竜門寺 直操(りゅうもんじ ちょくそう)は、室町時代中期の武将赤松満祐の実弟。

 
竜門寺 直操
時代 室町時代中期
生誕 不明
死没 嘉吉元年(1441年9月
氏族 赤松氏
父母 父:赤松義則
兄弟 赤松満祐祐尚則友義雅則繁竜門寺直操
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生涯

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赤松義則の子で満祐の実弟。出家して網干龍門寺で修行していたが、嘉吉の乱では兄に協力し、赤松家が幕府より追討を受けると兄の義雅と共に但馬口を守った。

しかし8月28日、山名宗全率いる幕府軍の攻撃を受けて大敗。その後も義雅と共に戦うも連戦連敗し、直操は敗戦の責任を取って自害したという[1]

脚注

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  1. ^ 赤松盛衰記』。『赤松円心・満祐』吉川弘文館。244頁。

参考文献

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