西那須野町
日本の栃木県那須郡にあった町
西那須野町(にしなすのまち)は、栃木県北東部に位置していた町である。大田原市への通勤率は21.5%(平成12年国勢調査)。
にしなすのまち 西那須野町 | |||||
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廃止日 | 2005年1月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 黒磯市、西那須野町、塩原町→那須塩原市 | ||||
現在の自治体 | 那須塩原市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 栃木県 | ||||
郡 | 那須郡 | ||||
市町村コード | 09409-9 | ||||
面積 | 59.63 km2 | ||||
総人口 |
45,565人 (推計人口、2004年12月1日) | ||||
隣接自治体 | 黒磯市・大田原市・塩原町 | ||||
町の木 | 松 | ||||
町の花 | 水仙 | ||||
町の鳥 | カラス | ||||
西那須野町役場 | |||||
所在地 |
〒329-2792 栃木県那須郡西那須野町あたご町2-3 | ||||
座標 | 北緯36度52分57秒 東経139度59分01秒 / 北緯36.88244度 東経139.98364度座標: 北緯36度52分57秒 東経139度59分01秒 / 北緯36.88244度 東経139.98364度 | ||||
ウィキプロジェクト |
概要
編集2005年1月1日に黒磯市・那須郡塩原町と新設合併して那須塩原市となり、廃止した。廃止当時、栃木県内では人口最多の町であり、矢板市や旧日光市[1]よりも多かった。
地理
編集全域が那須野が原に包含される。 明治以前は原野であったが、明治期の殖産興業政策により、日本国有鉄道東北本線(現JR東北本線)、那須疏水、那須野ヶ原開拓事業により、形成される。 県北部の交通の要衝として著しい発展を遂げる。
- 隣接した自治体
人口
編集合併前は、町として県内最多人口であり、(旧)日光市(約1万6000人)、矢板市(3万3000人)の2市よりも人口が多かった。
歴史
編集沿革
編集- 1885年(明治18年) 6月? - 那須開墾社・加治屋開墾の区域に那須野村が起立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 那須野村が西那須野村に改称。西那須野村、狩野村(かりのむら)の2村が発足。
- 1932年(昭和7年)4月1日 - 西那須野村が町制施行、西那須野町となる。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 西那須野町・狩野村が合併、新しい西那須野町となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 大字加治屋を大田原市へ編入。
- 2005年(平成17年)1月1日 - 黒磯市・那須郡塩原町と新設合併して那須塩原市となる。
主な出来事
編集- 1947年(昭和22年)9月8日 - 天皇・皇后が農林省畜産試験場那須支場の行幸啓(昭和天皇の戦後巡幸)[2]。
- 1999年(平成11年)12月20日 - 国会等移転審議会は、小渕内閣総理大臣に対し、移転先候補地として「栃木・福島地域」「岐阜・愛知地域」、そして将来移転先候補地となる可能性がある地域として「三重・畿央地域」を選定する答申を行った。審議会では、移転先候補地の答申を行うにあたり、16の評価項目を設け点数付けを行い、さらに、各項目の重要度を加味した上で総合点を算出し、結果、栃木・福島地域(那須・阿武隈地域)が最高得点を獲得した。
→詳細は「首都機能移転」を参照
行政
編集西那須野村長・町長(旧)
編集代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 出身校 | 職歴 | 出身地 | 備考 |
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1 | 斎藤半次郎 | 1889年(明治22年)6月13日? | 1895年(明治28年)1月18日? | 那須開墾社幹事・矢板銀行副頭取 | 塩谷郡 | ||
2 | 井上寬二 | 1895年(明治28年)1月19日? | 1896年(明治29年)8月15日 | 群馬県庁職員 | 埼玉県 | ||
3 | 品川貞之進 | 1896年(明治29年)8月16日 | 1907年(明治40年)3月25日 | 那須開墾社植林事務所長、西那須野村助役、第4代西那須野郵便局長 | 山口県 | ||
4 | 江川福松 | 1907年(明治40年)3月26日 | 1912年(明治45年)4月11日 | 西那須野村会議員、那須郡会議員、会社社長 | 滋賀県 | 在任中死亡 | |
5 | 田島弥三郎 | 1912年(明治45年)5月20日 | 1917年(大正6年)11月27日 | ミラノ・インターナショナルスクール | 西那須野村会議員・助役 | 群馬県 | 第9代町長田島薫は子息。 |
6 | 宇佐美嘉吉 | 1917年(大正6年)11月28日 | 1929年(昭和4年)11月27日 | 西那須野村会議員 | 大分県 | ||
