歩兵第115連隊
歩兵第115連隊(ほへいだい115れんたい、歩兵第百十五聯隊)は、大日本帝国陸軍の歩兵連隊の一つ。日中戦争勃発を受けて、群馬県高崎市にて編成された特設第114師団の隷下部隊として歩兵第15連隊の予備役召集などにより編成。
歩兵第115連隊 | |
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創設 | 1937年(昭和12年)10月18日 |
廃止 | 1939年(昭和14年)8月 |
再編成 | 1940年(昭和15年)8月 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 日本-南支-ラバウル-ニューギニア |
編成地 | 高崎 |
通称号/略称 | 基2804 |
上級単位 | 特設第114師団 - 第51師団 |
最終位置 | ニューギニア |
戦歴 | 日中 - 第二次世界大戦 |
1939年(昭和14年)に一旦解隊するが、翌1940年(昭和15年)、歩兵第15連隊の満洲移駐により高崎を衛戍地とする常設連隊として第51師団隷下に再編成された。その後南支方面から1942年(昭和17年)に南方戦線に派遣。ニューギニアの戦いで壊滅的打撃を受けた。
沿革
編集- 1937年(昭和12年)10月18日、創設。第114師団隷下。
- 1937年(昭和12年)10月-12月、南京攻略戦に参加。
- 1938年(昭和13年)2月、北支方面に転戦。同年5月、徐州方面。
- 1939年(昭和14年)8月、高崎に帰還。軍旗奉還。
- 1940年(昭和15年)8月、歩兵第15連隊の満州移駐とともに再召集、高崎市を衛戍地とする。
- 1941年(昭和16年)8月、南支派遣軍。
- 1942年(昭和17年)11月、ラバウル進出(第18軍隷下)。
- 1943年(昭和18年)2月28日-3月3日、ニューギニア島へ向かう途中のダンピール海峡で大規模な空襲を受け、壊滅的な打撃を被る(ビスマルク海海戦)。その後ニューギニアで消耗戦を繰り返しつつ終戦を迎える。
連隊長
編集代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 | ||
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第一次 | |||||
1 | 矢ヶ崎節三 | 1937.10.22 - | 中佐 | ||
2 | 遠藤寅平 | 1938.6.22 - 1939.9.10 | 中佐、1939.8.大佐 | ||
第二次 | |||||
1 | 遠藤寅平 | 1940.9.7 - 1943.3.3 | 戦死(海没) | ||
2 | 松井隆美 | 1943.3.15 - | 1945.3.少将 |