池州(ちしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から初にかけて、現在の安徽省池州市一帯に設置された。

概要

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765年永泰元年)、唐により宣州秋浦県に池州が置かれた。池州は江南西道に属し、秋浦・青陽石埭至徳の4県を管轄した[1]

のとき、池州は江南東路に属し、貴池・青陽・石埭・建徳東流の5県と永豊監を管轄した[2]

1277年至元14年)、元により池州は池州路と改められた。池州路は江浙等処行中書省に属し、録事司と貴池・青陽・銅陵・石埭・建徳・東流の6県を管轄した[3]1361年朱元璋により池州路が池州府と改められた。

のとき、池州府は南直隷に属し、貴池・青陽・銅陵・石埭・建徳・東流の6県を管轄した[4]

のとき、池州府は安徽省に属し、貴池・青陽・銅陵・石埭・建徳・東流の6県を管轄した[5]

1913年中華民国により池州府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志三
  2. ^ 宋史』地理志四
  3. ^ 元史』地理志五
  4. ^ 明史』地理志一
  5. ^ 清史稿』地理志六