池江敏郎
池江 敏郎(いけえ としろう、1935年 - 2007年[1]1月17日)は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の厩務員。
中央競馬の元騎手で元調教師の池江泰郎は弟[2]、中央競馬の厩務員池江秀也は弟、中央競馬の調教師池江泰寿と、中央競馬の調教助手池江敏行は甥。
来歴
編集看板を制作する職人、建設作業員を経て繊維工場の労働者となったが、第一次オイルショックの影響で解雇され、1974年に弟である池江泰郎の勧めを受けて中央競馬の厩務員となった。
はじめは京都競馬場の上田武司厩舎に所属し、その後瀬戸口勉厩舎へ移籍した。第二次競馬ブームの際、オグリキャップの担当厩務員[3][1][2]として有名になった。1990年にはオグリキャップ調教師の瀬戸口勉、調教助手の辻本光雄と共に3人で東京競馬記者クラブ賞を受賞した[4]。オグリキャップがケガが元となって不振が続いていた時期にはキック力をよみがえらせるために1日30分腰にマイクロレーダーを当て続け、その結果1.2あった視力が0.5にまで落ちてしまったのだという[5]。
おもな担当競走馬
編集受賞歴
編集- 東京競馬記者クラブ賞(1990年「オグリキャップのスタッフ」のひとりとして受賞)[4][6]
脚注
編集- ^ a b c d e “【有馬記念】オグリにデュレン…万感の23年”. スポーツニッポン (2010年12月24日). 2012年2月24日閲覧。
- ^ a b c d e 花岡貴子 (2010年7月11日). “Legend Stable 池江泰郎厩舎の軌跡「兄はオグリキャップとともに燃え尽きたよ」”. keiba@nifty. ニフティ. 2012年2月24日閲覧。
- ^ a b c 「Yushun Square『YUSHUN SCOOP』」『優駿』、日本中央競馬会、1994年7月、178頁。
- ^ a b 優駿を愛する会(編)1991、102-103頁。
- ^ 優駿を愛する会(編)1991、96頁。
- ^ 「ニュース&インフォメーション『東西の競馬記者クラブ賞決定』」『優駿』、日本中央競馬会、1991年3月、158頁。
参考文献
編集- 渡瀬夏彦『銀の夢 オグリキャップに賭けた人々』講談社、1992年。ISBN 4062052822。
- 優駿を愛する会(編) 編『まるごとオグリキャップ伝説―勇気と元気をありがとう 永久保存版』KKベストセラーズ〈ワニ文庫〉、1991年。ISBN 4584302553。