賣太神社
賣太神社(めたじんじゃ、売太神社)は、奈良県大和郡山市の稗田環濠集落の端にある神社である。式内社で、旧社格は県社。
賣太神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 奈良県大和郡山市稗田町319 |
位置 | 北緯34度38分21秒 東経135度47分46秒 / 北緯34.63917度 東経135.79611度座標: 北緯34度38分21秒 東経135度47分46秒 / 北緯34.63917度 東経135.79611度 |
主祭神 | 稗田阿礼 |
社格等 |
式内社(小) 旧県社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 春日造 |
例祭 | 10月19日 |
主な神事 | 阿礼祭(8月16日) |
祭神
編集古事記編纂に携わった稗田阿礼を主斎神(主祭神)、天鈿女命、猿田彦命を副斎神(配祀神)として祀る。
稗田阿礼命は学問の神、物語の神。天鈿女命は芸能の始祖神。猿田彦命は土地・方位の神であり、天鈿女命の夫神である。稗田阿礼は猿女君稗田氏の出で、天鈿女命は猿女君の祖神・氏神である。
中世には「祭神不詳」とされていた。
歴史
編集稗田は天鈿女命を祖とする猿女君稗田氏の本拠地であり、祖先の廟祠として推古朝時代までには創建されたものとみられる。奈良時代には、稗田集落西辺に、平城京に通じる水陸両用の主要幹線道路である「下つ道」もあり、そこから多数の祭祀道具が発掘されたため、かつてこの神社は平城京の羅城門付近に存在しており、都に出入りする人々の穢れを払い、また、交通の安全を祈願する神事の場所でもあったことから、道祖神としての役割もあったとされる。
延喜式神名帳に「大和国添上郡 賣太神社」と記載され、小社に列している。
社名の由来として、猿女君が天皇より多くの養田を賜り、その田を猿女田と呼び、その持ち主を猿女田主と呼んでいたため、後に「猿」の字を略して女田主と呼ぶようになり、その祖神を祀るこの神社を「賣太神社」と称する事になった説が有力である。
江戸時代までは「三社明神」と呼ばれており、1874年(明治7年)に「十三社明神」となり、1891年(明治24年)に「賣田神社」、1942年(昭和17年)に現在の「賣太神社」に改称した。
祭事
編集阿礼祭
編集毎年8月16日に行われる阿礼祭(あれいさい)は、稗田阿礼の遺徳を偲ぶ祭である。児童文学者の久留島武彦が、アンデルセンに匹敵する「話の神様」は稗田阿礼が最もふさわしいと、全国各地の童話家の協力を得て1930年(昭和5年)に始めたものである。
稗田舞の奉納の後、地域の子供たちが阿礼様音頭、阿礼様祭子どもの歌を奉納する。童話の読み聞かせなども行われる。
施設
編集- 春日神社
- 嚴島神社
- 八柱神社
- 語り部の碑
脚註
編集- ^ 稗田阿礼たたえ奉祝祭 古事記編纂1300年で 産経新聞 2012年4月30日閲覧