方言

ある地域で用いられる言語の体系。または共通語と事なる言語体系。
訛りから転送)
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方言 (ほうげん)は、ある言語が地域によって別々な発達をし、音韻文法語彙などの上で相違のあるいくつかの言語圏に分かれていると見なされた時の、それぞれの地域の言語体系のこと[1]言語変種の一つ。同一地域であっても、社会階層民族ジェンダーといった社会集団の違いなどによって言語体系は異なるが、「方言」という概念にそうした多様性を含める場合、地域による違いを地域方言、社会集団などによる違いを社会方言と言う[2]

概説

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言語は変化しやすいものであるため、地域ごと、話者の集団ごとに必然的に多様化していく傾向があり、発音や語彙、文法に相違が生じ、部分的に他の地域とは異なる特徴を持つようになったものを方言と呼ぶ。時が経ち、方言同士がそれぞれ異なる方向に変化し、やがて意思の疎通ができなくなると、ある段階で各々の方言は別言語だとみなされるようになる。同じ語族に属する言語とは、理論上、そもそも同じ言語(祖語)の方言がさらに変化して別言語に枝分かれしたものである。

一般に「方言」という用語は、標準語共通語といった規範的な言葉とは異なる特徴の言葉を指すことが多いが[2]、言語学における「方言」は、規範的な言葉との近さだけに限定せず地域の言語体系を捉えようとするものである。また、その方言に特有の単語のみを指して「方言」と言うことがあるが[3]、それについては俚言(りげん)という用語がある[2]

日本語の「方言」にあたる英語には"accent"と"dialect"があるが、"accent"は「訛り・方言」についての一般的な単語で、"dialect"はやや学術的な感じを持つ。社会言語学での主流の解釈では、"accent"は日本語の「訛り」に対比される。「訛り」とは、方言の一要素であり「ある言語内における発音の個人や社会集団差」である。それに対して"dialect"は日本語の「方言」に対比され、発音に限らない言語体系の多様性を表し「ある言語内における発音や文法、語彙といった言語体系全体の個人や社会集団差」とされる[4][5]。なお、英語圏の言語学者が"dialect"と言う場合、職業・趣味などが一致する者同士の間でのみ通じる表現(専門用語業界用語隠語符牒)を含むことがある。

「言語」との違い

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言語学的には、言語と方言は、相互理解可能性によって区別される。話者Aと話者Bがそれぞれの場合で、単一の母語を持ち、この母語だけで話すとしたとき、Aがその母語を使ってBに話し、BがAの話した内容を理解できないとき、二人の話す母語はそれぞれに独立した言語である。理解できる場合はAとBは同じ言語の方言となる。

ただし実際には、「同語族・同語派・同語群の別の言語」と「同一言語の中の方言」の違いは曖昧である。隣接するA地方とB地方、B地方とC地方ではそれぞれ意思疎通が可能でも、A地方とC地方では意思疎通ができなくなるような例もある(方言連続体)。国境の有無や、友好国同士か敵対国同士かというような政治的・歴史的な条件、正書法の有無・差異などを根拠に「言語」と「方言」の区別が議論されることもある。「言語」と「方言」を分ける客観的基準は存在せず、「世界にいくつの言語が存在するか」という質問への明確な答えも存在しない[6]。「言語」と「方言」の違いを説く有名な警句に「言語とは、陸軍と海軍を持つ方言のことである」というものがある。

ユネスコでは「言語」と「方言」を区別せず、全て「言語」として統一して取り扱っている。

各国での方言の実例

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「言語」と「方言」の境界が曖昧な事例は、世界中で見られる。

近代(国民)国家と標準語政策

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近代に至り、フランスをはじめとするヨーロッパ各国では、国民形成、国民統合と国民国家建設に欠かせない要件として、首都など有力な地域の方言をもとに国語標準語を整備し、国中に普及させる政策が取られるようになった。標準語に選ばれなかった方言は多くの場合、標準語普及を阻害する存在として否定的に扱われ、地位の低下を余儀なくされた。そうした政策は世界各国に広まり、日本も例外ではなかった。

フランスの方言政策

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絶対王政期のフランスでは、国家によってオイル語系の北フランスの方言を基にした標準語が定められ、それまで南部オクシタニアで話されるオック語系のプロヴァンス語などや、ロマンス語イタリック語派)には属さない島嶼ケルト語系統のブルターニュ語ドイツ語の方言に属すアレマン語系統のアルザス語など、標準フランス語とは系統の異なる地方言語を標準フランス語に対する方言と定義付けて、方言より標準語を優越させる政策が始められた。

例えば、学校教育において、方言を話した生徒に方言札を付けさせて見せしめにするということが行なわれた。この制度は日本にも取り入れられた。現在でも、フランスでは標準フランス語を優越させる政策が続いている。

2020年11月、話す時の訛りに基づく差別は「人種差別の一種」だとして、これを禁止する法案が可決した。人種差別、性差別障害者差別に加えて、訛りに基づく差別も犯罪となり、最高刑では禁錮3年および罰金4万5000ユーロが科される。フランス語圏話者はフランス本土の北部と南部の違いがある他、離島などの海外領土アフリカ大陸からの出身者も多くいることで、異なる発音をした場合に差別を受けることが大きな問題になっている[8]

イタリアの方言政策

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イタリアでは長い間、統一政府が作られず、外国を含めた多くの勢力によって分裂状態にあったため、地域による言語の差異が大きい。

