神奈幸子
神奈 幸子(かな さちこ、1946年5月13日 - )は、日本の元・漫画家。神奈川県秦野市出身、本名は加藤幸子、血液型はA型、大秦野高校卒業[注 1][注 2]。
本名では同姓同名の人物が多いので[2]、出生地・神奈川県の"神奈"と本名の"幸子"を組み合わせ、ペンネームを作成。またカナカナと鳴く蝉のヒグラシから、"その日ぐらし"の意味も含むとは本人の弁[1]。
かな さちこ 神奈 幸子 | |
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本名 | 加藤 幸子[1] |
生誕 |
1946年5月13日(78歳) 日本・神奈川県秦野市[2] |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1966年 - 2004年 |
ジャンル |
少女漫画 女性漫画 |
代表作 |
『ミニのあの子は応援団長』 『女と男の交差点』など[1] |
来歴
編集神奈川県秦野市に生まれ、幼少期は牧美也子・細川智栄子・水野英子・わたなべまさこらの作品を『少女クラブ』等で読む。中学時代より石ノ森章太郎の『龍神沼』に心酔し、本格的に漫画家への夢を持つようになって、高校時代には『墨汁二滴』[注 3]という、デビュー前の西谷祥子がリーダーの肉筆同人誌に参加する機会に恵まれる。その参加メンバーに志賀公江も在籍していて、奇遇にも同じ高校に通う生徒だった事が判明する[2]。
高校卒業後は一旦就職し2年間事務職で働きながら、夜間自宅で漫画を描きつつ漫画家への道を模索する中、里中満智子の新人漫画賞受賞ニュースをテレビで見てデビューする方法を知り、講談社に応募したら最終選考に残る。両親の反対を受けたので貯金したのち講談社の社屋近くの賃貸アパートで1人暮らしを開始し、半年ほどの修業期間を経て20歳・1966年「ボンジュール・マドモアゼル」(別冊少女フレンド)で念願の漫画家デビューを果たす[2]。
1970年から週刊少女フレンドでも描き始め "学園ラブコメディの名手" としての神奈幸子の初期代表作が「ミニのあの子は応援団長」(原作・堀寿子[注 4])。他に「お蝶でござんす」(原作・羽生敦子[注 5])など、学校生活をユーモラスに描いた明るい作品を発表する。
「別冊少女フレンド」で1977年1月号より半年ほど連載した「ロスマリンの伝説」は、1740年に開始されたオーストリア系ハプスブルク家のマリア・テレジア皇位継承問題による戦時下での悲運な若い恋人たち村娘リナと貴族の青年フィリップの純愛を語りつつも、同時にその当時の領土争いの歴史も描かれ不条理さを訴え、女帝マリア・テレジアの若き姿も登場し興味深いと評価され、70年代の名作少女漫画115作を総括した双葉社ムック本で丸々1頁を使って紹介されている[注 6]。
1976年頃より徐々に大人向けのレディースコミック誌に重点を移し始め、「結婚の条件」シリーズなどを描く[9][3]。
青池保子と親交があり、1979年頃『エロイカより愛をこめて』を2日間徹夜で手伝ったときに当初無名のマフィアの大ボスを神奈が描いたのだが、のちに青池が「ジャン・マリア・ボロボロンテ」と名付け、青池の代表作の一つを支える名脇役が誕生したエピソードがある[2]。
編集委員会の委員長を石ノ森章太郎が務めた『日本漫画家名鑑500』にて、「恋人失格」・「ミニのあの子は応援団長」・「女と男の交差点」・「雲のゆくえ」の4作品の書影を代表作として掲載している(1992年時点[1])。
90年代後半より、講談社のみでなく集英社等の女性漫画誌でも第一線の活躍を続けるも、2004年に母親が脳溢血で倒れたために介護に本腰を入れざるを得ないという圧倒的な現実に直面し、「もう、少女まんがは描けない」と考え机も片付け[2]、およそ40年の長きに渡る漫画家活動を休止した[注 7]。
主要単行本リスト
編集- ロスマリンの伝説(講談社、別冊フレンドKC、1978年、全2巻)
- やさしいライバル(講談社、BE LOVE KC、1988年)
- 夢ドレスアップ(講談社、Me KC、1988年)
- 億万長者のメランコリー(講談社、Me KC、1988年)
- ミセス・麻里子の気分はうふふ(講談社、BE LOVE KC、1988年)
- 時には恋人のように(講談社、BE LOVE KC、1989年)
