昭和63年7月豪雨(しょうわ63ねん7がつ ごうう)は1988年昭和63年)7月に発生した水害(豪雨災害)。

昭和63年7月豪雨
発災日時 1988年7月11日から7月30日
被災地域 日本の旗 全国(北海道を除く)
災害の気象要因 梅雨
気象記録
最多雨量 島根県浜田市で399.0 mm
最多時間雨量 島根県浜田市で90.0 mm
人的被害
死者
23人
行方不明者
4人
負傷者
45人
建物等被害
全壊
117棟
半壊
199棟
床上浸水
2,474棟
床下浸水
7,588棟
出典: 警察庁[1]、島根県[2]
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概要

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この豪雨災害は全国的なレベルで被害が発生したが、特異点は昭和58年7月豪雨で甚大な被害を受けた島根県西部を、その復興および改善中であった5年後に豪雨が襲ったことである。殻に、豪雨域がその時より南側寄りだったため、昭和58年豪雨で比較的被害が小さかった広島県を豪雨が襲うことになった。

浸水家屋は10,000棟以上だった。激甚災害指定されているが、その名称が「昭和63年における特定地域に係る激甚災害の指定及びこれに対し適用すべき措置の指定に関する政令」の通りこの年は1年を通じて災害が発生しておりその一部として指定されたものである。

降水

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7月11日から19日の間で1日降水量150mm以上を記録した地点[3] が300mm以上、 が200mm以上、 が150mm以上を示す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7月20日から30日の間で1日降水量150mm以上を記録した地点[3]

大まかな流れは以下のとおり。

  • 平年並みの梅雨入り[4]
  • 6月
    • 中旬 : オホーツク海高気圧の勢力は強く太平洋高気圧は弱かったことから、梅雨前線は南下し太平洋上にあった[4]
    • 下旬 : 前線は日本南岸にまで北上し、関東以西で降水が多くなった[4]
  • 7月
    • 上旬 : その勢力は弱まり梅雨明けとなった[4]
    • 中旬 : オホーツク海高気圧の勢力が強まったことからいわゆる「戻り梅雨」となり、広い範囲で大雨となった[4]。以下が期間と大雨となった地方である[4]
      • 11日 - 15日 : 九州・中国・近畿・東海
      • 17日 - 19日 : 九州
      • 20日 - 21日 : 中国
      • 23日 : 九州・四国・中国
      • 25日 - 27日 : 九州

右図は1日降水量150mm以上を記録した主な観測地点[3]を11日から19日/20日から30日に振り分けたもの。このように、特に顕著だった豪雨域は南九州島根県西部の2箇所であった。

被害

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主な被害発生状況(警察庁公表)[1]
人的被害(人) 住宅等被害(棟)
死者 不明者 負傷者 全壊 半壊 流失 床上浸水 床下浸水 一部破損 非住家
東北 宮城 - - - - - - 2 29 1 -
福島 - - 2 - - - - 3 1 -
関東 千葉 - - - - - - 41 82 - -
神奈川 - - - - - - - 4 - -
中部 静岡 - - - - - - - 1 - -
三重 4 - - - - - 91 334 - 16
近畿 滋賀 - - - - - - - 1 - -
京都 - - - - - - - 11 - -
大阪 - - - - - - - 74 - -
兵庫 - - - - 1 - - 119 - -
中国 鳥取 - - - - - - 9 152 - -
島根 2 4 29 98 174 3 2,166 5,272 238 118
岡山 - - 1 - - - 2 151 - -
広島 14 - 11 14 23 14 104 460 14 -
四国 香川 - - - - - - - 149 - -
九州 福岡 2 - - - - - 10 53 - 1
佐賀 - - - - - - - 47 - -
長崎 - - - 1 - - 16 51 - -
熊本 - - 1 2 - - 9 68 3 2
宮崎 - - - - - - 1 70 - -
鹿児島 1 - 1 2 1 - 23 457 4 15
合計 23 4 45 117 199 17 2,474 7,588 261 152

上記降水の通り南九州と島根県西部と2箇所の豪雨域があったが、被害状況で見ると差が出ている。以下、特に被害が顕著なものとなった島根と広島での状況について記載する。

降水状況

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7月15日の”島根県のみ”の1日降水量分布[5] が300mm以上、 が200mm以上、 が100mm以上、 がそれ以下を示す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7月20日09時から翌日09時までの”豪雨域を中心とした地域”における1日降水量分布[6]

