黙庵
鎌倉時代末期~南北朝時代の絵仏師、水墨画家
黙庵(もくあん、生没年不詳)は、鎌倉時代末期~南北朝時代にかけての絵仏師、水墨画家。法諱は、初め是一、のち霊淵。可翁や鉄舟徳済らと共に日本の初期禅林画僧を代表する存在として名高い。中国の画僧「牧谿の再来」と評された。
見山崇喜(けんざんすうき)[1]の弟子で、1320年代後半から30年代初めに元に渡る。その目的は、当時日本の禅僧にとって憧れだった古林清茂に参ずることであったが、古林は既に没していたらしく、その高弟の了庵清欲らに師事。古林の語録の出版に尽力するかたわら画を描き、至正5年(1345年)頃客死した。
元の高僧の賛をもつ黙庵の作品が日本に逆輸入され,長らく中国の画僧と誤解されていた。しかし、大正時代に義堂周信の日記『空華日用工夫略集』の逸文が発見され、その記述により黙庵の概略が明らかになった。
主な作品
編集参考文献
編集- 海老根聰郎『日本の美術333 水墨画─黙庵から明兆へ』至文堂、1994年 ISBN 978-4-784-33333-2
外部リンク
編集- 『黙庵』 - コトバンク
- 『黙庵霊淵』 -コトバンク