福西崇史

日本のサッカー選手

福西 崇史(ふくにし たかし、1976年9月1日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロサッカー選手スポーツ科学者、サッカー指導者、NHKサッカー解説者。現役時代のポジションはミッドフィールダーボランチ)。元日本代表サムデイ所属。学位修士スポーツ科学)(早稲田大学2023年[5]

福西 崇史
2012年撮影
名前
愛称 タカシ、さわやかヤクザ
カタカナ フクニシ タカシ
ラテン文字 FUKUNISHI Takashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1976-09-01) 1976年9月1日(48歳)
出身地 愛媛県新居浜市[1]
身長 181cm[2]
体重 77kg[2]
選手情報
ポジション MF[2]
利き足 右足
ユース
1986-1988 日本の旗 神郷SS[3]
1989-1991 日本の旗 新居浜市立川東中学校[2]
1992-1994 日本の旗 新居浜工業高校[2]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-2006 日本の旗 ジュビロ磐田 292 (53)
2007 日本の旗 FC東京 28 (6)
2008 日本の旗 東京ヴェルディ 29 (3)
2018 日本の旗 南葛SC 0 (0)
通算 349 (62)
代表歴2
1999-2006[4] 日本の旗 日本 64 (7)
監督歴
2019 日本の旗 南葛SC
1. 国内リーグ戦に限る。2018年11月5日現在。
2. 2006年6月18日現在。
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福西崇史
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年3月7日 -
ジャンル サッカー
登録者数 約2.16万人
総再生回数 約241万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2020年7月16日時点。
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日韓、ドイツワールドカップ日本代表メンバー。

来歴

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新居浜市立神郷小学校、新居浜市立川東中学校新居浜工業高校卒業。

プロ入り以前

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小学校4年生の時、地元のサッカースクールでサッカーを始めた[6]。また、中学生の頃までは並行して器械体操に取り組んでおり、ここで養われたバランス感覚[7][8] や跳躍力、柔軟性が後にサッカーに活かされることになっていると自身で分析している[9]

1992年、高校へ進学。当時のポジションはフォワード(FW)だった[10]。高校3年時の1994年に、高校総体に1度出場したものの結果を残せず、世代別代表にも選出されていなかったが[11]、総体県予選の準決勝で、対戦校(南宇和)の選手を視察しに訪れていた[12]ジュビロ磐田石井知幸スカウトが福西に目を留めたことをきっかけに、プロ入りの機会を掴む[9]

現役時代

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1995年、高校卒業後ジュビロ磐田に入団。FWでの出場機会を得られずにいたところ[13]ハンス・オフト監督からボランチでのプレーを勧められコンバートを決めた[14]。同ポジションのドゥンガの熱血指導を受けつつ[15][10]、同年8月には早くもトップデビュー。スピードや運動量を不得手とする福西にとって[16]、足の遅さをポジショニングや判断の良さで補うドゥンガのプレーは格好の手本となり[16]、以後、主軸選手として、磐田の黄金期を支えた[7]。一方で、プロフェッショナルファウルを厭わない[8]激しいプレーを身上としたため[11]審判からは警戒されることになった[11]

2000年に就任したハジェヴスキー監督は、福西をリベロに配し、しばしば守備システムのバランスを崩してしまっていたが、福西自身の守備センスはこのポジションの経験によって磨かれた。

2005年のJ1開幕戦、対横浜F・マリノス戦(日産スタジアム)では試合終了間際に決勝点を挙げたが[17]、競り合いの中で福西の右手にボールが当たってからの[注 1]ゴールだったことから神の手ゴールとして報じられた[20]

2006年末に翌シーズンに向けての契約交渉に臨んだ際、若手をまとめるリーダーとしての役割を十分には果たせていなかったという評価から減俸提示を受け[21][1]、加えて、黄金期の磐田のサッカーを理想とし「リアクションではないサッカーがしたい」福西と[22]アジウソン監督との戦術面での相違[1]が重なったことから交渉が決裂し磐田退団を決意。名古屋グランパス鹿島アントラーズジェフユナイテッド市原・千葉FC東京からオファーを受け争奪となった[21]

2007年、FC東京へ完全移籍[23][24]。同年の選手編成発表[25] 以後の移籍だったため背番号に空きが無く[15]、馴染みの無い37番を付けることになった(23番は梶山陽平が着用)。自身にとって初めての移籍であり、フィットするまでには多少の時間を要したが、結果としてオフ・ザ・ボールの動きの量を高めることになり、プレーの幅を広げた[26]。梶山との併用もあり[27] ボランチだけでなくトップ下でも力を発揮[28]。技術や経験、精神面での貢献は評価されていたものの、高年俸がネックとなり[28]、1シーズン限りで退団した。

