永久欠番(えいきゅうけつばん、英語:retired number)は、背番号などを使用するスポーツにおいて、多大な功績を残した人物の使用した番号を、その人物の栄誉と栄光の歴史を末永く称えるために、団体内で対象となった人物のみが使用できるように欠番にした状態をいう。または、その数字

野球界の永久欠番

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サッカー界の永久欠番

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日本

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日本のプロサッカーリーグ・Jリーグでは、1997年の固定背番号制度発足に伴い、「選手が着用する背番号は連番とし、欠番を作らないように」という通達が出ていたが、サポーターとしての欠番や、移籍選手の背番号の空き番措置に対して各クラブチームの意思が強くなったために、2004年、原則として50番[注 1] までは連番でなくてもよいと改正された。この改正により、選手個人としての永久欠番が認められるようになった。

チーム所在地順。

ザスパ群馬
  • 31 - 奥野僚右 2005年
    • 選手兼任の初代監督としてチームをJリーグ昇格に導いた功績により、2005年に彼が付けていた31番を永久欠番に制定。
横浜F・マリノス
  • 3 - 松田直樹 2011年8月12日
    • JFL・松本山雅FCに在籍中であった2011年8月2日、練習中に急性心筋梗塞により倒れ同月4日に急逝。同月12日にJ1初の永久欠番に指定。F・マリノスはその理由について「(松田直樹選手の)横浜F・マリノス、日本代表、そして日本サッカー界への多大なる貢献への敬意と謝意、さらには松田直樹という偉大な選手への心からの追悼の証として、横浜F・マリノス在籍時に使用していた『3』を永久欠番とすることを決定した」と説明している[2]。なお2011年シーズン当初から3番は空き番号だった[3]
FC岐阜
  • 13 - 桐山周也 2011年
    • ジュニアユースに所属していた選手であったが、2010年に遠征中に立ち寄った海水浴場で水難事故に遭い急逝。事故再発防止を誓う意味を込め、すべてのチームカテゴリーにおいて13を永久欠番とした[4][5]
ガイナーレ鳥取
  • 5 - 不明 2001年
    • JFL加盟当初から永久欠番に指定しているが指定理由は公表されていない。これは(ガイナーレの)前身のクラブで現役中に亡くなった選手の着けていた番号であると思われる[6](選手名は不明)。
    • ファミリーチームのSC鳥取ドリームスでも、同様に欠番だったが、2015年からこの番号をつける選手が登場している。
サガン鳥栖
  • 17 - 坂田道孝 2005年1月30日
    • Jリーグ初の永久欠番。当時、佐賀大学教授で佐賀県サッカー協会理事長。1994年静岡県浜松市にあったPJMフューチャーズ佐賀県鳥栖市に誘致し、 鳥栖フューチャーズを発足させた。クラブチーム中興の祖であり、経営難による鳥栖フューチャーズ消滅後も、再設立活動に尽力し、チームを復活させた鳥栖最大の功労者。チームの再興を見届け、2000年1月7日逝去(命日1月7日にちなみ意志を受け継ぐという意味で17番を永久欠番に制定)。
    • また、当時J2のベンチ登録選手が16人(2010年より18人に拡大)であることからサポーターをそれに次ぐ「17番目の選手」としてサポーターズナンバーも兼ねている。

