河野 健二(かわの けんじ、1916年11月25日 - 1996年8月10日)は、日本歴史学者経済史家(専攻はフランス経済思想史)。京都大学名誉教授・京都市立芸術大学名誉教授。新京都学派の一人。

河野 健二
人物情報
生誕 (1916-11-25) 1916年11月25日
日本の旗 日本徳島県
死没 1996年8月10日(1996-08-10)(79歳没)
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 西洋史(経済史、社会史)、西洋思想史
研究機関 山口経済専門学校京都大学京都大学人文科学研究所愛知大学中部大学
学位 経済学博士
テンプレートを表示

来歴

編集

1916年、徳島県生まれ。旧制徳島中学校を経て、京都帝国大学経済学部に入学。1940年に卒業した。同1940年、京都帝国大学助手に採用された。

戦後の1946年、山口経済専門学校(現・山口大学経済学部)教授となった。1947年、京都大学助教授に転じ、1960年京都大学教養部教授となった。1961年、学位論文『フランス革命と経済思想』を京都大学に提出して経済学博士号を取得[1]1968年京都大学人文科学研究所教授に異動となり、1970年からは2期6年にわたって第7代所長を務めた[2]1969年から1973年まで「朝日新聞」論壇時評を担当した。1981年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。

その後は、愛知大学教授、中部大学教授、京都市立芸術大学学長、京都生涯学習総合センター(京都アスニー)所長をつとめた。

受賞・栄典

編集

研究内容・業績

編集

桑原武夫の後を継ぎ、ルソープルードンフランス革命を共同研究を進めた。またフランス革命と明治維新の比較研究を行った。

1967年4月に、河野の『福沢諭吉[3]が、同年12月に鹿野政直『福沢諭吉』[4]が発行された。両書は「脱亜論」へのコメントを含む新書版であったため、以来、「脱亜論」は日本帝国主義の理論として有名になった[5]。 1970年代には同様の、「脱亜論」をアジア侵略の礎とする論説が多く発行されるようになった[6]

著作

編集
著書
編著
翻訳

脚注

編集