この地域の豪雨は、梅雨の期間中に次々と発達した強い積乱雲により集中豪雨となったものであり、島根県の旧浜田市・三隅町(現浜田市三隅)と広島県加計町(現安芸太田町加計)を中心とした狭い範囲に、2度に分けて集中した。

7月15日浜田を中心とした豪雨[7]

15日未明、島根県西部を中心に強い雨が降り始め、その後広島県・岡山県に広がったが、特に強い豪雨は旧浜田市を中心とした数10kmの範囲だった[7]。浜田の観測記録では、04時30分からの1時間降水量で90.0mm、01時-07時の6時間降水量で340.5mm、1日降水量は394.5mm、と短期間での集中豪雨が降っている[2][7]

7月20日から21日にかけて三隅と加計を中心とした豪雨[8]

20日夜から三隅を中心に強い雨が降り始め、これも局地的な集中豪雨となった。21日未明、広島県側に移動し、加計で集中豪雨となった。三隅では22時からの1時間降水量で100mm、加計では04時からの1時間降水量で55mm・01時からの3時間降水量で131mm[8][9]

この地方には、昭和39年7月山陰北陸豪雨昭和47年7月豪雨昭和58年7月豪雨・昭和60年7月と、ほぼ10年確率で7月に豪雨が発生している[10]。その中でこの昭和63年豪雨の特徴は、他とは違いごく短時間での集中豪雨により災害が発生したことである[10]

被災状況

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この災害の特徴は、島根県側では洪水・土砂災害が発生したが、広島県側はほぼ土砂災害特に土石流災害だった[11]ことである。

島根では昭和58年豪雨と同様に、二級河川や一級河川の支川など中小河川で警戒水位を超えその幾つかで洪水が発生した。ただ、記録的な豪雨となった昭和58年豪雨と比べ降水量が少なかったため、その時と比べてダムの洪水調整がうまくいき被害を軽減することができた河川もある[12]。また過去の災害から河川改修が進み、堤防の破断など洪水が起こりにくくなったため過去の被災より最小限に食い留めることができたとも言える[13][14]

一方で死者・行方不明者の全体の3/4は土砂災害によるものであり、昭和58年豪雨と同様に洪水災害よりも人的被害が多くなった[13]。この一連の災害で最も顕著だったのが島根下府川流域であり、洪水災害のみならず土石流も発生した[15]。15日の豪雨により浜田市近辺で[16]、21日の豪雨では島根三隅町・広島加計町で、がけ崩れや土石流が起こっている[17]。これらはこの地域に広く分布する赤色土マサ土と崩れやすい土壌が存在していたこと、そして短時間での集中豪雨という土石流が起こりやすい降水条件であったことが要因である[18]

また、過去に甚大な被害を受けた経験のある浜田や三隅は防災無線が普及しており自らの判断で早めに避難活動を行ったものがいた反面、大きな被災経験がなかったことや砂防ダムなどの設備への過信から避難が遅れ被災したものもいた[19]。加計では過去の豪雨災害が洪水のみであったため土砂災害に対して注意を怠っていた部分もある[20]

脚注

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  1. ^ a b 防災科研, p. 7.
  2. ^ a b 島根県, p. 3.
  3. ^ a b c 防災科研, p. 5.
  4. ^ a b c d e f 防災科研, p. 2.
  5. ^ 島根県, p. 2.
  6. ^ 広島県, pp. 5–6.
  7. ^ a b c 防災科研, p. 19.
  8. ^ a b 防災科研, p. 23.
  9. ^ 広島県, p. 3.
  10. ^ a b 防災科研, p. 36.
  11. ^ 広島県, p. 27.
  12. ^ 防災科研, p. 37.
  13. ^ a b 防災科研, p. 53.
  14. ^ 島根県, p. 4.
  15. ^ 防災科研, p. 44.
  16. ^ 防災科研, pp. 53–55.
  17. ^ 防災科研, pp. 55–57.
  18. ^ 防災科研, p. 1.
  19. ^ 防災科研, p. 110.
  20. ^ 防災科研, p. 112.

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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