練馬区立石神井東小学校

東京都練馬区にある小学校

練馬区立石神井東小学校(ねりまくりつしゃくじいひがししょうがっこう)は、東京都練馬区にある区立小学校。2019年(令和元年)5月時点の児童数は14学級411名[1]

練馬区立石神井東小学校
地図北緯35度44分14秒 東経139度37分12秒 / 北緯35.73734度 東経139.61989度 / 35.73734; 139.61989座標: 北緯35度44分14秒 東経139度37分12秒 / 北緯35.73734度 東経139.61989度 / 35.73734; 139.61989
過去の名称 谷田学校
石神井村立谷田尋常小学校
石神井村立石神井東尋常小学校
東京府東京市石神井東国民学校
東京都石神井東国民学校
板橋区立石神井東小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 練馬区
設立年月日 1884年明治17年)10月20日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B113212000298 ウィキデータを編集
所在地 177-0035
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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沿革

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  • 1878年(明治11年)5月18日 - 豊玉学校より分離して、長命寺にて谷田(こくでん)学校を開校したと伝えられる[2]
  • 1884年(明治17年)10月20日 - 谷原村2376番地(現・順天堂練馬病院)にて谷田小学校として正式に開設[2]。「谷田」は谷原村と田中村から一字ずつ取ったもの。
  • 1891年(明治24年) - 北豊島郡石神井村立谷田尋常小学校となる。
  • 1902年(明治35年)4月1日 - 谷田尋常小学校を廃止し、改めて北豊島郡石神井村立石神井東尋常小学校を開設。
  • 1925年(大正14年) - 校章制定
  • 1932年(昭和7年)10月1日 - 石神井村が東京市に編入され、東京市石神井東尋常小学校となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、東京市石神井東国民学校と改称。
  • 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行により東京都石神井東国民学校となる。
  • 1945年(昭和20年)4月28日 - 群馬県山田郡梅田村(現・桐生市梅田町)へ学童疎開[3]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行により板橋区立石神井東小学校に改称。
  • 1947年(昭和22年)8月1日 - 分区により練馬区が成立。練馬区立石神井東小学校となる。
  • 1955年(昭和30年)4月5日 - 光和小学校開設により学区分割[3]
  • 1956年(昭和31年)3月28日 - 石神井東中学校と校地交換し現在地に移転[3]
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 谷原小学校開設により学区分割[3]
  • 1958年(昭和33年)11月18日 - 創立80周年を記念し校歌制定(作詞・西條八十、作曲・佐々木すぐる)。
  • 1968年(昭和43年)4月1日 - 南田中小学校開設により学区分割[3]
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 富士見台小学校開設により学区分割[3]
  • 1976年(昭和51年)3月25日 - 南が丘小学校開設により学区分割[3]

校舎

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北校舎、南校舎に分かれており、南校舎はピンク色、北校舎は黄緑色。それぞれ、桜の花の色、桜の若葉の色である。1年・2年・3年・4年の教室が南校舎、5年・6年の教室が北校舎にある。

交通

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関連項目

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参考文献

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  1. ^ 令和元年5月1日現在 児童数・学級数一覧表” (pdf). 練馬区 (2019年5月21日). 2020年4月10日閲覧。
  2. ^ a b 練馬区史編さん協議会 編『練馬区史 歴史編』1982年、713頁。 
  3. ^ a b c d e f g 練馬区史編さん協議会 編『練馬区史 現勢資料編』1980年、382頁。 

外部リンク

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