渡辺 忍(わたなべ しのぶ、1883年明治16年)5月29日[1] - 1955年昭和30年)1月28日[2])は、朝鮮総督府官僚

渡辺忍

経歴

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新潟県岩船郡関谷村(現在の関川村)出身[1]1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格[3]和歌山県属、同日高郡長、福井県理事官神奈川県事務官を務めた[3]1919年大正8年)、朝鮮総督府事務官に転じ、忠清北道内務部長、黄海道内務部長、平安南道内務部長、全羅北道知事、京畿道知事を歴任[3]1931年(昭和6年)、殖産局長兼山林部長となり、翌年に農林局長に転じた[1]

1935年(昭和10年)に退官し、東洋拓殖株式会社理事、日魯漁業株式会社(現在のマルハニチロ)取締役、南洋興発株式会社監査役、海外興業株式会社監査役、朝鮮農地営団理事長、朝鮮食糧営団理事長などを務めた[3][4][5]

戦後に中央日韓協会顧問を務めた[2]

脚注

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参考文献

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  • 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。