永久ではなくなった永久欠番

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アルテ高崎
  • 30 - 加藤康祐 2005年 - 2011年
    • 2005年2月、練習中に心室細動を起こし急逝。彼の功績を称えて彼が付けていた30番を永久欠番に指定。2011年にアルテ高崎が解散したため永久欠番も消滅した。
藤枝MYFC
  • 2 - 斉藤俊秀 2013年11月28日[7] - 2019年
    • 2009年の静岡県1部リーグ時代から選手兼監督としてチームを率いてJFL昇格に貢献、翌年創設されるJ3リーグ参入が決定した2013年をもって選手兼任監督を退いた際に制定。2020年、前年のJ3優勝争い(3位)をしたことを受け、J3優勝・J2昇格という次なるステージを本格的に捉え、日本サッカー・Jリーグの発展に貢献している斉藤の姿に刺激を受けつつ、尊敬の気持ちをクラブの原動力に変えて新たな歴史を築いていく決意のもとで再び選手の背負う番号として使用すると発表した[8]
    • 同年からは川島將が前年の22から変更する形で使用。
鈴鹿アンリミテッドFC / 鈴鹿ポイントゲッターズ
  • 5 - 榊親平 2019年 - 2022年
    • 2008年から2018年まで11年間在籍した榊親平の功績を称え、引退時に制定[9]。2023年に役員が総退陣し、新体制に移行した際に解除された[10]
    • 同年からは平出涼が前年の4から変更する形で使用。

イタリア

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全チーム
  • 88:ネオナチズム、反ユダヤ主義に対しての抗戦のために全てのカテゴリーで使用を禁じられている[11]
ACミラン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
SSCナポリ
アタランタBC
カリアリ・カルチョ
ブレシア・カルチョ
LRヴィチェンツァ・ヴィルトゥス
ACキエーヴォ・ヴェローナ
SSローブル・シエーナ
ボローニャFC
ジェノアCFC
パルマ・カルチョ1913
ACRメッシーナ
ACFフィオレンティーナ
ASリヴォルノ・カルチョ

永久ではなかった永久欠番

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ASローマ
ASリヴォルノ・カルチョ

イングランド

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マンチェスター・シティFC
ウェストハム・ユナイテッドFC
バーミンガム・シティFC
ハートリプール・ユナイテッドFC
クイーンズ・パーク・レンジャーズFC
ウィコム・ワンダラーズFC

スペイン

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グラナダCF
  • 892:アントニオ・トルヒーリョ
観戦中にスタンドで急死。ファンクラブ会員番号であった892を永久欠番とする。

フランス

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スタッド・レンヌ
クレルモン・フット
CSスダン・アルデンヌ
RCランス
FCナント
  • 9エミリアーノ・サラ
    • ナントからカーディフへ移籍する際、移籍先へ向かうはずの飛行機が墜落。2019年2月7日に死亡している状態で発見された[12]

ドイツ

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FCバイエルン・ミュンヘン
SVヴァッカー・ブルクハウゼン

オランダ

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アヤックス・アムステルダム
FCユトレヒト

ベルギー

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クラブ・ブルッヘ

ポルトガル

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SLベンフィカ

スイス

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FCバーゼル

ギリシャ

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PAOKテッサロニキ

ポーランド

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レギア・ワルシャワ

ハンガリー

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フェレンツヴァーロシュTC
ブダペスト・ホンヴェードFC

オーストリア

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SVリート

ルーマニア

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FCディナモ・ブカレスト

チェコ

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SKディナモ・チェスケー・ブジェヨヴィツェ

デンマーク

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オールボーBK
FCミディランド
ネストヴェズBK
ヴィボルグFF
FCコペンハーゲン

スウェーデン

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カルマルFF
IFKノーショーピング

ノルウェー

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フレドリクスタードFK

ロシア

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PFC CSKAモスクワ

イスラエル

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ハポエル・ベエール・シェヴァ

メキシコ

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アトランテFC
CFモンテレイ
CDグアダラハラ
CDウニベルシタリオ・デ・ヌエヴォ・レオン

