杉村沖治郎
杉村 沖治郎(すぎむら おきじろう、1890年(明治23年)8月25日[1] - 1955年(昭和30年)10月17日[1][2])は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。
杉村沖治郎 すぎむら おきじろう | |
---|---|
生年月日 | 1890年8月25日 |
出生地 |
日本 埼玉県賀美郡丹荘村 (現・児玉郡神川町) |
没年月日 | 1955年10月17日(65歳没) |
出身校 | 日本大学法律科卒業 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 |
(日本社会党→) (右派社会党→) 日本社会党 |
選挙区 | 旧埼玉3区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1953年4月19日 - 1955年10月17日 |
四谷区会議員 |
経歴
編集埼玉県賀美郡丹荘村元阿保(現:児玉郡神川町)で、杉村権治郎、トラ夫妻の五男として生まれる[1]。1922年、日本大学法律科を卒業し弁護士となり[1][2]、人権擁護、労働問題を中心に活動した[1]。
司法行政中央監察委員会委員、労働者災害補償審査委員会委員、労働者災害保険審査委員会委員、東京地方裁判所調停委員、東京弁護士会常議員、日本弁護士協会理事、人権擁護委員会委員長などを歴任[1][2]。
政界では、四谷区会議員を務めた[2]。戦後、日本社会党埼玉県連合会の結成に加わり副委員長となり、1947年4月、第23回衆議院議員総選挙で埼玉県第三区から出馬したが落選[1]。1953年4月、第26回総選挙で初当選し、次の第27回総選挙でも再選されたが、在任中に死去し衆議院議員を連続二期務めた[1][2]。この間、判事検事弾劾委員会委員長、日本社会党埼玉県連合会顧問などを務めた[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。