常陸宮正仁親王
常陸宮正仁親王(ひたちのみや まさひとしんのう、1935年〈昭和10年〉11月28日 - )は、日本の皇族。常陸宮家当主。御称号は義宮(よしのみや)、お印は黄心樹(おがたま)。身位は親王。敬称は殿下[2]。勲等は大勲位。第126代今上天皇(徳仁)、皇嗣秋篠宮文仁親王の叔父。皇位継承順位第2位の皇族である悠仁親王の大叔父。第125代平成の天皇であり現上皇(明仁)の皇弟。昭和天皇と香淳皇后の第2皇子(第6子)。2019年(令和元年)5月1日時点での皇位継承順位は第3位で、最年長の皇位継承資格者である。また、皇位継承資格者の中では皇位継承順位は最下位である。
常陸宮正仁親王 | |
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常陸宮家 | |
続柄 | 昭和天皇第2皇子[1] |
宮号 | 常陸宮(ひたちのみや) |
全名 | 正仁(まさひと) |
称号 | 義宮(よしのみや) |
身位 | 親王 |
敬称 | 殿下 |
お印 | 黄心樹 |
出生 |
1935年11月28日(89歳) 日本・東京府東京市 宮城内 |
配偶者 | 正仁親王妃華子(津軽華子) |
父親 | 昭和天皇 |
母親 | 香淳皇后 |
栄典 |
大勲位 |
役職 |
称号:親王 | |
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敬称 |
常陸宮正仁親王殿下 His Imperial Highness Prince Hitachi |
皇室 |
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経歴
編集生い立ち
編集1935年(昭和10年)11月28日午前7時57分、宮城(皇居)において昭和天皇と香淳皇后の第2皇男子として誕生[3]。御七夜の12月4日午前9時に浴湯の儀が、同日午前11時に命名の儀が執り行われ、「義宮」「正仁」と命名された[4][5]。
姉に東久邇成子(照宮成子内親王)、久宮祐子内親王、鷹司和子(孝宮和子内親王)、池田厚子(順宮厚子内親王)、兄に第125代天皇・明仁(上皇 / 継宮明仁親王)、妹に島津貴子(清宮貴子内親王)がいる。
幼少期に、軽い小児麻痺を患う。1940年(昭和15年)12月19日、満5歳(数え年6歳)で宮中を出て青山御殿に移居し[6]、傅育官のもとで育てられる。
正仁親王をモデルとして描かれたとされる当時人気の漫画の主人公から命名された「火星ちゃん」(表題・キャラクターと同名。わちさんぺい著)の愛称で、国民に親しまれる。
成年・結婚
編集1955年(昭和30年)11月28日、成年に達し、大勲位に叙され、菊花大綬章を授けられる。
1958年(昭和33年)、学習院大学理学部化学科を卒業し、理学士の称号を取得。その後、東京大学大学院理学研究科研究生となり、動物学を専攻。
1964年(昭和39年)2月20日に、徳川義寛侍従邸で、彼の姪・津軽華子と見合い。2月22日に津軽家が縁談を受諾し、2月28日の皇室会議で婚約が内定。4月14日の納采の儀、9月15日の告期の儀を経て、9月30日に結婚の儀。沿道には5万人が集まり、祝福した。
宮家創設
編集結婚の儀に伴って、同日、常陸宮家が創設される。戦後、かつ、現行の皇室典範の下で初の宮家創設であり、宮号は、律令時代より、親王を国司に任じた(親王任国)常陸国から選ばれた。華子妃との間に子女は無い。
住居(常陸宮邸)は、東京都渋谷区常磐松町(現在の東四丁目)の常盤松御殿に定められた。常盤松御殿はそれまで皇太子明仁親王(当時)の御殿で、第二次世界大戦前までは東伏見宮邸であったところである[7]。現存する宮家の中で唯一、赤坂御用地(東京都港区元赤坂)以外に宮邸がある。
常陸宮正仁親王は、公務のかたわら癌の病理学的研究を続け、1969年(昭和44年)から財団法人癌研究会癌研究所の客員研究員を務め、2001年(平成13年)1月からがん研究会名誉総裁に、2012年(平成24年)12月から高松宮妃癌研究基金総裁にそれぞれ就任した。
人物像
編集父・昭和天皇の学究肌の性格をよく受け継いでいるとも言われる。皇室では叔父の三笠宮崇仁親王とともに学者として豊富な研究成果を挙げており、高い評価を受けていた。英語も堪能で、海外の学会にもたびたび参加している。
その温和な性格を示すものとして、「昼食の際、女官がナプキンの用意を忘れたことに気付いたが、彼女を気遣って何も言わず自分のハンカチを膝に載せていた」というエピソードがある[8]。
一時無教会派の教義に触れた時期があったこともあり、キリスト教にも理解が深い[8][注釈 1]。1965年(昭和40年)には、バチカンで教皇パウロ6世と面会している。
白内障を患っている。2008年(平成20年)に治療を行ったが、2012年(平成24年)には後発白内障の症状が出始めたため、2013年(平成25年)3月19日に再手術を受けた。
備考
編集政府による正式表記(内閣告示や宮内庁告示など)では、皇太子を除いて皇族に宮号が冠されることはないため、それらの告示が掲載される官報での表記は「正仁親王」とされ、「常陸宮」が冠されることはない。ただし、同じ政府による表記であってもホームページなど国民一般へのわかりやすさが重視される場面では「常陸宮」の表記も用いられる。
系譜
編集正仁親王 | 父: 昭和天皇 |
祖父: 大正天皇 |
曾祖父: 明治天皇 |
曾祖母: 柳原愛子 | |||
祖母: 貞明皇后 |
曾祖父: 九条道孝 | ||
曾祖母: 野間幾子 | |||
母: 香淳皇后 |
祖父: 邦彦王(久邇宮) |
曾祖父: 朝彦親王(久邇宮) | |