チリ

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CDコブレロア

ペルー

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ウニベルシタリオ・デポルテス

アメリカ

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ニューヨーク・コスモス

韓国

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釜山アイパーク
水原三星ブルーウィングス

中国

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北京控股足球倶楽部

サウジアラビア

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アル・ナスル

インドネシア

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プルシジャ・ジャカルタ

バスケットボール界の永久欠番

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アメリカンフットボール界の永久欠番

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アメリカン・フットボール・カンファレンス(AFC)
チーム 番号 欠番対象者 制定年月日 ポジション 備考
バッファロー・
ビルズ
12 ジム・ケリー
Jim Kelly
2001年 QB
34 サーマン・トーマス
Thurman Thomas
2018年10月29日 RB
78 ブルース・スミス
Bruce Smith
2016年9月15日 DE
マイアミ・
ドルフィンズ
12 ボブ・グリーシー
Bob Griese
1985年 QB
13 ダン・マリーノ
Dan Marino
2003年 QB
39 ラリー・ゾンカ
Larry Csonka
2002年 RB
ニューイングランド・
ペイトリオッツ
20 ジーノ・キャパレッティ
Gino Cappelletti
WR
40 マイク・ヘインズ
Mike Haynes
1994年 CB
57 スティーブ・ネルソン
Steve Nelson
1988年 LB
73 ジョン・ハナ
John Hannah
G
79 ジム・ハント
Jim Lee Hunt
DT
89 ボブ・ディー
Bob Dee
DE
ニューヨーク・
ジェッツ
12 ジョー・ネイマス
Joe Namath
1985年 QB
13 ドン・メイナード
Don Maynard
WR
28 カーティス・マーティン
Curtis Martin
2012年 RB
73 ジョー・クレッコ
Joe Klecko
2004年 DL
90 デニス・バード
Dennis Byrd
2012年 DE
ウィーブ・ユーバンク
Weeb Ewbank
HC
シンシナティ・
ベンガルズ
54 ボブ・ジョンソン
Bob Johnson
1978年 C
クリーブランド・
ブラウンズ
14 オットー・グレアム
Otto Graham
QB
32 ジム・ブラウン
Jim Brown
RB
45 アーニー・デービス
Ernie Davis
HB
46 ドン・フレミング
Don Fleming
DB
76 ルー・グローザ
Lou Groza
1968年 T/K
ピッツバーグ・
スティーラーズ
32 フランコ・ハリス
Franco Harris
2022年 FB
70 アーニー・スタウトナー
Ernie Stautner
1964年 T
75 ミーン・ジョー・グリーン
Joe Greene
2014年 DT
インディアナポリス・
コルツ
18 ペイトン・マニング
Peyton Manning
2017年10月8日 QB
19 ジョニー・ユナイタス
Johnny Unitas
QB
22 バディー・ヤング RB
24 レニー・ムーア RB
70 アート・ドノバン DT
77 ジム・パーカー G/T
82 レイモンド・ベリー WR
89 ジーノ・マーチェッティ DE
テネシー・
タイタンズ
1 ウォーレン・ムーン QB
9 スティーブ・マクネア QB
27 エディ・ジョージ RB
34 アール・キャンベル RB
43 ジム・ノートン S
63 マイク・マンチャック G
65 エルヴィン・ベセア DE
74 ブルース・マシューズ G/C
デンバー・
ブロンコス
7 ジョン・エルウェイ QB
18 フランク・トリプカ
Frank Tripucka
1963年 QB 2012年にペイトン・マニングがブロンコスに移籍した際に
トリプカ本人の許諾を得た上で、引退する2016年まで使用された。
44 フロイド・リトル RB
カンザスシティ・
チーフス
3 ヤン・ステナルード K
16 レン・ドーソン QB
18 エミット・トーマス CB
28 アブナー・ヘインズ RB
