橘 正忠(たちばな まさただ、1922年2月2日 - 2004年4月1日[1])は、日本の外交官

来歴・人物

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1944年東京大学法学部卒、1945年外務省に入省後、1950年米国留学、カナダ在勤、シドニー領事、報道課長、香港領事、1969年在オーストリア日本大使館参事官、1970年アメリカ局参事官などを歴任[2]

1972年アメリカ局長心得、1975年-1977年欧亜局長、1977年-1980年駐デンマーク大使、1980年10月から在ビルマ日本大使館特命全権大使、1983年10月から1986年まで在タイ日本国大使館特命全権大使となる[3]

後に国立京都国際会館館長[4]京都市国際交流協会理事や上場企業役員を歴任した。

1980年11月にヤンゴン日本人学校名誉校長[5]に就任する。

2004年4月1日、心不全のため死去[1]

脚注

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  1. ^ a b 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.366
  2. ^ 『国民外交(46)』、国民外交協会、1977年1月発行 著者略歴
  3. ^ 歴代在タイ日本国大使リスト”. 在タイ日本国大使館. 2017年2月5日閲覧。
  4. ^ 拡がる眼 国際交流サロン」(PDF)『ヒロシマ・ユネスコ』27・28、広島ユネスコ協会、1990年12月25日、6頁、2017年2月5日閲覧 
  5. ^ 沿革史1”. ヤンゴン日本人学校. 2017年2月5日閲覧。