飛騨国分寺
岐阜県高山市にある寺院
飛騨国分寺(ひだこくぶんじ)は、岐阜県高山市にある高野山真言宗の寺院である (国は旧字体「國」が正式)。山号は医王山(医は旧字体「醫」が正式)。
飛騨国分寺 | |
---|---|
本堂 | |
所在地 | 岐阜県高山市総和町1-83 |
位置 | 北緯36度8分36.06秒 東経137度15分13.3秒 / 北緯36.1433500度 東経137.253694度座標: 北緯36度8分36.06秒 東経137度15分13.3秒 / 北緯36.1433500度 東経137.253694度 |
山号 | 醫王山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 薬師如来坐像(国の重要文化財) |
創建年 | 746年(天平18年)頃 |
開基 | 行基、聖武天皇(勅願) |
正式名 | 金光明四天王護国之寺 |
札所等 | 飛騨三十三観音霊場第一札所、中部四十九薬師霊場四十一札所 |
文化財 |
本堂、木造薬師如来坐像、木造聖観音菩薩立像、小烏丸の太刀(重要文化財) 塔跡(国の史跡) 三重塔、木造阿弥陀如来坐像、木造不動明王立像(県文化財) |
公式サイト | 醫王山 飛騨国分寺 |
法人番号 | 1200005009874 |
沿革
編集741年(天平13年)、聖武天皇により国分寺建立の詔が発せられ、746年(天平18年)頃、行基によって建立されたという。
819年(弘仁10年)、火災で焼失。855年(斉衡2年)ころ、再建される。
室町時代に本堂が再建されるが、詳しい時期は不明である。七重塔(現三重塔)に再建記録とほぼ同じと推測すると、応永年間に焼失後再建され、1585年(天正13年)、金森長近が姉小路頼綱の松倉城を攻めたさいの兵火で焼失する。この後、再建と考えられる。
1615年(元和元年)に三重塔が再建されるが、1791年(寛政3年)に暴風雨で倒壊。1821年(文政4年)再建されたのが現在の塔である。
1695年(元禄8年)、飛騨国が天領となり、高山城が取り壊され、一部は飛騨国分寺に移築され、鐘楼門などに利用されたという。
伽藍
編集- 山門
- 本堂
- 大師堂
- 庫裏
- 鐘楼堂(鐘門形式)
- 三重塔
- 不動堂
- 庚申堂
文化財
編集- 重要文化財(国指定)
- 本堂(室町中期)
- 木造薬師如来坐像(平安時代) - 一木彫成。像高145.7センチメートル。
- 木造聖観音菩薩立像(平安時代) - 伝飛騨国分尼寺本尊。像高204センチメートル。
- 太刀(小烏丸(こがらすまる)の太刀、伝高原諏訪城城主江馬氏家宝)
- 史跡(国指定)
- 飛騨国分寺塔跡(奈良時代) - 七重大塔の心礎(心柱の礎石)、上面に径1.3メートルの円柱座と舎利孔がある。
- 天然記念物(国指定)
- 飛騨国分寺の大イチョウ[1] - 推定樹齢1250年、幹周10メートル、高さ28メートルの大イチョウ。古来「乳イチョウ」と呼ぶ。
- 岐阜県指定重要文化財
- 高山市指定文化財
- その他の文化財
所在地・アクセス
編集- 岐阜県高山市総和町1-83
- 東海旅客鉄道(JR東海)高山本線高山駅および高山濃飛バスセンターから徒歩5分