 2月9日 - 日本のプロ野球でリーグ組織が発足してから、日本のプロ野球球団同士に於ける初めての試合である[5]東京巨人軍対名古屋金鯱軍戦が行われ、3対10で名古屋金鯱軍が勝利した。
- 2月11日 - 大阪タイガース初練習[6]。
- 2月15日 - 大東京軍設立[4]。
- 2月 - 巨人は2月11日までの試合の直後に2度目のアメリカ遠征を行っており、この年4月からの春季公式戦には参加していない。遠征では42勝32敗1分の成績を残している。遠征中に藤本定義が監督就任[7]。
- 2月28日 - 名古屋野球倶楽部(名古屋金鯱軍)設立、初代監督に岡田源三郎が就任[4]。
3月
編集4月
編集- 4月5日 - 選抜中等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、愛知県の愛知商業が群馬県の桐生中学を2対1で勝利し、初優勝を達成する。
- 4月25日 - 日本職業野球連盟、公報創刊[3]。
- 4月29日 - 日本プロ野球史上初のリーグ公式戦[9]、日本職業野球連盟公式戦が開幕。甲子園球場で、大東京軍対名古屋軍戦、大阪タイガース対名古屋金鯱軍戦、東京セネタース対阪急軍戦が行われ、それぞれ5対8、3対0、9対2で名古屋軍、大阪タイガース、東京セネタースが勝利を飾った。大阪の藤村富美男は、日本プロ野球史上初のプロ入り初登板初完封勝利を記録[10]。
- 4月30日 - 大阪が対名古屋戦(甲子園)において、1回、戦前の日本プロ野球記録となる、1イニング10安打、10打数連続安打を記録。試合は17対3で大阪が勝利[11]。
5月
編集- 5月2日 - 沢東洋男が日本職業野球連盟審判部長に就任[4]。
- 5月4日 - 大阪の藤井勇が対東京セネターズ戦の5回裏、野口明から日本プロ野球第1号本塁打をランニングホームランで記録[12]。
- 5月24日 -【MLB】 ニューヨーク・ジャイアンツのサム・レズリーがサイクル安打を達成する。
7月
編集- 7月1日 - 日本職業野球連盟結成記念全日本野球選手権試合が開幕する[7]。
- 7月11日 - 全国実業専門学校野球連盟結成。
- 7月29日 - 大阪の森茂雄監督が解任され、後任に石本秀一が就任[13]。
8月
編集- 8月10日 - 都市対抗野球大会の決勝戦が明治神宮野球場で行われ、門司市の門司鉄道局が5-1で大連市の満州倶楽部を破り、初優勝を達成する。
- 8月15日 - 全国中等学校優勝野球大会の2回戦において、和歌山県の和歌山商の小林悟桜が対福井商戦でノーヒットノーランを達成する。
- 8月20日 - 全国中等学校優勝野球大会の決勝戦が甲子園で行われ、岐阜県の岐阜商業が京都府の平安中学を9対1で勝利し、初優勝を達成する。
9月
編集- 9月18日 - 大東京の桜井七之助が対大阪戦(甲子園)で、8イニングを日本プロ野球記録(当時)の12与四球を記録[14]。
- 9月25日 - 巨人の沢村栄治が対大阪戦(甲子園)で、日本プロ野球史上初のノーヒットノーランを達成し、最終スコアは1対0だった[15] 。
10月
編集- 10月6日 -【MLB】ワールドシリーズの第6戦がポロ・グラウンズで行われ、アメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキースが、ナショナルリーグのニューヨーク・ジャイアンツに13対5で勝利し、ヤンキースが通算4勝2敗として4年ぶり5度目の優勝を達成する。
- 10月13日 - 洲崎球場が完成[3]。
- 10月24日 - 大阪タイガース対大東京軍戦(宝塚球場)で大阪13、大東京5の合わせて18盗塁を記録、大阪の13はチーム1試合最多、合計18は1試合最多のそれぞれ日本プロ野球記録。また日本プロ野球史上初の「ボールカウント間違い」の誤審が発生し、この影響で日本プロ野球史上初の三重盗が記録された(詳細はこちらを参照)[16]。
- 10月25日 - 東京野球大学連盟、東宮拝受10周年記念祝賀会を開催[3]。
11月
編集- 11月 - 大阪毎日新聞、都市対抗野球大会の最優秀選手賞として橋戸賞を設置[3]。
- 11月19日 - 新日本専門野球連盟の結成が報じられる[3]。
- 11月22日 - 大東京軍が対名古屋戦(甲子園)に敗れ、16連敗を記録した[17]。
12月
編集誕生
編集1月
編集2月
編集3月
編集4月
編集5月
編集6月
編集7月
編集- 7月13日 - 佐藤公博
- 7月14日 - 鵜狩道夫(+ 2018年)
- 7月19日 - 橋本敬包(+ 2007年)
- 7月20日 - ジム・マクマナス
- 7月22日 - 中村敏行(+ 1979年)
- 7月24日 - マイク・ソロムコ
- 7月25日 - 稲川誠
- 7月28日 - 浅越桂一(+ 2011年)
8月
編集- 8月8日 - フランク・ハワード
- 8月10日 - 梅本正之
- 8月17日 - 玉造陽二
- 8月18日 - 柳田利夫
- 8月22日 - 若生忠男(+ 1998年)
- 8月27日 - 広瀬叔功
- 8月28日 - 田沢芳夫(+ 2008年)
9月
編集10月
編集11月
編集12月
編集死去
編集脚注
編集- ^ “幻の“日本シリーズ” 〜フィルムからよみがえる選手たち〜”. クローズアップ現代. 日本放送協会. 2015年11月29日閲覧。
- ^ 2010年代になって、この試合を記録した2分程度の動画フィルムが神奈川県で発見され、NHKによる画像修正作業を経て2015年6月11日のNHK総合『クローズアップ現代』で放送された[1]。
- ^ a b c d e f g 岸野雄三 ほか『近代体育スポーツ年表 1800→1997』大修館書店、1999年、164-165頁。ISBN 4469264083。
- ^ a b c d 中日ドラゴンズ 編『中日ドラゴンズ70年史』中日新聞社、2006年、42頁。ISBN 4806205141。
- ^ リーグ組織の発足前では、1923年6月21日に日本運動協会対天勝野球団が日本のプロ野球球団同士における初めての試合が行われた。
- ^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2011年12月19日、45頁。
- ^ a b “巨人軍年表”. 読売巨人軍公式サイト. 2015年11月29日閲覧。
- ^ “年度別成績”. 日本野球機構. 2015年11月29日閲覧。
- ^ 日本野球機構の公式サイトの年度別成績ではこのリーグ戦からの記録を記載している[8]。
- ^ 宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、853頁。ISBN 4062061082。
- ^ 宇佐美徹也 1993, p. 573.
- ^ 『阪神タイガース70年史 猛虎伝説』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2005年、25頁。ISBN 4583613210。
- ^ タイガース70年史 2005, p. 20.
- ^ 宇佐美徹也 1993, p. 634.
- ^ “無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. 2015年11月29日閲覧。
- ^ 宇佐美徹也 1993, pp. 617, 717.
- ^ それから62年後の1998年に千葉ロッテマリーンズが更新するまでの日本プロ野球ワースト記録であった。