首都圏でのプレーを希望し[29]2008年より東京ヴェルディへ完全移籍[30][31]。ここでも主力として起用されたが、クラブの経営悪化の煽りを受け[32] 1年での契約非更新が発表された。その後行われたJ1第34節川崎フロンターレ戦(味の素スタジアム)では、前半26分、川崎側のコーナーキックのこぼれ球をクリアした際に福西の左腕が寺田周平に当たってしまい、これが主審の岡田正義に乱暴な行為とみなされ一発退場となった。その後福西は処分[注 2]を受け[34][35] これが東京Vでのラストプレーとなり[36]、クラブはJ2降格を喫した[10]

現役続行に意欲を持ち[37]、地元愛媛県のJ2・愛媛FCからオファーを受けたものの、条件面での不一致や[37] J1へのこだわりから[10] 合意には至らず、現役を引退した。

日本代表

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2002年日韓ワールドカップのメンバーに選出され、第2戦のロシア戦に出場[38]。短時間の出場ながら[38]、愛媛県出身者としては初のワールドカップ出場であり、大会終了後には同県から「文化・スポーツ賞」を贈られた[39]

ジーコ監督率いる日本代表チームでは、稲本潤一の負傷離脱をきっかけに激戦区となっていたボランチのレギュラーを勝ち取り[40]、危機察知力と競り合いの強さを発揮[9]。中盤のバランサーとして[41] 重用された。ボランチの一角には中田英寿が定着したが、果敢にボールを奪いに行くことを要求する中田と、中盤のスペース管理を優先する福西との間で[16]ぶつかる場面もあった[42]

2006年、2度目となるドイツワールドカップでは2試合に先発出場した[4]。ジーコの後任を担ったイビチャ・オシムはこの時の日本代表について、中盤での守備を担う選手が不足しているとして「水を運ぶ選手も必要だ。福西1人で水が運べるのか」と評している[43]。福西自身は後年、磐田と代表とでは意識的にプレーを変え、ボール奪取やバランスを取る役割をこなしていたと語る[36]

現役引退後

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2009年1月に現役引退を表明[1]ドイツワールドカップ日本代表では中田英寿に次いで2人目の引退となった。

5月JFAアンバサダーに就任[44]。同年末には、公式戦500試合出場を達成した選手として[45] Jリーグから功労選手賞として表彰された。

2009年スカパー!のサッカー中継に解説者として出演し、NHKJリーグタイムにもゲスト解説者扱いでたびたび出演した。2010年元日のNHKの天皇杯中継に出演し、2010年より木村和司の後任としてNHKの解説者として活動することが発表された。2012年ロンドンオリンピックではジャパンコンソーシアムの解説者として男女サッカーを担当。

2013年A級ジェネラルコーチライセンスを受講、2014年に取得[46]

2014年3月にオーストラリアで行われたAFCアジアカップ2015の組み合わせ抽選会にドロワーとして参加した。

2016年3月Jリーグの特任理事に就任[47]。同年11月、JFA公認S級コーチの資格を取得した[48]

南葛SC

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2018年8月22日東京都社会人サッカーリーグ1部の南葛SCへの入団が発表され、現役復帰を果たした[49]。同年12月24日、南葛SCの監督に就任すると発表された[50]

2019年11月、退任が発表された[51]

退任後

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「サッカースクールSKY」での指導を行っている[52]

人物

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家族

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  • 息子が2人。家族をとても大切にしており、本人も「趣味は家族サービス」と公言している[53]

嗜好

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交友関係

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所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995 磐田 - J 10 1 - 0 0 10 1
1996 27 2 10 0 1 1 38 3
1997 23 21 4 6 1 3 1 30 6
1998 22 2 5 1 3 0 30 3
1999 J1 27 10 3 1 0 0 30 11
2000 27 5 4 0 3 0 34 5
2001 29 4 7 0 2 0 38 4
2002 28 5 1 0 3 0 32 5
2003 26 5 8 0 0 0 34 5
2004 26 6 0 0 5 0 31 6
2005 23 2 1 0 2 1 26 3
2006 26 7 1 0 3 1 30 8
2007 FC東京 37 28 6 6 1 0 0 34 7
2008 東京V 23 29 3 5 0 1 0 35 3
2018 南葛SC 33 東京都1部 - - - 0 0
通算 日本 J1 349 62 57 4 26 4 432 70
総通算 349 62 57 4 26 4 432 70