- 結婚の研究(講談社、モーニングKC、1989年)
- ワンペア・パラダイス(講談社、BE LOVE KC、1990年、全2巻)
- オークヒルハウスの三姉妹(講談社、Me KC、1990年)
- 恋人失格(講談社、BE LOVE KC、1990年)
- 虹色のキーワード(講談社、BE LOVE KC、1990年)
- 猫のみる夢(講談社、BE LOVE KC、1990年)
- 彼のいる街(集英社、YOUコミックス、1991年)
- 窓をあければ(講談社、Me KC、1991年)
- ティファニーで約束を(講談社、BE LOVE KC、1992年)
- バラの花咲く家(集英社、YOUコミックス、1994年)
- ぴあの(講談社、BE LOVE KC、1994年)
- 梅宮小春と申します(スコラLC、1996年)
- 花鳥風月(秋田書店、秋田コミックスCOLLET、1996年)
脚注
編集注釈
編集- ^ 名鑑p.244より:①本名・②出身地・③生年月日のうち月日のみ・④現住所・⑥血液型の記載を確認[1]。
- ^ 事典p.104より:血液型・性別・生年月日・出生地(秦野市)・本名・最終学歴の記載を確認[3]。
- ^ p.39より:1953年に石ノ森章太郎が創刊した同人誌「墨汁一滴」の女子版を目指して立ち上げた肉筆回覧誌[2]。
- ^ 初期代表作として書影を掲載したのは、宝島社ムック本[4]+[5]。
- ^ 原作者は "羽生敦子"。平凡社ムック本及び書影アーカイブスより[6]+[7]。
- ^ 初出「別冊少女フレンド」1977年1 - 6月号連載。双葉社では「豪華絢爛!世界史漫画」4作品枠で選出[8]。
- ^ 巻末:あこがれの10人活動年譜より[10]。
出典
編集- ^ a b c d e 日本漫画家名鑑500編集委員会 1992, p. 244-245.
- ^ a b c d e f g 大井夏代 2014, p. 33-44.
- ^ a b 日外アソシエーツ 2003, p. 104.
- ^ このマンガがすごい編集部 2015, p. 75.
- ^ “KCフレンド517:ミニのあの子は応援団長・書影”. espace de massa. 新書版コミックス書誌情報:書影アーカイブス. 江下雅之 (n.d.). 2024年1月4日閲覧。
- ^ 米沢嘉博 1994, p. 48.
- ^ “KCフレンド548:お蝶でござんす 1巻・書影”. espace de massa. 新書版コミックス書誌情報:書影アーカイブス. 江下雅之 (n.d.). 2024年1月4日閲覧。
- ^ 二之宮隆 2021, p. 79.
- ^ 『漫画家・アニメ作家人名事典』 日外アソシエーツ、1997年4月21日発行。
- ^ 大井夏代 2014, p. 164-165.
参考文献
編集- 「日本漫画家名鑑500」編集委員会(委員長:石ノ森章太郎)・加藤昇 編『日本漫画家名鑑500:1945-1992』アクア・プランニング、1992年12月18日、1069頁。全国書誌番号:93037702。
- 高橋洋二(編)・米沢嘉博(構成)『少女マンガの世界2:子どもの昭和史 昭和三十八年ー六十四年』(初版第二刷)平凡社〈別冊太陽・スペシャル〉、1994年3月25日、1-163頁。ISBN 978-4582942408。(雑誌コード:65946-51)
- まんがseek・日外アソシエーツ編集部 共編『漫画家人名事典』(第1刷)日外アソシエーツ、2003年2月25日、482頁。ISBN 4816917608。
- 大井夏代『あこがれの、少女まんが家に会いにいく。』(第1刷)株式会社けやき出版、2014年4月8日、166頁。ISBN 978-4877515140。
- このマンガがすごい!編集部 編『大人の少女マンガ手帖:黄金時代 少女マンガランキング』宝島社〈TJ MOOK〉、2015年4月12日、1-144頁。ISBN 978-4800236579。(雑誌コード:66489-38)
- 二之宮隆 編『懐かしい! 70年代少女漫画:もう一度読みたい! 名作少女漫画115作品』(第1刷)双葉社〈双葉社スーパームック〉、2021年11月16日、1-162頁。ISBN 978-4575458800。(雑誌コード:67716-94)