深津玉一郎
深津 玉一郎(ふかつ たまいちろう、1902年(明治35年)1月18日[1] - 1976年(昭和51年)2月22日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、愛知県半田市長(5期)などを歴任。
深津 玉一郎 ふかつ たまいちろう | |
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生年月日 | 1902年1月18日 |
出生地 | 愛知県 |
没年月日 | 1976年2月22日(74歳没) |
出身校 | 早稲田大学専門部法律科 |
所属政党 |
(日本自由党→) (民主自由党→) 無所属 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1955年5月1日 - 1975年4月30日 |
選挙区 |
旧愛知1区(大選挙区)→ 旧愛知2区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1946年4月11日 - 1948年12月23日 |
経歴
編集愛知県出身[3]。1925年、早稲田大学専門部法律科を卒業し、その後、コロンビア大学、ソルボンヌ大学大学院で学んた[3]。
愛知県半田農業学校講師、文部省嘱託、満州国外交部嘱託、満州炭鉱社員、富士産業農場長を務めた[3]。
1946年4月、第22回衆議院議員総選挙おいて大選挙区の愛知県第一区で日本自由党から出馬して当選[3]。第23回総選挙(旧愛知2区)でも当選し、衆議院議員を連続二期務めた[3]。この間、日本自由党総務、同渉外部副部長、同政調会鉱工業委員長、民主自由党常任総務などを務めた[3]。1949年1月の第24回総選挙は民主自由党から出馬するも落選。
炭鉱国管疑獄により逮捕され、1950年4月21日、東京地方裁判所で、懲役二年、追徴金二百万円の判決を受けた[4]。その後、控訴して争い、1951年5月22日、東京高等裁判所で懲役二年、執行猶予四年、追徴金二百万円の判決を受け、上告せず判決が確定した[5]。
その後、愛知県半田市長を1955年5月から連続5期20年務めた[2][3]。1976年半田市名誉市民[2]。
1976年2月22日、死去。74歳没。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 田中二郎、佐藤功、野村二郎編『戦後政治裁判史録 1』第一法規出版、1980年。
公職 | ||
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先代 森信蔵 |
愛知県半田市長 1955年 - 1975年 |
次代 竹内弘 |