金明濬
金 明濬(キム・ミョンジュン、朝鮮語: 김명준、明治3年10月〈1870年〉 - 没年不明)は、大韓帝国の官僚[1]、政治活動家、日本統治時代の朝鮮の政治家。貴族院朝鮮・台湾勅選議員。日本名は金田 明(かねた あきら)。位階は従四位[2]。
生涯
編集本籍地は京城府。大韓帝国宮内府秘書官、一進会会員、国民協会副会長を歴任した[1][3]。1920年に京畿道の中枢院参議候補となり、その後任命され、中枢院学芸部主査委員を務めた[1]。1945年4月からは貴族院朝鮮・台湾勅選議員を務めた[2]。
死後の評価
編集2002年に韓国国会民族正気の会が発表した親日派708人名簿に収録される[3]。また、親日反民族行為者にも認定された[4]。
脚注
編集- ^ a b c 李承烈 (2008-1-31). 松田利彦. ed. “朝鮮議会設置要求と総督政治の近代性をめぐる問題”. 日本の朝鮮・台湾支配と植民地官僚 (京都: 国際日本文化研究センター) 30: 267-282.
- ^ a b 衆議院, 参議院: “議会制度七十年史. 第1”. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 222 (1960年12月). 2022年6月22日閲覧。
- ^ a b “국회민족정기모임 발표 친일파 708명 명단(한자이름)”. ハンギョレ (2002年2月28日). 2022年6月22日閲覧。
- ^ “06년 12월6일 이완용 등 친일반민족행위자 106명 명단 확정 공개” (朝鮮語). 한국일보 (2021年12月6日). 2022年7月25日閲覧。