方言が多様で争いさえ起きたイタリアでは、ラジオ・テレビ放送が始まった当初多くの人々が驚いたと言われている。それは、「放送局RAIが、標準語を定義した」というイタリアで初めての試みであったからである。農村部では「テレビ放送が始まってから、初めて標準語を知った」という老人も多かったと言われている。

日本

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日本においては、既に820年頃成立の『東大寺諷誦文稿』には「此当国方言、毛人方言、飛騨方言、東国方言」という記述が見え、これが国内文献で用いられた「方言」という語の最古例とされる。当時、既に方言という概念が存在していたことを物語っている。

沖縄県鹿児島県奄美群島の言語は、地理的、歴史的要因から本土の日本語とは差異が著しく、「琉球方言」として日本語の一方言とする考えと、「琉球語」として日本語(「標準語」を含む本土諸方言の総称としての)と同系統(日琉語族)の別言語とする考え、さらには「琉球諸語」とみなし奄美語国頭語沖縄語宮古語八重山語与那国語を個別言語とする考えがある。

日本の方言政策

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明治時代以降、一個の政府のもとに統一された日本では、中央集権国家を目指したため、学校教育の中で標準語の普及を押し進めた。明治21年(1888年)に設立された国語伝習所の趣旨には「国語は、国体を鞏固にするものなり、何となれば、国語は、邦語と共に存亡し、邦語と共に盛蓑するものなればなり」[9]とある。特に軍では、異なる地方の者同士では方言の差異のために命令の取り違えが発生しかねず、死活問題でもあった。このことから標準語以外の言語を抑圧する政策がとられ、地方の方言を話す者が劣等感を持たされたり差別されるようになり、それまで当たり前であった方言の使用が憚られることになった。ただし、方言追放を徹底できたとは言い難く、軍・政府の重鎮でありながら終生南部弁が抜けなかった米内光政のような例もある。なお、標準語教育に資する目的もあって方言の調査研究は古くから各地で盛んに行われており、明治30年(1897年)には当時の文部省の主導で全国一斉調査が行われている(その後関東大震災によって同省内の記録は焼失したが、地方の有志により一部が断片的に残る)[10]

高度経済成長期後の日本では、学校教育やテレビ・ラジオの影響などによって標準語(全国共通語)が全国に浸透し、学校教育では方言と共通語の共生が図られるようになった。しかしその後も各地の方言は衰退や変容を余儀なくされ、アクセントは多くの地域で保持されているが、語彙は世代を下るに従って多くが失われている。平成21年(2009年)には、これまで方言と見なされることの多かった日本国内の一部の言語(琉球諸語八丈語)がユネスコによって消滅危機言語であると指摘された。現在、消滅の危機にある言語・方言の保存・継承に向けて、文化庁などが様々な取り組みを行っている[11]

生物の名

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生物の名は、各地で古くから使われた地方ごとの名があることが多く、方言名と呼ばれることがある。日本の場合、生物学では学名とともにそれに対応する標準和名をつけることが多く、これと方言名との間で標準語と方言のような対立を生む場合がある。

方言名が生まれるためにはその生物がその地域の人間に特定的に認識され、親しまれる必要がある。そのため、たとえばごく小さな昆虫には害虫でない限りそれがないことが多い。他方、よく親しまれていても、それが他地域との間で流通する場合には、統一されることが多い。アユはその例である。従って、親しまれていて、なおかつ流通しないものに方言名が多く、メダカはその例で日本中で5000もの別名がある。カブトムシクワガタムシもよく親しまれ、ごく最近までは流通しなかったものであり、多くの地方名があったようだが、昆虫採集少年たちが標準和名を広めたため、消失した。

なお、方言名がそのまま和名として採用される例もある。アカマタガラスヒバァなどはこの例である。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 大辞泉 【方言】
  2. ^ a b c 三井はるみ (2021年7月13日). “「方言」というのはどのようなことばのことですか。”. ことば研究館. 国立国語研究所. 2024年9月27日閲覧。
  3. ^ 「方言」(出典:三省堂 大辞林 第三版)”. weblio辞書. 2020年7月23日閲覧。の意味(2)
  4. ^ Thomas Moore devin (2018年7月25日). “What’s The Difference Between A Language, A Dialect And An Accent?” (英語). babbel.com. 2021年1月15日閲覧。
  5. ^ スッキリ解決!「方言」と「訛り」の違い - gimon-sukkiri.jp 2021年1月15日閲覧。
  6. ^ 宇佐美洋 (2022年9月20日). “世界にはいくつの言語があるのでしょうか”. ことば研究館. 国立国語研究所. 2024年9月25日閲覧。
  7. ^ Mair, Victor H (1991). What is a Chinese ‘Dialect/Topolect’? Reflection on Some Key Sino-English Linguistic Terms (pdf). Sino-Platonic Papers 29: 1-31. http://sino-platonic.org/complete/spp029_chinese_dialect.pdf. 
  8. ^ フランス、なまりに基づく差別を禁止”. フランス通信社 (2020年11月27日). 2021年2月6日閲覧。
  9. ^ 江仁傑 「日本の言語政策と言語使用」 樋口謙一郎編著 『北東アジアのことばと人々』 (ASシリーズ 第 9巻) 大学教育出版 2013年(ISBN 978-4-86429-214-6 C3080)
  10. ^ 『武市佐市郎集 風俗事物編』、平成7年3月15日発行、武市佐市郎、高知市民図書館、P51。
  11. ^ 消滅の危機にある言語・方言”. 文化庁. 2021年4月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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