赤尾ダム
赤尾ダム(あかおダム)は、富山県南砺市、一級河川・庄川水系庄川に建設されたダム。高さ29.2メートルの重力式コンクリートダムで、関西電力の発電用ダムである。同社の水力発電所・赤尾発電所に送水し、最大3万2,500キロワットの電力を発生する。
赤尾ダム | |
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左岸所在地 | 富山県南砺市大字西赤尾町字村上 |
位置 | |
河川 | 庄川水系庄川 |
ダム諸元 | |
ダム型式 | 重力式コンクリートダム |
堤高 | 29.2 m |
堤頂長 | 153.4 m |
堤体積 | 28,000 m3 |
流域面積 | 778.1 km2 |
湛水面積 | 26 ha |
総貯水容量 | 1,465,000 m3 |
有効貯水容量 | 749,000 m3 |
利用目的 | 発電 |
事業主体 | 関西電力 |
電気事業者 | 関西電力 |
発電所名 (認可出力) | 赤尾発電所 (32,500kW) |
施工業者 | 佐藤工業 |
着手年 / 竣工年 | 1974年 / 1978年 |
出典 | [1] |
歴史
編集1951年(昭和26年)、日本発送電の分割・民営化に伴い、庄川の水力発電所群は関西電力に継承された。庄川では既に小牧ダムや祖山ダム、小原ダムといった大規模な発電用ダムが完成しており、それらの上流では成出ダムが建設中であった。事業を引き継いだ関西電力は成出ダムに加え、上流の椿原ダムや鳩谷ダムを1950年代中に完成させている。1960年代に入ると、これら関西電力の水力発電所群の上流において建設されていた電源開発の御母衣ダムが完成。その後、関西電力は既存のダムに対する再開発事業を展開し、新祖山発電所・新成出発電所・新椿原発電所・新小原発電所が続々と運転を開始した。
こうしたダム再開発事業と並行して、関西電力は新規のダム建設も実施。開発の余地が残されていた成出ダムと小原ダムとの間に赤尾ダムおよび赤尾発電所が建設された[2]。赤尾ダムは1978年(昭和53年)に完成し、同年9月26日に湛水式が挙行された[3]。赤尾発電所は同年10月26日に運転を開始している[4]。
周辺
編集東海北陸自動車道・五箇山インターチェンジから国道156号を南下すると赤尾ダムに至る。手前には道の駅上平があり、建物の裏手に回ると赤尾ダムを下流側から望むことができる。赤尾ダムの左岸に赤尾発電所があり、その内部には富士電機製の水車発電機が1台設置されている。発電用水車として採用されたのは横軸円筒形可動羽根プロペラ水車(バルブ型チューブラ水車)で、5枚羽根の羽根車(ランナ)の直径は5.1メートルもある。建設時に比較相手となった立軸カプラン水車に対し、水の流れが直線的に作用するので、より幅広い流量範囲において効率よく運転することができるという[5]。
道の駅上平からは、庄川を挟んで対岸に真背戸の滝を望むことができる。かつて当地には巨大な岩があり、その上から望む滝は格別と言われたが、その岩は赤尾ダムの建設により失われてしまったという[6]。
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赤尾ダム(上流側)
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赤尾ダム湖
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真背戸の滝
脚注
編集- ^ 電気事業者・発電所名(認可出力)については「水力発電所データベース」、その他は「ダム便覧」による(2011年1月10日閲覧)。
- ^ 水力発電所データベース 赤尾発電所[リンク切れ](2008年3月31日入力、2011年1月10日閲覧)より。
- ^ 『北日本新聞』1978年9月28日付朝刊15面『赤尾ダムで湛水式 発電開始は12月上旬 上平村』より。
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第3巻』(2000年11月26日、北日本新聞社発行)152頁。
- ^ 「関西電力・赤尾発電所向けチューブラ水車・発電機」より。
- ^ 「真背戸の滝」(道の駅上平にある案内板)より。
参考文献
編集- 秋山英明・矢野公惟・大和昌一・仲田冭・秦恵一「関西電力・赤尾発電所向けチューブラ水車・発電機」『富士時報 第50巻 第10号』富士電機、1977年。
関連項目
編集- ダム
- 日本のダム - 日本のダム一覧
- 重力式コンクリートダム - 日本の重力式ダム一覧
- 電力会社管理ダム - 日本の発電用ダム一覧
- 水力発電
- 関西電力
- 御母衣ダム - 鳩谷ダム - 椿原ダム - 成出ダム - 小原ダム (富山県) - 祖山ダム - 小牧ダム - 庄川合口ダム
- 真背戸の滝
- 中部地方のダム一覧