戸次鎮秀
戦国時代の武将。豊後大友氏家臣。片賀瀬戸次氏4代
戸次 鎮秀(べっき しげひで)は、戦国時代の武将。豊後大友氏家臣。豊後大友戸次氏庶流の片賀瀬戸次氏第4代当主。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 太郎[1] |
戒名 | 太郎入道、宗傑、山城入道[1] |
主君 | 豊後大友氏 |
氏族 | 片賀瀬戸次氏 |
父母 | 父:戸次親善(紹花)[2]、母:立花道雪妹 |
兄弟 | 鎮秀、鎮保[2]、鑑員、鑑直 |
妻 | 吉弘鑑理の娘 |
子 | 統貞(左京亮・玄珊)[2]、統秀(勘解由)、親良(山田勝兵衛)、志賀鎮隆(兵庫頭)室、問註所統景室 |
経歴・人物
編集永禄5年(1562年)豊前に進出し、同10年(1567年)戸次氏本家の戸次鎮連に従い高橋・秋月氏の反乱を鎮圧する(休松の戦い)[1]。天正6年(1578年)日向国遠征では南郡衆として肥後にて守りを固める[1]。さらに、同13年(1584年)島津勢が阿蘇に攻め込むと、阿蘇惟光・甲斐鎮隆の要請を受け、援助する[1]。翌年の天正14年(1585年)鎮連と共に大友家加判衆となった[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 阿部猛; 西村圭子『戦国人名事典』新人物往来社、1987年。ISBN 4404014120。
- 塙保己一 編「戸次系図」『群書系図部集4、第3巻』八木書店、1973年。ISBN 4797102764。