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2004 磐田 23 4 1
2005 2 0
通算 AFC 6 1
その他の国際公式戦
出場歴

代表歴

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出場大会など

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  • 1999年 コパ・アメリカ パラグアイ大会
  • 2002年 FIFAワールドカップ 韓国・日本大会
  • 2003年 東アジア選手権 日本大会
  • 2004年 AFCアジアカップ 中国大会
  • 2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ ドイツ大会
  • 2005年 東アジア選手権 韓国大会
  • 2006年 FIFAワールドカップ ドイツ大会

試合数

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  • 国際Aマッチ 64試合 7得点 (1999年 - 2006年)[53][4]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1999 3 0
2000 0 0
2001 2 0
2002 10 0
2003 6 0
2004 18 5
2005 14 1
2006 11 1
通算 64 7

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1999年06月29日  アスンシオン   ペルー ●2-3 フィリップ・トルシエ コパ・アメリカ
2. 1999年07月02日  アスンシオン   パラグアイ ●0-4 コパ・アメリカ
3. 1999年09月08日  神奈川県 横浜国際総合競技場   イラン △1-1 キリンチャレンジ
4. 2001年10月04日  ランス   セネガル ●0-2 国際親善試合
5. 2001年10月07日  サザンプトン   ナイジェリア △2-2 国際親善試合
6. 2002年03月21日  大阪府 長居陸上競技場   ウクライナ ○1-0 キリンチャレンジカップ
7. 2002年03月27日  ウッジ   ポーランド ○2-0 国際親善試合
8. 2002年04月17日  神奈川県 横浜国際総合競技場   コスタリカ △1-1 キリンチャレンジカップ
9. 2002年04月29日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   スロバキア ○1-0 キリンカップ
10. 2002年05月02日  兵庫県 御崎公園球技場   ホンジュラス △3-3 キリンカップ
11. 2002年05月14日  オスロ   ノルウェー ●0-3 国際親善試合
12. 2002年05月25日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   スウェーデン △1-1 キリンチャレンジカップ
13. 2002年06月09日  神奈川県 横浜国際総合競技場   ロシア ○1-0 ワールドカップ
14. 2002年10月16日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   ジャマイカ △1-1 ジーコ キリンチャレンジカップ
15. 2002年11月20日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   アルゼンチン ●0-2 山本昌邦(代行) キリンチャレンジカップ
16. 2003年04月16日  ソウル   韓国 ○1-0 ジーコ 国際親善試合
17. 2003年06月08日  大阪府 長居陸上競技場   アルゼンチン ●1-4 キリンカップ
18. 2003年06月11日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   パラグアイ △0-0 キリンカップ
19. 2003年12月04日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   中華人民共和国 ○2-0 東アジア選手権
20. 2003年12月07日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   香港 ○1-0 東アジア選手権
21. 2003年12月10日  神奈川県 横浜国際総合競技場   韓国 △0-0 東アジア選手権
22. 2004年02月12日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   イラク ○2-0 国際親善試合
23. 2004年04月25日  ザラエジェルツェグ   ハンガリー ●2-3 国際親善試合
24. 2004年04月28日  プラハ   チェコ ○1-0 国際親善試合
25. 2004年05月30日  マンチェスター   アイスランド ○3-2 国際親善試合
26. 2004年06月01日  マンチェスター   イングランド △1-1 国際親善試合
27. 2004年06月09日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   インド ○7-0 ワールドカップ予選
28. 2004年07月09日  広島県 広島広域公園陸上競技場   スロバキア ○3-1 キリンカップ
29. 2004年07月13日  神奈川県 横浜国際総合競技場   セルビア・モンテネグロ ○1-0 キリンカップ
30. 2004年07月20日  重慶   オマーン ○1-0 アジアカップ
31. 2004年07月24日  重慶   タイ ○4-1 アジアカップ
32. 2004年07月28日  重慶   イラン △0-0 アジアカップ
33. 2004年07月31日  重慶   ヨルダン △1-1(PK4-3) アジアカップ
34. 2004年08月03日  済南   バーレーン ○4-3(延長) アジアカップ
35. 2004年08月07日  北京   中華人民共和国 ○3-1 アジアカップ
36. 2004年08月18日  静岡県 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム   アルゼンチン ●1-2 キリンチャレンジカップ
37. 2004年09月08日  コルカタ   インド ○4-0 ワールドカップ予選
38. 2004年10月13日  マスカット   オマーン ○1-0 ワールドカップ予選
39. 2004年12月16日  神奈川県 横浜国際総合競技場   ドイツ ●0-3 キリンチャレンジカップ
40. 2005年01月29日  神奈川県 横浜国際総合競技場   カザフスタン ○4-0 キリンチャレンジカップ
41. 2005年02月02日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   シリア ○3-0 キリンチャレンジカップ
42. 2005年02月09日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   北朝鮮 ○2-1 ワールドカップ予選
43. 2005年03月25日  テヘラン   イラン ●1-2 ワールドカップ予選
44. 2005年03月30日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   バーレーン ○1-0 ワールドカップ予選
45. 2005年05月22日  新潟県 新潟スタジアム   ペルー ●0-1 キリンカップ
46. 2005年05月27日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   アラブ首長国連邦 ●0-1 キリンカップ
47. 2005年06月03日  マナマ   バーレーン ○1-0 ワールドカップ予選
48. 2005年06月08日  バンコク   北朝鮮 ○2-0 ワールドカップ予選
49. 2005年06月16日  ハノーバー   メキシコ ●1-2 コンフェデレーションカップ
50. 2005年06月19日  フランクフルト   ギリシャ ○1-0 コンフェデレーションカップ
51. 2005年06月22日  ケルン   ブラジル △2-2 コンフェデレーションカップ
52. 2005年07月31日  大田   北朝鮮 ●0-1 東アジア選手権
53. 2005年08月17日  神奈川県 横浜国際総合競技場   イラン ○2-1 ワールドカップ予選
54. 2006年02月10日  サンフランシスコ   アメリカ合衆国 ●2-3 国際親善試合
55. 2006年02月18日  静岡県 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム   フィンランド ○2-0 キリンチャレンジカップ
56. 2006年02月22日  神奈川県 横浜国際総合競技場   インド ○6-0 アジアカップ予選
57. 2006年02月28日  ドルトムント   ボスニア・ヘルツェゴビナ △2-2 国際親善試合
58. 2006年03月30日  大分県 大分スポーツ公園総合競技場   エクアドル ○1-0 キリンチャレンジカップ
59. 2006年05月09日  大阪府 長居陸上競技場   ブルガリア ●1-2 キリンカップ
60. 2006年05月13日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   スコットランド △0-0 キリンカップ
61. 2006年05月30日  レバークーゼン   ドイツ △2-2 国際親善試合
62. 2006年06月04日  デュッセルドルフ   マルタ ○1-0 国際親善試合
63. 2006年06月12日  カイザースラウテルン   オーストラリア ●1-3 ワールドカップ
64. 2006年06月18日  ニュルンベルク   クロアチア △0-0 ワールドカップ

