平生町
山口県熊毛郡の町
平生町(ひらおちょう)は、山口県の東南部に位置する町。熊毛郡に属する。
ひらおちょう 平生町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
大星山展望台より馬島を望む | |||||
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方 | ||||
都道府県 | 山口県 | ||||
郡 | 熊毛郡 | ||||
市町村コード | 35344-2 | ||||
法人番号 | 1000020353442 | ||||
面積 |
34.54km2 | ||||
総人口 |
11,049人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 320人/km2 | ||||
隣接自治体 | 柳井市、熊毛郡田布施町、上関町 | ||||
町の木 | クロマツ | ||||
町の花 | キク、ツツジ | ||||
平生町役場 | |||||
町長 | 浅本邦裕 | ||||
所在地 |
〒742-1195 山口県熊毛郡平生町大字平生町210-1 北緯33度56分17秒 東経132度04分24秒 / 北緯33.93792度 東経132.07322度座標: 北緯33度56分17秒 東経132度04分24秒 / 北緯33.93792度 東経132.07322度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
編集瀬戸内海に面した室津半島西側からの眺めは、山口県屈指といわれている。町は南北に約11km、東西に9kmにわたり、箕山(標高400m)、大星山(標高438m)を中心とした丘陵地帯と平生平野からの平野部から成り立っている。そのほか、佐合島も含む。18.2kmにおよぶ平生湾とともに瀬戸内海国立公園の一端を形成する。
アクセス(自動車)
隣接している自治体
編集人口
編集平生町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 平生町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 平生町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
平生町(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
地名
編集全域で合併前からの大字を継続して使用している(ただし、曽根のみ合併時の新設)。
- 平生町
- 平生村
- 竪ケ浜
- 宇佐木
- 大野北(旧大野村)
- 大野南(旧大野村)
- 曽根(旧曽根村)
- 佐賀(旧佐賀村)
- 小郡(旧佐賀村)
- 尾国(旧佐賀村)
- 佐合島(旧佐賀村)
歴史
編集現在の平生町の土地の多くは、毛利就頼が慶安三年(1650年)熊毛郡宇佐木大野河添い沖の開作につき決意して奉行横道忠右衛門に設計、施工を命じ、当時は海であった部分を埋め立てて水田を開作したものである。 常春寺にある横道忠右衛門の墓や横道が造った南蛮樋(水門)は、町の史跡・名所となっている。
沿革
編集行政・議会
編集産業
編集商業
編集工業
編集農業
編集- 山口県農業協同組合平生支所
漁業
編集- 山口県漁業協同組合平生支店
飲食業
編集- 麺鮮醤油房 周月 山口平生店(アザース)
金融機関
編集主要施設
編集教育
編集高等学校
編集中学校
編集小学校
編集- 平生町立佐賀小学校
- 平生町立平生小学校
保育園
編集- 平生町立佐賀保育園
- 平生町立平生保育園
図書館
編集交通
編集鉄道
編集町内に鉄道駅はない。最寄り駅は西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線柳井駅または田布施駅。なお1920年代、町内を起点とし柳井駅を経由して伊陸村(現:柳井市伊陸)に至る「周東鉄道」の敷設が計画されたことがあるが、1923年に免許を申請した後頓挫している[2]。
バス
編集道路
編集- 一般国道
- 主要地方道
- 一般県道
著名な出身者
編集再生計画
編集地域再生計画として、「イタリアーノひらお」構想を進めている。室津半島の地形、気候がイタリア半島に似ていることにヒントを得ている。平生町の地形や豊かな自然、文化および農林水産業や商工業などの地域資源を活用し、町内各団体が地域ブランドを確立し地域経済の活性化を図ることを目的として進めている。
脚注
編集出典
編集- ^ “平生町、イタリア意識の新庁舎 5月2日から使用”. 中国新聞 (2022年4月22日). 2024年8月24日閲覧。
- ^ 22 伊陸駅予定地だったところ - 柳井にっぽん晴れ街道協議会、2022年9月13日閲覧
外部リンク
編集- 平生町
- 平生町に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 地図 - Google マップ