鼓吹司
職掌
編集律令制下の軍を指揮するための、鼓吹による信号体系の「陣法」を教習したもので、鼓吹戸が所属し、鼓吹師・鼓吹生も所属していたことが、『令集解』「古記」に記されている。軍団でも同じ陣法に基づいて兵士を訓練することになっており、毎月3月1日に「鼓吹司試生儀」を行うことになっていた。
「吹」は大角・小角を指し、軍旅を整えるのに吹角を本とし、征戦には鉦鼓を先とし、喪葬令によると、親王・三位の貴族・大納言以上の葬送には鉦鼓を用いるとなっている。
正・佑・大令史・少令史各一名の四等官、および使部10人、直丁と鼓吹戸から構成されており[1]、鼓吹戸は調を免除されている。延暦15年(796年)に伴部として吹部34人を設け[2]、同19年に大笛長上を廃して、鉦鼓長上を置き、官位は吹角長上と同じにしたとなっている。大同3年(808年)、治部省喪儀司を併せ、翌年史生を2名新しく設置したが[3]、寛平8年(896年)、左右兵庫・造兵の2司とともに兵庫寮となった。