日蔭温子
日蔭 温子[1](ひかげ あつこ、1954年4月23日 - )は岩手県岩手郡岩手町出身の日本の女子プロゴルファーである。ティーチングプロフェッショナル資格A級を保持している。
Atsuko HIKAGE | |
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基本情報 | |
名前 | 日蔭 温子 |
生年月日 | 1954年4月23日(70歳) |
身長 | 163 cm (5 ft 4 in) |
体重 | 58 kg (128 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岩手県岩手郡岩手町 |
経歴 | |
プロ転向 | 1975年=LPGA17期 |
優勝数 | |
日本LPGA | 18(内、公式戦2) |
成績 | |
初優勝 | ヤクルトミルミルレディーストーナメント(1980年) |
賞金ランク最高位 | 日本女子:2位(1987年) |
2019年11月4日現在 |
来歴
編集岩手町立第一中学校卒業[1]。その後、集団就職で鐘紡に入社し、中学生時代からしていたバレーボールの実業団選手となる[2]。
家庭の都合で鐘紡を退社後、1971年8月より武蔵カントリークラブ豊岡コース(埼玉県)に入社、キャディ業務や研修生の練習の手伝いをしながら、先輩に誘われる形でクラブを握り、17歳でゴルフを始める[3]。
ゴルフを始めて約5か月後、クラブ内の社員コンペで優勝し、プロを意識する[3]。2年でプロになるとの決意のもと、武蔵CCを退社し、忠太ゴルフ練習場(東京都清瀬市)に入社、フロント業務終了後にひたすら球を打ち込む生活を送った[4]。
1974年春のプロテストは不合格だったのものの、同年10月に行われた秋のプロテストで合格[5][注 1]。
1975年日本女子プロゴルフ協会(LPGA)入会し、岡本綾子と同期のLPGA17期生となる[1]。
1980年「ヤクルトミルミルレディーストーナメント」でプロ初優勝[6]。
1982年公式戦「日本女子オープンゴルフ選手権競技」を含む2勝[6]。
1985年1勝、1986年2勝[6]。
1987年は6勝を挙げ、年間獲得賞金ランキングで自己最高位となる2位となる[6]。
LPGAのツアー制度施行後、1989年2勝、1991年1勝[6]。
1992年公式戦「日本女子オープンゴルフ選手権競技」を含む2勝、1993年1勝[6]。
1994年からは出場試合数を減らした[7]。
2000年からは歴代優勝者の資格での「日本女子オープンゴルフ選手権競技」のみの出場となり、2002年の同大会を最後にツアーから引退[6]。
出演
編集TV
編集CM
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c “日蔭 温子 プロフィール詳細”. 日本女子プロゴルフ協会. 2019年11月4日閲覧。
- ^ “昭和の履歴書 日蔭温子(2ページ目)”. パーゴルフ プラス (2018年1月13日). 2019年11月4日閲覧。
- ^ a b “昭和の履歴書 日蔭温子(3ページ目)”. パーゴルフ プラス (2018年1月13日). 2019年11月4日閲覧。
- ^ “昭和の履歴書 日蔭温子(4ページ目)”. パーゴルフ プラス (2018年1月13日). 2019年11月4日閲覧。
- ^ “昭和の履歴書 日蔭温子(5ページ目)”. パーゴルフ プラス (2018年1月13日). 2019年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g 日蔭 温子 プロフィール詳細の生涯成績・記録を参照
- ^ “日蔭 温子 年度別大会成績1994”. 日本女子プロゴルフ協会. 2019年11月4日閲覧。
- ^ “研究所構成員一覧 | 研究所・附属機関”. 至学館大学. 2019年11月4日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 日蔭温子(日本女子プロゴルフ協会のプロフィール)