ゴール

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# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要[3]
1. 2004年6月09日   日本さいたま市   インド ○ 7-0 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選
2. 2004年7月09日   日本広島市   スロバキア ○ 3-1 キリンカップサッカー2004
3. 2004年7月24日   中国重慶市   タイ ○ 4-1 AFCアジアカップ2004
4. 2004年8月07日   中国北京市   中国 ○ 3-1
5. 2004年9月08日   インドコルカタ   インド ○ 4-0 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選
6. 2005年3月25日   イランテヘラン   イラン ● 1-2
7. 2006年2月22日   日本横浜市   インド ○ 4-0 AFCアジアカップ2007 (予選)

指導歴

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  • 2015年 - スポルティング品川[48]

個人タイトル

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その他

出演

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書籍

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著書

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関連書籍

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  • 福西崇史DVDバイオグラフィー (2006年5月26日)
  • 23ボランチ (2010年10月24日)
  • 福西崇史のサッカー上達法「PROGRESS METHOD」

ゲームソフト

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  • FIFA 17 ワールドクラス サッカー(EA SPORTS)解説(実況・西岡明彦
  • FIFA 18 ワールドクラス サッカー(EA SPORTS)解説(実況・西岡明彦)
  • FIFA 19 ワールドクラス サッカー(EA SPORTS)解説(実況・西岡明彦)
  • FIFA 20 ワールドクラス サッカー(EA SPORTS)解説(実況・西岡明彦)