33 ストーン・ジョンソン RB
36 マック・リー・ヒル RB
58 デリック・トーマス LB
63 ウィリー・レニエル LB
78 ボビー・ベル LB/DE
86 バック・ブキャナン DT
ロサンゼルス・
チャージャーズ
14 ダン・ファウツ QB
19 ランス・アルワース WR
21 ラダニアン・トムリンソン RB
55 ジュニア・セアウ LB
ナショナル・フットボール・カンファレンス(NFC)
チーム 番号 欠番対象者 制定年月日 ポジション 備考
ニューヨーク・
ジャイアンツ
1 レイ・フラハーティ E
4 タフィー・リーマンズ RB
7 メル・ヘイン C
10 イーライ・マニング
Eli Manning
2020年1月25日 QB
11 フィル・シムズ QB
14 ウォード・カフ RB
Y・A・ティトル QB
16 フランク・ギフォード RB/WR
32 アル・ブロジス T
40 ジョー・モリソン RB/E
42 チャーリー・コナリー QB
50 ケン・ストロング RB
56 ローレンス・テイラー LB
92 マイケル・ストレイハン DE
フィラデルフィア・
イーグルス
5 ドノバン・マクナブ QB
15 スティーブ・バンビューレン RB
20 ブライアン・ドーキンス S
40 トム・ブルックシャー DB
44 ピート・レツラフ E
60 チャック・ベドナリク C/LB
70 アル・ウィスタート T
92 レジー・ホワイト DE
99 ジェローム・ブラウン DT
ワシントン・
コマンダース
9 ソニー・ジャーゲンセン QB
21 ショーン・テイラー FS
33 サミー・ボウ QB
49 ボビー・ミッチェル HB/FL
シカゴ・
ベアーズ
3 ブロンコ・ナグルスキー FB
5 ジョージ・マカフィー RB
7 ジョージ・ハラス E
28 ウィリー・ガリモア RB
34 ウォルター・ペイトン RB
40 ゲイル・セイヤーズ RB
41 ブライアン・ピッコロ RB
42 シド・ラックマン QB
51 ディック・バトカス LB
56 ビル・ヒューイット E
61 ビル・ジョージ G/LB
66 ブルドッグ・ターナー C
77 ハロルド・レッド・グランジ RB
89 マイク・ディトカ TE
デトロイト・
ライオンズ
7 ダッチ・クラーク RB
20 バリー・サンダース RB
22 ボビー・レーン QB
37 ドーク・ウォーカー RB
56 ジョー・シュミット LB
85 チャック・ヒューズ WR
グリーンベイ・
パッカーズ
3 トニー・カナデオ RB
4 ブレット・ファーヴ QB
14 ドン・ハトソン E/DB
15 バート・スター QB
66 レイ・ニチキ LB
92 レジー・ホワイト DE
ミネソタ・
バイキングス
10 フラン・ターケントン QB
53 ミック・ティンゲルホフ C
70 ジム・マーシャル DE
77 コーリー・ストリンガー T
80 クリス・カーター WR
88 アラン・ペイジ DT
カロライナ・
パンサーズ
51 サム・ミルズ LB
ニューオーリンズ・
セインツ
31 ジム・テイラー RB
81 ダグ・アトキンス DE
タンパベイ・
バッカニアーズ
55 デリック・ブルックス LB
63 リーロイ・セルモン DE
99 ウォーレン・サップ DT
アリゾナ・
カージナルス
8 ラリー・ウィルソン S
40 パット・ティルマン S
77 スタン・モールディン T
88 J・V・ケイン WR/TE
99 マーシャル・ゴールドバーグ RB/DB J・J・ワットはゴールドバーグの娘の
許可を得て2021年から着用している。
ロサンゼルス・
ラムズ
7 ボブ・ウォーターフィールド QB
28 マーシャル・フォーク RB
29 エリック・ディッカーソン RB
74 マーリン・オルセン DT
75 ディーコン・ジョーンズ DT
78 ジャッキー・スレーター T
80 アイザック・ブルース WR
85 ジャック・ヤングブラッド DE
サンフランシスコ・
フォーティナイナーズ
8 スティーブ・ヤング QB
12 ジョン・ブロディ QB
16 ジョー・モンタナ QB
34 ジョー・ペリー RB
37 ジミー・ジョンソン DB
39 ヒュー・マケルヘニー RB
42 ロニー・ロット DB
70 チャーリー・クルーガー DT
73 レオ・ノメリーニ T
79 ボブ・セント・クレア T
80 ジェリー・ライス WR
87 ドワイト・クラーク WR
BW ビル・ウォルシュ HC
Mr. D エドワード・J・デバルトロ・ジュニア Owner
シアトル・
シーホークス
12 シーホークス・ファン - フィールド上の11人に次ぐ「12番目の選手」を意味する番号として
ファン専用の欠番となっている。
なお、過去に付けた選手はサム・アドキンス(Sam Adkins)ただ一人である。
45 ケニー・イーズリー S
71 ウォルター・ジョーンズ T
80 スティーブ・ラージェント WR 2004-05シーズンに限りジェリー・ライスがラージェントの許可の下で着用した。
96 コーテス・ケネディ DT

