平岩 馨邦(ひらいわ よしくに、1897年11月10日 - 1967年10月2日)は、日本動物学者哺乳類学者。元九州大学教授。福岡女学院大学短期大学部初代学長。

人物

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1897年生まれ。広島文理科大学勤務、元九州大学農学部教授、学生部長[1]。父は平岩愃保日本メソヂスト教会第2代監督)。祖父は宗門改役幕臣平岩馨明

1937年、東京帝国大学より理学博士学位を取得。学位論文は「Studies on a bopyrid, Epipenaeon japonica Thielemann(アカエビヤドリムシ(エピペネオン・ジャポニカ・ティールマン)に関する研究)」[2]

広島文理科大学(動物学教室)教授時代の終戦間際、石井四郎軍医中将の依頼で、“ネズミ細菌弾”に使用するためのシロネズミの量産研究に取り組んだ。しかし、広島への原爆投下によって大学が全焼したため、ネズミも研究資料も全て失われ、平岩自身も倒壊した自宅の下敷きになって重傷を負っている[3]

略歴

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  • 1897年(明治30年)11月10日 - 生まれ[4]平岩愃保(日本メソヂスト教会第2代監督)の次男。
  • 1923年(大正12年) - 谷津直秀教授の高弟として、東京帝国大学理学部動物学科卒業[4]。同期は、江崎悌三九州大学元教授、内田亨北海道大学名誉教授[4]。卒業後、2年間谷津教授のもとでシロネズミの飼育と発育に関する研究をおこなう[4]
  • シカゴ大学リリー教授(Frank Rattray Lillie[5]のもとでシロネズミやニワトリの実験発生学について2年間研究[4][6]
  • 帰国後、九州大学の前任教授である大島広教授の配慮によって九州大学付属天草臨海実験所に勤務[4][6]
  • 広島文理科大学勤務(発生学を担当)[4]。瀬戸内海のウオノエ甲殻類の研究を進めた[7]。彼が指導した学生の研究材料は節足動物や哺乳類など幅広い分類群にわたっていた[8]。大学の同僚に数学者の岡潔がいた。当時、広島昆虫同好会の会長でもあった[9]
  • 1947年9月 - 九州大学農学部教授[10]
  • 1955年10月 - 第26回日本動物学会大会に際し、自宅のアパートで「ねずみ研究グループ」の初顔合わせをおこなった[11]
  • 1964年4月 - 福岡女学院短期大学学長(初代)[12]
  • 1967年(昭和42年)10月2日 - 福岡女学院短期大学学長在職中に逝去[6][12]。享年69。

著書

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  • 平岩馨邦 (1925), しろねずみ, 動物解剖集成第1集, 共立社,東京, 
  • 平岩馨邦 (1950), 有胚類に於ける性現象.現代生物学の諸問題, 増進堂,東京, 
  • 平岩馨邦 (1967), 私の動物記, 平岩先生古希記念著書刊行会,福岡 
  • 平岩馨邦 (1967), 続・私の動物記., 福岡: 平岩先生遺稿集刊行会 

主要論文

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  • 平岩馨邦; 内田照章, 牛に於ける四生仔の一例[13] 
  • 平岩馨邦; 澄川精吾, 愛媛縣戸島に於ける鼠禍及び鼠の異常大増殖の対策について[13] 
  • 平岩馨邦; 澄川精吾, 九州大学農学部内に於ける住家性鼠の棲分けについて[13] 
  • 平岩馨邦; 三宅貞祥,南学,内田照章,澄川精吾,吉田博一, 洪水の住家性鼠類に及ぽした影響[13] 
  • 平岩馨邦; 三宅貞祥,南学,内田照章,澄川精吾,吉田博一, 堤防に於けるモグラの孔道[13] 
  • 平岩馨邦; 三宅貞祥,南学,内田照章,澄川精吾,吉田博一, 豪雨に襲われた阿蘇山麓の野鼠[13] 
  • 平岩馨邦; 吉田博一, ドブネズミとクマネズミ間の受胎 : I.ダイコクネズミの人工助精における黄体の機能化と精子懸濁液の性状[13] 
  • 平岩馨邦; 内田照章, イエコウモリにおける受精 : II. 子宮内精液の性状について[13] 
  • 平岩馨邦; 吉田博一, ドブネズミとクマネズミ間の受胎 : II. 人工助精による交雑実験[13] 
  • 平岩馨邦; 内田照章, イエコウモリにおける受精 : III. 秋の交尾による子宮内精子の受精能力について[13] 
  • 平岩馨邦; 徳田御稔,内田照章,吉田博一, 九州における野鼠の分布[13] 
  • 平岩馨邦; 内田照章,南学,澄川精吾,吉田博一, 英彦山における鼠類の垂直分布予察[13] 
  • 平岩馨邦; 太田嘉四夫,宇田川竜男,佐藤淳夫,松井孝爾,内田照章, 奄美群島生物調査報告 : 特に鼠と蛇との関係を追求して[13] 
  • 平岩馨邦; 徳田御稔,内田照章,杉山博, 隠岐島の小哺乳類 : 特にその亜種的特徴の再吟味に関して[13] 
  • 平岩馨邦; 内田照章,浜島房則, 延岡市サギ島における鼠禍 : I. 基礎調査及び異常増殖に対する考察[13] 
  • 平岩馨邦; 内田照章,浜島房則, 延岡市サギ島における鼠禍 : II. 駆除対策とその効果 : 特に天敵イタチの導入について[13] 
  • 平岩馨邦; 浜島房則 

関連項目

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参考文献

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脚注

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  1. ^ 大久保 2009
  2. ^ 博士論文書誌データベース
  3. ^ 平岩馨邦『続・私の動物記』、1967年(昭和42年)。
  4. ^ a b c d e f g 内田照章、「阿部余四男. 平岩馨邦の業績」『哺乳類科学』 1969年 9巻 1号 p.1_21-28, doi:10.11238/mammalianscience.9.1_21
  5. ^ 吉田貞雄, 寄生虫学遍路(10)(遺稿).目黒寄生虫館月報, (65): 7, 1964.
  6. ^ a b c 内田照章. 平岩馨邦先生を偲ぶ.哺乳動物学雑誌, 4(1): 33, 1968. 
  7. ^ 山内健生・大塚 攻・仲達宣人 (2004) 瀬戸内海のウオノエ科魚類寄生虫. 広島大学大学院生物圏科学研究科附属瀬戸内圏フィールド科学教育研究センター報告, 1: 1-10. https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/journals/HU_FSC/i/1/item/14134
  8. ^ 山内健生 (2013) 広島文理科大学動物学教室における卒業論文]. 広島大学総合博物館研究報告, 5: 87-94. https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00035432
  9. ^ 山内健生 (2013) 大塚外次(1913~1961)―富山県ゆかりの忘れられた動物学者―. 富山の生物, 52: 149-159. https://toyamaseibutu.mizubasyou.com/zassi/toyama52/52_22.pdf
  10. ^ 山内健生・西川完途 (2021) 両生類・爬虫類研究者史 両生類学者 小山準二の小伝2. Caudata, 5: 66-70.
  11. ^ 田隅本生 (1980). “哺乳類研究グループの25年 : 未来のための回顧”. 哺乳類科学 (日本哺乳類学会) 20 (1): 11-23. doi:10.11238/mammalianscience.20.1_25. ISSN 1881-526X. 
  12. ^ a b 福岡女学院の歩み
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 九州大學農學部學藝雜誌