脚注

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注釈
  1. ^ ボールを意図的に手で扱った場合にはファウルとなるが、福西からはボールの軌跡が見えておらず、競り合ってバランスを崩していたので、この場合には当たらないとされた[18][19]
  2. ^ 当時東京Vの監督だった柱谷哲二によると、その後、この試合で主審を務めた岡田正義からこの判定は誤審だったとの謝罪があったという[33]
出典
  1. ^ a b c d 元日本代表・福西、現役引退へ ジュビロ磐田の黄金期支える 47NEWS (2009年1月26日)
  2. ^ a b c d e f g 登録選手一覧表 Jリーグ 2008.12.12.
  3. ^ a b c d e 試合情報|日本代表|プロフィール 日本サッカー協会 (2006年6月22日)
  4. ^ a b c “福西 崇史”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ha/takashi_fukunishi.html 
  5. ^ 元サッカー日本代表、福西崇史が早稲田大学大学院を修了 ラグビー五郎丸歩らとの“卒業”ショット公開”. ねとらぼ (2023年3月28日). 2023年3月28日閲覧。
  6. ^ 【スペシャルインタビュー Vol.13】ジュビロ磐田:福西崇史選手 J's GOAL (2005年9月11日)
  7. ^ a b “【福西崇史・ふくにしたかし】 元・サッカー日本代表 (2009年4月27日~2009年5月1日オンエア)”. スポーツリアルトーク (ニッポン放送). (2009年5月1日). https://web.archive.org/web/20160310130817/http://www.1242.com/realtalk/?line=99 2021年2月3日閲覧。 
  8. ^ a b “名ボランチ福西崇史氏が熱い思い語った!”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ). (2009年2月1日). https://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp0-20090201-456020.html 2021年2月3日閲覧。 
  9. ^ a b c “地域選抜組 同年代、切磋琢磨し上へ”. asahi.com (朝日新聞社). (2005年9月5日). https://www.asahi.com/sports/wc2006/TKY200509050173.html 2021年2月3日閲覧。 
  10. ^ a b c d 福西現役引退「密度の濃い14年間だった」 日刊スポーツ (2009年1月31日)
  11. ^ a b c サッカーファミリー 第20回:松﨑康弘審判委員長対談 リスペクトし合うために必要なこと 福西崇史氏を迎えて 日本サッカー協会 (2009年6月22日)
  12. ^ “福西崇史”. 超WORLDサッカー! (CWS Brains). https://web.ultra-soccer.jp/index/index/c/legend/id/jap_9? 2021年2月3日閲覧。 
  13. ^ GESカップ 福西崇史サッカークリニック 和歌山サッカー協会
  14. ^ “元日本代表MF福西が語る引退の理由 磐田、移籍、代表、自身のキャリアを振り返る”. スポーツナビ (Yahoo! JAPAN). (2009年6月2日). https://sports.yahoo.co.jp/m/column/detail/200906020001-spnavi 2021年2月3日閲覧。 
  15. ^ a b 東京の福西誕生 今野と日本最強Wボランチ 東京中日スポーツ (2007年1月23日)
  16. ^ a b c “第53回 6億円のゴール”. 二宮清純「フットボールの時間」(10、20日更新) (スポーツコミュニケーションズ). (2007年10月20日). https://www.ninomiyasports.com/archives/9959 2021年2月3日閲覧。 
  17. ^ “2005Jリーグ ディビジョン1 第1節第1日”. J. League Data Site (Jリーグ). (2005年3月5日). http://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=8415 2021年2月3日閲覧。 
  18. ^ “福西の得点は正当と結論/意図的でないと日本協会”. 四国新聞社 SHIKOKU NEWS (四国新聞社). (2005年3月8日). http://www.shikoku-np.co.jp/sports/general/article.aspx?id=20050308000331 2021年2月3日閲覧。 
  19. ^ 日本協会、福西の得点は正当と結論 - ウェイバックマシン(2005年3月10日アーカイブ分)日刊スポーツ (2005年3月8日)
  20. ^ 元祖はもちろんマラドーナ…福西、メッシも スポーツニッポン (2009年11月20日)
  21. ^ a b FC東京オファー 福西 週明けにも発表 東京中日スポーツ (2007年1月21日)
  22. ^ 福西『ジュビロに勝つ』古巣でお別れ会見 東京中日スポーツ 2007.01.24
  23. ^ 福西崇史選手 FC東京へ完全移籍 - ウェイバックマシン(2007年1月29日アーカイブ分) ジュビロ磐田 (2007年1月22日)
  24. ^ a b c 福西崇史選手 移籍加入決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2007年3月12日アーカイブ分) FC東京 2007.01.22
  25. ^ 2007年シーズン新体制を発表 - ウェイバックマシン(2007年1月28日アーカイブ分) FC東京 (2007年1月14日)
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  27. ^ 梶山 練習試合で猛アピール 東京中日スポーツ 2007.06.08
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関連項目

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外部リンク

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