備考

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アイスホッケー界の永久欠番

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北米アイスホッケーリーグ(NHL)全球団
エドモントン・オイラーズ
オタワ・セネターズ
カルガリー・フレームス
カロライナ・ハリケーンズ
コロラド・アバランチ
シカゴ・ブラックホークス
セントルイス・ブルース
ダラス・スターズ
デトロイト・レッドウィングス
トロント・メープルリーフス
ニュージャージー・デビルス
ニューヨーク・アイランダース
ニューヨーク・レンジャース
バッファロー・セイバーズ
バンクーバー・カナックス
ピッツバーグ・ペンギンズ
フィラデルフィア・フライヤーズ
フェニックス・コヨーテズ
ボストン・ブルーインズ
モントリオール・カナディアンズ
ロサンゼルス・キングス
ワシントン・キャピタルズ

モータースポーツの永久欠番

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F1世界選手権
フォーミュラ2
ロードレース世界選手権[15]
ブリティッシュスーパーバイク選手権
チャンプカー
国際モータースポーツ協会
飯塚オートレース場

備考

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  • ケビン・シュワンツはロードレース世界選手権500ccにおいて1988年から1995年までの8シーズンでGP通算25勝を記録し、1993年にはチャンピオンとなった。引退後、功績を称え、シュワンツが長年愛用したゼッケン番号34をMotoGPクラスにおける永久欠番とした。
  • 加藤大治郎は2003年4月6日鈴鹿サーキットにて開催された第1戦日本GP決勝レース中において事故死。日本バイク界への多大なる功績を称え、愛用していたゼッケン番号74はMotogpクラスの永久欠番となった。74番は誕生日の7月4日に由来。
  • グレッグ・ムーアはCARTの最年少優勝記録を樹立するなど、下位カテゴリーを含め多くの最年少記録を塗り替え、若手の有望株として知られていた。しかし、1999年10月31日、最終戦フォンタナの決勝レース中に事故死。その死を悼み、愛用していた99番が永久欠番となったが、CARTの跡を継ぐ組織チャンプカー(CCWS)が2008年にインディカー(IRL)との再統合を果たしたのと同時にこの永久欠番制度も消滅した(CCWSとIRLの分裂時代、および統合以降のインディ500では、99番のマシンがエントリーしている)。
  • 中村政信はSGを二度制覇するなどオートレース西の横綱と称されファンからも愛されたが、1999年12月23日飯塚オート第11レースでの落車事故により殉職。その後、ファンからの強い要望もあり飯塚での練習番号71が永久欠番となった。
  • ジュール・ビアンキは、フェラーリの契約下でマルシャに所属し、2014年モナコグランプリで自身とチームの初ポイントを挙げるなど若手の有望株であったが、同年10月5日鈴鹿サーキットにて開催された第15戦日本GP決勝レース中での大事故で意識不明に陥り、翌2015年7月に死去。その死を悼み、折しも2014年に制定されたばかりのドライバー固定番号制のもとで、ビアンキが付けていた17番が永久欠番となった。F1で永久欠番が制定されるのは史上初めてである。
  • ニッキー・ヘイデンは2006年ロードレース世界選手権MotoGPクラスチャンピオン、28度の表彰台フィニッシュなど輝かしい成績を残してきたライダーだったが、2017年5月17日にイタリアのリミニ近郊で自転車でのトレーニング中に車と衝突、事故から5日後の5月22日に病院で死去した。
  • アントワーヌ・ユベールは2018年のGP3王者で、今年からFIA F2に参戦。ルノーの秘蔵っ子として将来を嘱望された若手だったが、第9戦スパ・フランコルシャンでのレース1でのレース中に、クラッシュに巻き込まれ死去。所属していたアーデンはユベールが付けていた「19」を永久欠番となった。

