村上龍男
村上 龍男(むらかみ たつお、1939年〈昭和14年〉11月26日 - )は、鶴岡市立加茂水族館名誉館長、エッセイスト。
むらかみ たつお 村上 龍男 | |
---|---|
生誕 |
1939年11月26日(85歳) 東京府東京市渋谷区原宿 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 山形大学農学部 |
職業 | 鶴岡市職員、エッセイスト |
配偶者 | あり |
栄誉 |
鶴岡市市政功労者表彰(2009年) 地域づくり総務大臣表彰(2010年) 吉川英治文化賞(2023年)[1] |
来歴・人物
編集東京府東京市渋谷区原宿生まれ[2]。山形県東田川郡羽黒町(現・鶴岡市)育ち。羽黒山の麓で代々医者をしていた家系に生まれ育つ。父も医師だったが、軍医としてレイテ島に出征する船の中で戦死した[3]。
基督教独立学園高等学校を経て、山形大学農学部(阿部襄に学ぶ)を卒業。佐藤商事勤務を経て、加茂水族館の飼育主任として採用される[4]。
27歳で館長に就任。代表権を持たされて1億円以上の負債を個人で背負い、家屋敷が担保になるなど[2]、紆余曲折を経ながらも、館員総員でクラゲの飼育方法を確立[4]。展示種類数でギネス認定されたほか、日本動物園水族館協会の「古賀賞」受賞へと導いた[2]。
同館と苦楽を共にしてきたが、2015年(平成27年)3月末で勇退[5][6]。シニアアドバイザーに就いた[7]。また4月からは、乞われて加茂水産高校講師に就任し、水族館学概論を担当する[8]。
略歴
編集- 1939年 生れる。
- 1958年 基督教独立学園高等学校を卒業し、山形大学農学部へ進む。
- 1963年 同大学を卒業し、佐藤商事に入社する。
- 1966年 加茂水族館(現・鶴岡市立加茂水族館)に勤務する。
- 1967年 水族館の館長に就任する。
- 1984年 「山形の魚類たち」を出版する。
- 1997年 「思い出語り雑魚しめ」を出版する。
- 2006年 「庄内の磯釣り - 思い出語り」を出版する。
- 2006年 「山形加茂海岸のクラゲ」を出版する。
- 2009年 鶴岡市市政功労者表彰授賞。
- 2010年 地域づくり総務大臣表彰授賞。
- 2015年 水族館館長を退任。シニアアドバイザーに就任。
- 2019年 市から水族館名誉館長を委嘱。
- 2023年 吉川英治文化賞受賞。
著書
編集- 『山形の魚類たち』 東北出版企画、1984年。
- 『思い出語り雑魚しめ』 東北出版企画、1997年。 ISBN 4-924611-90-5
- 『庄内の磯釣り - 思い出語り』 東北出版企画、 2006年。ISBN 4-88761-032-7
- 『山形加茂海岸のクラゲ』 東北出版企画、 2008年。 ISBN 978-4-88761-047-7
- 『クラゲ館長最後の釣り語り』 東北出版企画、 2009年。 ISBN 978-4-88761-054-5
- 『無法、掟破りと言われた男の一代記―加茂水族館ものがたり』JA印刷山形、2014年。ISBN 978-4990698621
共著
編集- 村上龍男、下村脩 『クラゲ 世にも美しい浮遊生活』 PHP新書、2014年。ISBN 978-4569818849
脚注
編集- ^ “村上さん(加茂水族館名誉館長)に吉川英治文化賞 閉館寸前をクラゲ“世界一”に評価”. 荘内日報. (2023年3月4日) 2023年3月5日閲覧。
- ^ a b c “根ほり葉ほり 苦難の連続、個人負債1億円も” 2015年5月19日閲覧。
- ^ “クラゲ館長の「夢の水族館」【村上龍男】”. 公 研 (2020年4月13日). 2023年11月26日閲覧。
- ^ a b “相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記 落ちこぼれ水族館が「クラゲで世界一」に変わるまで 加茂水族館の名物館長が振り返る「波乱万丈半生記」”. ダイヤモンドオンライン. (2014年7月22日) 2014年8月19日閲覧。
- ^ “加茂水族館の村上館長勇退へ 来年3月、後任は未定”. 山形新聞. (2014年4月12日) 2014年5月24日閲覧。
- ^ ““名物館長”勇退へ 加茂水族館 村上さん「来年3月まで職務全う」”. 荘内日報. (2014年4月13日) 2014年5月24日閲覧。
- ^ ““クラゲ館長”村上さん送別会 鶴岡・加茂水族館の49年間ねぎらう”. 山形新聞. (2015年3月31日) 2015年4月1日閲覧。
- ^ “未来の「クラゲ館長」育成 水産高校の講師に転身”. 産経ニュース. (2015年5月4日) 2015年5月19日閲覧。
- ^ “加茂水族館名誉館長に村上さん 「クラゲ世界一」へ改革”. 山形新聞. (2019年1月1日) 2019年6月22日閲覧。