歩兵第63連隊(ほへいだい63れんたい、歩兵第六十三聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
- 7月 - 第16師団隷下となる
- 8月8日 - 軍旗拝受
- 11月 - 第16師団から第17師団に所属変更。
- 11月16日 - 島根県八束郡津田村に移転[2]。
- 12月14日 ‐ ルソン島へ転進のため乗船した船団は高雄港を出港するが、アメリカ軍機動部隊が台湾、ルソン方面を制空しているため、南下できないだけでなく、逆に北方に避退を続けることになった[4]。その後、機動部隊が去るのを待って南下を開始したが[5]、サンフェルナンド湾入港直前の23日に潜水艦の魚雷攻撃を受け輸送船「乾瑞丸」が沈没、第3大隊の三分の二が死亡した。
- 1月3日 - 集結地サンホセに到着。バレテ峠に陣地構築[6](第6中隊はサラクサク峠に配置された捜索第10連隊に転属[7]。その後、第10、第11中隊もサラクサク峠地区に派遣[8]。)
- 3月 - バレテ峠に来攻したアメリカ軍の攻撃により戦死者続出
- 6月14日 - バレテ峠からの転進開始[9]実質的に全滅状態となる
- 8月5日 - 残存兵力約90名がピナパガンに到着する[10]
- 8月20日 - ピナパガンにおいて終戦を知る[11]
- 9月12日 - ウルトウガンにおいて軍旗奉焼[11][10]
歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐)
代 |
氏名 |
在任期間 |
備考
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1 |
石黒千久之助 |
1905.7.12 - |
中佐
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2 |
白川健次郎 |
1909.11.30 - 1912.12.10 |
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3 |
有吉雅一 |
1912.12.10 - 1913.2.14 |
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4 |
森部静夫 |
1913.2.14 - 1917.8.6 |
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5 |
町田勝五郎 |
1917.8.6 - 1921.7.20[12] |
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6 |
外山豊造 |
1921.7.20 - 1922.8.15[13] |
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7 |
鳥居佐太郎 |
1922.8.15 - 1923.8.6[14] |
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8 |
町田徳助 |
1923.8.6 - |
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9 |
松本三太郎 |
1924.2.4 - |
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10 |
谷藤長英 |
1928.3.8 - |
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11 |
伊田常三郎 |
1929.8.1 - |
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12 |
中村音吉 |
1931.8.1 - |
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13 |
飯塚朝吉 |
1932.12.7 - 1934.3.10 |
戦死し少将に特進
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14 |
人見与一 |
1934.3.23 - |
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15 |
中井重義 |
1936.3.7 - |
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16 |
福栄真平 |
1937.10.5 - |
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17 |
堤三樹男 |
1939.3.9 - |
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末 |
林葭一 |
1941.3.1 - |
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- ^ 『官報』第7126号、明治40年4月5日。
- ^ 『官報』第7622号、明治41年11月20日。
- ^ 『歩兵第六十三聯隊史』、453頁。
- ^ 『ルソン決戦』、23頁。
- ^ 『ルソン決戦』、25頁。
- ^ 『歩兵第六十三聯隊史』、460頁。
- ^ 『歩兵第六十三聯隊史』、458頁。
- ^ 『歩兵第六十三聯隊史』、465頁。
- ^ 『歩兵第六十三聯隊史』、467頁。
- ^ a b 『ルソン決戦』、530頁。
- ^ a b 『歩兵第六十三聯隊史』、470頁。
- ^ 『官報』第2692号、大正10年7月21日。
- ^ 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
- ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。
- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』
- 歩兵第六十三聯隊史編纂委員編『歩兵第六十三聯隊史』歩兵第六十三聯隊史刊行委員会、1974年。