その他のスポーツにおける永久欠番

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バレーボール

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ダイエー・オレンジアタッカーズ(現久光製薬スプリングス)、アメリカ女子代表[要出典]
  • 7 - フローラ・ハイマン
    • 1986年1月の試合中に意識を失い急死。オレンジアタッカーズおよびアメリカ代表[要出典]それぞれの7番を永久欠番とする。ただしオレンジアタッカーズの永久欠番については久光製薬には引き継がれていない。
サントリーサンバーズ
  • 16 - ジルソン・ベルナルド
    • チームの黄金時代に多大に貢献したジルソン・ベルナルドの功績を称えて永久欠番としており[16]、2014年現在Vリーグ唯一の永久欠番である。
安山OK貯蓄銀行ラッシュアンドキャッシュ韓国Vリーグ
IBK企業銀行アルトス韓国Vリーグ
韓国道路公社ハイパス韓国Vリーグ

ソフトボール

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アクロン・レーサーズNPF

ハンドボール

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東京学芸大学
  • 2 - 青木四郎
    • 1972年11月6日にインカレの帰途、東名高速道路の事故で死亡。主将として1部昇格へ導くなど功績を称え永久欠番とする。
ハンガリー女子代表

自転車(ロードレース)

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ジロ・デ・イタリア
  • 108 - ワウテル・ウェイラント
    • 2011年5月9日に行われたジロ・デ・イタリア第3ステージの出走中に落車し死亡。主催者ではウェイラントの付けていたゼッケン108番を永久欠番としている。よってゼッケン100番台は101から107までと109となる。
パリ〜ルーベ
  • 84 - マイケル・ホーラールツ英語版
    • 2018年4月8日に行われた本大会の出走中に心臓発作を起こして死亡した[17]。主催者はホーラールツが付けていたゼッケン番号「84」を欠番としている。
ヘント〜ウェヴェルヘム
  • 192 - アントワーヌ・ディモワティエ英語版
    • 2016年3月27日に行われた本大会の出走中に落車したところをモトに轢かれて死亡した[18]。主催者はディモワティエが付けていたゼッケン番号「192」を欠番としている。
ツール・ド・ポローニュ
  • 143 - ビョルグ・ランブレヒト英語版
    • 2019年8月5日に行われた本大会第3ステージ出走中に落車し、死亡した[19]。主催者はランブレヒトが付けていたゼッケンナンバー「143」を欠番としている。

その他の永久欠番

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その他転用

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「永久欠番」という言葉は、その本来に意味合いにならったかたちで転用されることがある。

落語の名跡

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落語などの伝統芸能では、功績が偉大だった者の名跡や、あるいは元々のジャンルでは軽い名跡であるが、別ジャンルへの移籍後に大きな功績を残したことにより、襲ぐ者がいない、名跡の管理を行っている者たちが触れたがらないなどの事情から、長年に渡り襲名が行われない名跡がある。これについて、「永久欠番の芸人」「永久欠番の名跡」などと評することがある。

また上方落語界において「六代目」は六代目笑福亭松鶴のことを指すといわれており、2012年7月に6代目の桂文枝を襲名した桂三枝は、六代目松鶴に畏敬を込めて「目」を入れずに「六代桂文枝」を名乗る。

