源重実
平安時代後期の武将
源 重実(みなもと の しげざね、生没年不詳)は、平安時代後期の武将。佐渡守源重宗の長男。通称は佐渡源太。八島重実とも称した。
時代 | 平安時代後期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 佐渡源太、八島重実 |
主君 | 鳥羽院 |
氏族 | 清和源氏満政流(美濃源氏) |
父母 | 父:源重宗 母:不詳 |
兄弟 | 重実、重長、重高、重時、重親 |
妻 | 勾当大夫宗成女 |
子 |
重遠、重成、重忠、重貞(重定)、重頼、時成 重近、実宗、仲重、源実 |
生涯
編集承暦3年(1079年)の美濃国内における父重宗と源国房との合戦には重実も与していたとされる。その後は鳥羽院の武者所に伺候し、四天王の一人とまで呼ばれたという(『尊卑分脈』)。
天仁2年(1109年)2月に起きた源義忠暗殺事件では、当初重実が嫌疑をかけられ左大臣源俊房の邸内で検非違使に逮捕された(『百錬抄』)。
保延3年(1137年)3月に崇徳天皇から勅勘を蒙った(『尊卑分脈』)。
重実の子の重成・重貞らは平治の乱、保元の乱で名を馳せた。また、尾張国浦野に移住した重遠は、山田氏や葦敷氏、小河氏(水野氏)、高田氏、足助氏などの祖となった。
伝説
編集系譜
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 美濃国の河の辺に一の人あり。石に枕して流れに臨み、路を往還せず。ここに飲食は長く絶えたけれども、身体は皆暖かなり。散位源重実、狩猟してこの処に到り、弓をはだへもてその腹を推すに、その和なること生ける人の 膚のごとし。後日に尋ぬれどもある所を知らず。
出典
編集- ^ 『往生伝 法華験記』日本思想大系七、岩波書店、1974年)
参考文献
編集- 藤原公定撰 「清和源氏(上)」『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集』8 (吉川弘文館・国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
関連項目
編集- 清和源氏(系譜)