この項目では、江戸時代に実在した僧について説明しています。彼をモデルとして書かれた歌舞伎の演目については「隅田川続俤」をご覧ください。 |
穎玄(えいげん、宝暦元年(1751年) – 文政12年1月24日(1829年2月27日))は、江戸時代後期の浄土真宗本願寺派(西本願寺派)の僧。父は近江国坂田郡鳥居村(鳥居本村)東光山上品寺17世祐海。号は法界坊(ほうかいぼう)。
幼くして上品寺で修行し、父の没後上品寺を継いで再興を企図し、諸国を托鉢しながら勧進を行った。その後江戸へ出て吉原の遊女花扇・花里を教化し、明和6年(1769年)彼女らから梵鐘の寄進を受けて近江国へ戻ったといわれている。歌舞伎『隅田川続俤』(すみだがわ ごにちの おもかげ)に登場する法界坊はこの穎玄を題材にしたものである。
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