歌舞伎の掛け声

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歌舞伎上演中に大向うが役者に掛ける「〜屋っ!」「〜代目っ!」といった掛け声のなかには、二つの歴代数が過去の特定の歌舞伎役者を指す語として歌舞伎の世界では定着している。

したがって、例えば当代の九代目市川團蔵六代目澤村田之助が舞台にのぼっても、これに「九代目っ!」「六代目っ!」といった掛け声を掛ることはまずない。

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ なお「51番以降は連番としなければならない」という規定だったため、事実上51番は自由に使用可能であった(2022年のFC岐阜における石津大介)。2023年以降は99番まで連番でなくとも使用可能。

出典

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  1. ^ 理由はさまざま!サッカー界の「永久欠番」”. 2019年12月15日閲覧。
  2. ^ 松田直樹選手、横浜M時代の「3」が永久欠番に”. サンスポ (2011年8月12日). 2011年8月12日閲覧。
  3. ^ 松本山雅FCでも2013年まで空き番であったがこれについての公式発表はなかった。2014年よりF・マリノスで松田とプレー経験がある田中隼磨が着用。
  4. ^ 木村元彦「永久欠番 未来永劫FC岐阜とともに戦い、走り続ける背番号13」『フットボール批評』第11号、カンゼン、2016年6月、70-73頁。 
  5. ^ クラブとともに戦い、走り続ける背番号13――。FC岐阜の永久欠番 ジュニアサッカーを応援しよう!(2016年9月9日)、2017年9月1日閲覧。
  6. ^ J1横浜マ:急逝の松田直樹さんの背番号「3」永久欠番に”. 毎日jp (2011年8月12日). 2011年8月12日閲覧。
  7. ^ 齊藤俊秀監督兼選手 現役引退及び退団のお知らせ』(プレスリリース)藤枝MYFC、2013年11月28日http://myfc.co.jp/?p=37282014年5月11日閲覧 
  8. ^ 永久欠番としていた「背番号2番」について』(プレスリリース)藤枝MYFC、2020年3月6日http://myfc.co.jp/news/20200306/1107707/2020年3月6日閲覧 
  9. ^ 2019シーズン背番号決定のお知らせ』(プレスリリース)鈴鹿ポイントゲッターズ、2019年2月5日https://suzuka-un.co.jp/news/24155/2023年2月2日閲覧 
  10. ^ 2023シーズンの選手リスト及び背番号について』(プレスリリース)鈴鹿ポイントゲッターズ、2023年2月1日https://suzuka-un.co.jp/news/49977/2023年2月2日閲覧 
  11. ^ 千葉修宏. “イタリアサッカー界でナチスにちなんだ背番号88の着用が禁止に、反ユダヤ主義と戦う姿勢表す - 海外サッカー : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年6月14日閲覧。
  12. ^ ナント、サラ選手の背番号9を永久欠番に…「クラブに貢献しファンから愛された」”. スポーツニッポン (2019年2月9日). 2019年2月9日閲覧。
  13. ^ FC Bayern retire No.5 shirt in honour of Franz Beckenbauer”. FCバイエルン・ミュンヘン (2024年12月8日). 2024年12月9日閲覧。
  14. ^ Greene, Nick (2014-11-07). “Who Had the First Jersey Number to Be Retired in Sports?”. Mental Floss. http://mentalfloss.com/article/59830/who-had-first-jersey-number-be-retired-sports 2017年10月28日閲覧。. 
  15. ^ 『46』がMotoGPクラスの永久欠番になるセレモニー開催。ロッシに記念トロフィーが贈られる/MotoGP第8戦イタリアGP”. オートスポーツWeb (2022年5月29日). 2023年10月7日閲覧。
  16. ^ サントリーサンバーズ. “メンバー”. 2012年7月20日閲覧。
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