7 | 蓮池佼 | 1929年(昭和4年)11月28日 | 1933年(昭和8年)3月3日 | 西那須野村助役 | 塩谷郡 | ||
8 | 菊地米松 | 1933年(昭和8年)10月1日 | 1947年(昭和22年)4月4日 | 栃木県師範学校 | 小学校長 | 那須郡 | |
9 | 田島董 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 東京英語学校中退 | 西那須野村村会議員 | 群馬県 | 第5代町長田島弥三郎は父。 |
10 | 川上安一郎 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 1951年(昭和26年)4月24日 | 会社経営 | 合併により新・西那須野町長となる。 |
西那須野町長
編集代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 出身校 | 職歴 | 備考 |
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1 | 川上安一郎 | 1951年(昭和26年)4月24日 | 1959年(昭和34年)3月16日 | 会社経営、(旧)西那須野町長 | 旧西那須野町長から継続 | |
2 | 中島欣三郎 | 1959年(昭和34年)3月16日 | 1974年(昭和49年)6月2日 | 会社社長、狩野村長 | 在任中死亡 | |
3 | 阿久津文一 | 1974年(昭和49年)7月21日 | 1982年(昭和57年)7月20日 | 慶應義塾普通部 | 東京都職員、西那須野町助役 | |
4 | 高野三郎 | 1982年(昭和57年)7月21日 | 1990年(平成2年)7月20日 | 京都帝国大学農学部 | 神奈川県職員、栃木県民生部長 | |
5 | 宮本善夫 | 1990年(平成2年)7月21日 | 年(平成年)月日 | 宇都宮農林専門学校 | 栃木県職員、西那須野町収入役・助役 | |
6 | 平山武 | 年(平成年)月日 | 2004年(平成16年)12月31日 | 拓殖大学政経学部 | 議員秘書 | 閉町 |
議会
編集歴代町議会議長・副議長
編集経済
編集産業
編集農業分野においては、日本三大疏水の一つに上げられる那須疏水が整備され、かつて不毛の地と呼ばれた荒野に美しい田園地帯が広がった。
姉妹都市・友好都市
編集地域
編集町名一覧
編集西那須野地区
編集- 東町
- あたご町
- 一区町
- 扇町
- 上赤田
- 北赤田
- 北二つ室
- 五軒町
- 三区町
- 下永田1-8丁目
- 千本松
- 永田町
- 二区町
- 西赤田
- 朝日町
- 幸町
- 栄町
- 西原町
- 大和町
- 東赤田
- 二つ室
- 緑
- 南赤田
- 南町
- 四区町
狩野地区
編集- 井口
- 石林
- 新南郷屋
- 関根
- 高柳
- 太夫塚1-6丁目
- 槻沢
- 西遅沢
- 西富山
- 西三島1-7丁目
- 東遅沢
- 東関根
- 東三島1-6丁目
- 三島1-5丁目
- 南郷屋1-5丁目
- 睦
教育
編集高等学校
編集中学校
編集小学校
編集郵便
編集集配局及び郵便番号は、以下の通りである。
- 西那須野郵便局:「329-27xx」
郵便局
編集- 西那須野郵便局 (07045)
- 西那須野駅前郵便局 (07287)
- 西那須野下永田郵便局 (07312)
電話番号
編集全域が大田原MAの管轄である。市外局番は「0287」。収容局は以下のビルが該当し、市内局番は以下の通り。
- 西那須野2局(大田原MA):36-39
病院
編集・国際医療福祉大学病院
交通
編集鉄道路線
編集一般路線バス
編集道路
編集- 高速道路
- 一般国道
- 県道(主要地方道)
名所・観光スポット
編集- 県営那須野が原公園
- 西那須野温泉
- 千本松牧場
- 松方別邸
- 烏が森公園
- 乃木神社
- 道の駅 那須野ヶ原博物館
- 疏水パーク
出身有名人・関連有名人
編集西那須野町出身者
編集- 政治
- 芸能
・川崎鷹也(シンガーソングライター)
- 福田薫(お笑いコンビU字工事のメンバーである。)
- 八塚純子(歌手)(元Letit go、元Ciao)
- 歌心りえ(八塚りえ、Rie)(歌手)(元Letit go、元Ciao、現Rie&Qoonie(旧名「September」)
- 芸術
西那須野町ゆかりの人物
編集- 歴史人物
- 政治
- 大山巌(従一位大勲位功一級公爵、元帥陸軍大将、大警視、陸軍大臣、陸軍参謀総長、文部大臣、内大臣、元老、貴族院議員)加治屋開墾場、大山農場を設営。大山小学校の校名の由来。
- 乃木希典(正二位勲一等功一級伯爵、陸軍大将)
- 松方正義(従一位大勲位公爵、元内閣総理大臣兼大蔵大臣)千本松農場。
- 千坂高雅(石川・岡山県令、貴族院議員)千坂農場
- 三島通庸(内務官僚、栃木県令、警視総監、正三位勲二等子爵)肇耕社・三島農場を設立し、那須疏水開削に関わる。三島小学校の校名の由来。
- 西郷従道(海軍大臣、侯爵)加治屋開墾場、西郷農場。
- 三島弥太郎(貴族院議員、第8代日本銀行総裁)
- 渡辺美智雄(元副総理、元外相、元蔵相、元農水相、元通産相、元衆議院議員、元税理士)旧西那須野町に地元事務所
- その他
- 草野榮龍(僧侶)真言宗東寺派第6代管長、雲照寺(那須塩原市三区町)第7代住職
- 架空の人物
- 間貫一(『金色夜叉』の主人公)