東映アカデミー
かつて存在した日本の芸能事務所
東映アカデミー(とうえいアカデミー)は、かつて存在した日本の芸能事務所(声優事務所)。映画会社・東映の俳優・声優プロダクション。
概要
編集東映株式会社東京撮影所の一部門で、俳優、声優、子役が所属するプロダクションであった。同じ敷地内に養成所も併設していた。制作会社を母体とした強みで、実践的な俳優や声優の育成も行っていった。
1958年7月、児童タレントの養成を行う「東映児童研修所」、タレントの映画・テレビ等の出演提供を行う「東映演技研修所」、子役専任プロダクションの「東映児童劇団」に分かれる[2]。当時の東映東京撮影所長・岡田茂が、1961年9月から東映京都撮影所長に転任した1964年2月まで、東映児童研修所・東映演技研修所の取締役所長を兼任した[3]。
1966年、東京撮影所に「東映演技研究所」が新設[1]。同研究所の卒業生並びに在学生を、東映傘下の映画、テレビ等に優先的に出演させる[1]。また成績優秀者には「東映芸能」専属タレントとして契約した[1]。
1994年、各研修所、研究所、劇団が合併して「東映アカデミー」となる。
2011年3月31日をもって閉鎖後[4]、所属タレントのマネージメントは「東映東京撮影所」が担当し、「東映俳優センター」と統合した事務所は東映本社に置かれ、「東京撮影所 マネージメント部(東映マネージメント)」として運営している[5]。
東映アカデミーになる前の主な出身者
編集- 風間杜夫(東映児童研修所 1期生)
- 本間千代子(東映児童研修所 1期生)
- 松岡きっこ(東映児童研修所 1期生)
- 大川栄子(東映児童研修所 1期生)
- 桑原幸子(東映児童研修所 1期生)
- 前川陽子(東映児童研修所 1期生)
- 石橋蓮司(東映児童劇団)
- 小野恵子(東映児童研修所)
- 南城竜也(東映演技研修所)
- 潮哲也(東映演技研修所)
- 城恵美(東映児童研修所 4期生)
- 後藤ルミ子(東映児童研修所 5期生)
- 片山由美子(東映児童研修所 5期生)
- 児島美ゆき(東映児童研修所 5期生)
- 小倉一郎(東映児童研修所 5期生)[6]
- 岡田由紀子(東映児童研修所)[7]
- 渡辺やよい(東映児童研修所)
- 森山潤久(13期生)
- 永島敏行
- 斉藤浩子(東映児童研修所)
- 平野恒雄
- 森山龍二(東映演技研修所)
- 小山恵子
- 伊藤かずえ(東映児童研修所)
- 椙山貴夫
東映アカデミーに所属していたタレント
編集☆は現・東映マネージメント所属。
所属俳優
編集男性
編集女性
編集所属声優
編集男性
編集女性
編集声優・俳優・歌手兼業者
編集男性
編集- 堀井茶渡(声優・俳優兼業、現所属:マウスプロモーション)
女性
編集東映アカデミーがキャスティングした番組
編集アニメ / 海外ドラマ
編集- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- 1999年
- おジャ魔女どれみ (第1期)
- 神風怪盗ジャンヌ
- デジモンアドベンチャー
- 2000年
- おジャ魔女どれみ♯ (第2期)
- マシュランボー (青二プロ)
- デジモンアドベンチャー02
- 2001年
- も〜っと!おジャ魔女どれみ (第3期)
- デジモンテイマーズ
- サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER
- 2002年
- おジャ魔女どれみ ドッカ〜ン!(第4期)
- デジモンフロンティア
- 満月をさがして
- 2003年
- 2004年
- ふたりはプリキュア
- おジャ魔女どれみナ・イ・ショ (OVA)
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- スイートプリキュア♪ ※以降、東映東京撮影所が引き継ぐ
実写
編集- おしん
- スーパー戦隊シリーズ (『忍者戦隊カクレンジャー』から『海賊戦隊ゴーカイジャー』まで)※以降、東映東京撮影所が引き継ぐ
- メタルヒーローシリーズ
- 燃えろ!!ロボコン
- 仮面ライダーシリーズ(『仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーフォーゼ』まで)※以降、東映東京撮影所が引き継ぐ
- 刑事物語'85
- はぐれ刑事純情派
- はみだし刑事情熱系
関連会社
編集- 東映テレビ・プロダクション
- 東映アニメーション
- 東映シーエム株式会社
- 東映ビデオ
- セントラル・アーツ
- 東映太秦映像
- 東映エージエンシー
- 株式会社東映京都スタジオ
- ティ・ジョイ
- 東映音楽出版株式会社
- 東映京都撮影所
- 東映株式会社 教育映像部
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 「スタジオ速報 東映演技研究所で生徒募集―東映東京撮影所内に新設―」『近代映画』1966年6月号、近代映画社、212頁。
- ^ 「経営戦略期を乗り越える東映戦線の拡大から守備攻勢の布陣」『映画時報』1962年11月号、映画時報社、26頁。
- ^ 「岡田茂 年譜」『文化通信ジャーナル』2011年6月号 VOL.51、文化通信社、34頁。
- ^ 吉三寿華秀 (2011年3月9日). “学ぶ側から教える側”. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月1日閲覧。
- ^ “東映マネージメント”. 2012年8月2日閲覧。
- ^ 俳優・小倉一郎、小学校1年生でひとり上京。相次ぐ身内の不幸を乗り越え“芸能生活60周年”
- ^ 「新春テレビ特集 『いまからマークしよう! 70年のビッグ・ホープ4 70年にゼッタイかつやくしそうなこの4人。これからあなたのブラウン管にも、ドンドコ顔をあらわすはずだ。ばっちりマークしよう! 岡田由紀子"お手伝いさん"は短大1年生」『月刊明星』1970年2月号、集英社、114頁。
関連項目
編集外部リンク
編集- 東映マネージメント
- 東映アカデミー(Internet Archiveのキャッシュ)