沖縄県立沖縄工業高等学校
沖縄県那覇市にある高等学校
沖縄県立沖縄工業高等学校(おきなわけんりつ おきなわこうぎょうこうとうがっこう)は、沖縄県那覇市松川三丁目にある県立工業高等学校。略称は「沖工」(おきこう)。
沖縄県立沖縄工業高等学校 | |
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北緯26度12分55.46秒 東経127度42分22.79秒 / 北緯26.2154056度 東経127.7063306度座標: 北緯26度12分55.46秒 東経127度42分22.79秒 / 北緯26.2154056度 東経127.7063306度 | |
過去の名称 |
首里区立工業徒弟学校 沖縄県立工業徒弟学校 沖縄県立工業学校 琉球民政府立工業高等学校 琉球政府立工業高等学校 琉球政府立沖縄工業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 沖縄県 |
校訓 | 誠実・勤勉・忍耐 |
設立年月日 | 1902年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程(定時制は沖縄県立那覇工業高等学校へ合併) |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
電子機械科 情報電子科 建築科 土木科 工業化学科 生活情報科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D147220100027 |
高校コード | 47124A |
所在地 | 〒902-0062 |
沖縄県那覇市松川三丁目20番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
沿革
編集- 1902年6月15日 - 首里区立工業徒弟学校として首里区字当蔵(旧小禄殿内)で開校。開設学科:木工科(指物)、漆工(?漆)
- 1912年4月1日 - 木工科に建築部を設置
- 1914年4月1日 - 沖縄県立工業徒弟学校となる
- 1921年6月13日 - 沖縄県立工業学校となる。建築科を設置
- 1945年4月 - 第二次世界大戦、沖縄戦において、米軍の空襲により校舎全壊。鉄血勤皇隊および通信隊として97名の学徒が戦場に動員され、そのうち88名の学徒が戦死した[1]。
- 1948年4月1日 - 沖縄民政府立工業高等学校として那覇市安謝で開校。設置学科:本科(3年課程)機械科・電気科・建築科。研究科(1年課程) 機械科・建築科
- 1952年
- 4月1日 - 琉球政府設立により、琉球政府立工業高等学校となる。木材工芸科新設
- 12月 - 現在地への校舎移転完了
- 1955年4月1日 - 定時制課程設置(機械科・電気科・建築科)
- 1956年4月1日 - 漆工科新設
- 1957年4月1日 - 土木科新設
- 1958年4月1日 - 女子木材工芸科新設
- 1959年4月1日 - 自動車科新設
- 1963年4月1日 - 工業化学科新設。木材工芸科・漆工科・女子木材工芸科を廃し、工芸科を設置する。(工芸科を木材工芸・漆工・デザインの3コースに分ける)
- 1964年4月1日 - 琉球政府立沖縄工業高等学校に改称(電気科に電気コース・電子コースを設置)
- 1966年1月28日 - 電子科新設(電気科電子コースを電子科に改称)
- 1971年4月1日 - インテリア科、デザイン科を新設。(工芸科の木工・漆工・デザインの各コースは廃止)
- 1972年
- 4月1日 - 自動車科・電気科廃科
- 5月15日 - 日本復帰に伴い、沖縄県立沖縄工業高等学校となる
- 1985年3月1日 - インテリア科・デザイン科廃科(沖縄県立浦添工業高等学校へ)
- 1989年4月1日 - 電子機械科新設(機械科学年進行で廃科)
- 1990年4月1日 - 電子科を情報電子科に学科改編
- 1992年4月1日 - 生活情報科新設
- 2010年4月1日 - 定時制課程の生徒募集を停止。以降那覇工業高等学校で定時制を合併させた
設置学科
編集- 全日制
- 電子機械科
- 情報電子科
- 建築科
- 土木科
- 工業化学科
- 生活情報科
著名な出身者
編集脚注
編集- ^ 沖縄戦に動員された21校の学徒隊 - 沖縄県