李 泰圭(イ・テギュ、朝鮮語: 이태규1902年1月26日 - 1992年10月26日)は、大韓民国化学者[1][2]

本貫全州李氏山南(サンナム)、汕隠(サヌン)、山芋(サヌ)。政治家の李会昌の伯父に当たる[3]

経歴

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大韓帝国忠清南道礼山郡に産まれた。京城高等普通学校を経て1922年広島高等師範学校の課程を終えた。 1927年京都帝国大学理学部(現在の京都大学)化学科を卒業し、1931年に『還元ニッケルの存在に於ける一酸化炭素の分解[4][5]』という論文で理学博士号を取得した。 その後、同学で教鞭を執り、1938年プリンストン大学に科学者として在職し、1941年に京都帝国大学に戻り量子化学を教え、1943年に正教授となった。植民地支配からの解放後、韓国に帰国し、京城帝国大学の理工学部長となった。 その後、ソウル大学校が発足して文理学部の学長となったが、国対安の影響で1948年アメリカに帰国した。1954年学術院終身会員に選ばれ、1955年にヘンリー・アイリングと共に非ニュートン流体について研究し、「リー(李)・アイリング理論(英語:Ree-Eyring theory)」を発表した[6][7]1965年にはノーベル賞受賞者候補推薦委員に委嘱され、その4年後にノーベル賞候補に推薦された。 1966年には韓国科学技術研究院の顧問に推戴された。 1971年ユタ大学客員教授、1973年に韓国科学院碩座教授として活躍した。 1974年に太平洋科学協会(米国所在)理事に選任され、1975年に理論物理センター所長になった[8]。70歳を過ぎた歳にKAISTの名誉教授として招聘され、博士12人、修士24人など養成した。アメリカ化学会から表彰され、大韓民国学術院賞、国民勲章ムクゲ賞、ソウル特別市文化賞などを受賞した。 「輸送現象の緩和原理」など500編の論文を発表するなど[8]、『鋭い観察と絶え間ない努力』を自らの信条とし、研究者として活動した[9]。1992年10月26日、90歳で亡くなった。韓国における現代化学の基盤を構築し、韓国化学の礎石を築いた功績を認められ、科学者として初めて国立ソウル顕忠院に安置された。

学歴

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  • 京城高等普通学校 卒業
  • 広島高等師範学校 卒業
  • 京都帝国大学大学院 理学修士
  • 京都帝国大学大学院 博士(理学)

主要経歴

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  • 1931年 - 1945年:京都帝国大学 教授
  • 1945年 - 1946年:京城大学校 理工学部長
  • 1946年:大韓化学会初代会長
  • 1948年 - 1970年:ユタ大学 教授
  • 1973年 - 1992年:KAIST 名誉教授

賞勲

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  • 1971年:国民勲章牡丹賞
  • 1980年:5.16民族賞
  • 1982年:世宗文化賞

脚注

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  1. ^ 과학기술유공자< 과학기술유공자< 대한민국 과학기술유공자”. www.koreascientists.kr. 2021年7月12日閲覧。
  2. ^ 화학 연구와 교육 기반 구축에 기여한 최초 화학박사, 故 이태규 KAIST 명예교수” (朝鮮語). m.post.naver.com. 2021年7月12日閲覧。
  3. ^ 이회창 후보 가족관계” (朝鮮語). 서울경제 (2002年5月5日). 2023年9月7日閲覧。
  4. ^ 李泰圭, 〈還元ニッケルの存在に於ける一酸化炭素の分解(第1報)〉, 《物理化学の進歩》, vol.4, p.73, 1930.
  5. ^ 李泰圭, 〈還元ニッケルの存在に於ける一酸化炭素の分解(第2報)〉, 《物理化学の進歩》, vol.5, p.41. 1931.
  6. ^ Ree, T., Eyring H., 1955. "Theory of non-Newtonian flow. I. Solid Plastic System" J. Appl. Phys. 26, p.793. doi:10.1063/1.1722098.
  7. ^ Ree, T., Eyring H., 1955. "Theory of non-Newtonian flow. II. Solution System of High Polymers" J. Appl. Phys.26, p.800. doi:10.1063/1.1722099.
  8. ^ a b 이태규, 《글로벌 세계 대백과》
  9. ^ (과학동아)http://dongascience.donga.com/special.php?idx=834