曾祖母: 泉萬喜子 | |||
祖母: 俔子 |
曾祖父: 島津忠義 | ||
曾祖母: 山崎寿満子 |
系図
編集122 明治天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
123 大正天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
124 昭和天皇 | 秩父宮雍仁親王 | 高松宮宣仁親王 | 三笠宮崇仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
125 上皇 | 常陸宮正仁親王 | 寬仁親王 | 桂宮宜仁親王 | 高円宮憲仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
126 今上天皇 | 秋篠宮文仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
悠仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
皇位継承順位
編集順位 | 画像 | 皇位継承資格者 | 読み | 性別 | 生年月日 | 現年齢 | 今の天皇から見た続柄 | 摂政就任順位 | |
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第1位 | 秋篠宮文仁親王 | あきしののみや | ふみひと | 男性 | 1965年11月30日 (昭和40年) |
59歳 | 上皇明仁第2皇男子 | 弟 /第1位 | |
第2位 | 悠仁親王 | ひさひと | 男性 | 2006年 9月 6日 (平成18年) |
18歳 | 秋篠宮文仁親王第1男子 | 甥 /第2位 | ||
第3位 | 常陸宮正仁親王 | ひたちのみや | まさひと | 男性 | 1935年11月28日 (昭和10年) |
89歳 | 昭和天皇第2皇男子 | 叔父 /第3位 |
自身が誕生した1935年(昭和10年)11月28日から1960年(昭和35年)2月23日に浩宮徳仁親王(現・天皇)が誕生するまで皇位継承順位は第2位だった。現在は甥の秋篠宮文仁親王(59)、大甥で秋篠宮文仁親王の第一男子・悠仁親王(18)に次いで第3位。2016年(平成28年)10月27日の三笠宮崇仁親王薨去以降は皇位継承資格者最年長・最下位である。
栄典・称号
編集勲章
編集日本
編集- - 大勲位菊花大綬章(1955年〈昭和30年〉11月28日)[注釈 2][9]
- - 紀元二千六百年祝典記念章(1940年〈昭和15年〉8月15日)[10]
外国
編集- デンマーク:エレファント勲章 - (1965年〈昭和40年〉9月28日)[11]
- イタリア:イタリア共和国功労勲章大十字騎士章 - (1965年〈昭和40年〉11月22日)[12]
- ネパール:オヤイランニャ勲章 - (1970年〈昭和45年〉)[13]
- パラグアイ:国家功労勲章特別大十字型章 - (1987年〈昭和62年〉)[14]
役職等
編集- 皇室会議議員(1989年〈平成元年〉9月 - 1991年〈平成3年〉9月15日・2007年〈平成19年〉9月16日 - 2015年〈平成27年〉9月15日)
- 皇室会議予備議員(1987年〈昭和62年〉9月15日 - 1989年〈平成元年〉9月・1991年〈平成3年〉9月16日 - 2007年〈平成19年〉9月15日・2015年〈平成27年〉9月16日 - 2019年〈令和元年〉9月15日)
- 日本鳥類保護連盟総裁(1962年〈昭和37年〉 - )[15]
- 日本肢体不自由児協会総裁(1968年〈昭和43年〉5月 - )[16]
- 発明協会総裁(1968年〈昭和43年〉 - )
- 日本丁抹協会総裁
- 大日本蚕糸会総裁(1981年〈昭和56年〉4月 - )[17]
- 日本障害者リハビリテーション協会総裁(1982年〈昭和57年〉4月 - )[18]
- 日本美術協会総裁(1987年〈昭和62年〉 - )[19]
- 東京動物園協会総裁(1989年〈平成元年〉 - )[20]
- 日仏会館総裁
- 高松宮妃癌研究基金総裁(2012年〈平成24年〉12月26日 - )[21]
- 日本瑞典協会名誉総裁
- 日本ベルギー協会名誉総裁(1983年〈昭和58年〉9月 - )[22]
- がん研究会名誉総裁(2001年〈平成13年〉1月 - )[23]
- 日本赤十字社名誉副総裁
- 日本パスツール協会名誉総裁(2007年〈平成19年〉4月 - 2023年〈令和5年〉10月31日)[24][25]
- 日本バスケットボール協会総裁(1987年〈昭和62年〉 - 2012年〈平成24年〉)[26]
- ドイツがん学会名誉会員(1999年〈平成11年〉3月 - )[27]
- 癌研究会癌研究所客員研究員(1969年〈昭和44年〉6月 - 2001年〈平成13年〉1月)[28]
- 日本化学会特別名誉会員[29]
画像
編集-
常陸宮(菊花紋)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 宮内庁 常陸宮家
- ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
- ^ 昭和10年宮内省告示第25号(『官報』号外、昭和10年11月28日)(NDLJP:2959151/18)
- ^ 昭和10年宮内省告示第30号(『官報』号外、昭和10年12月4日)(NDLJP:2959156/16)
- ^ 『官報』号外「宮廷録事」、昭和10年12月4日(NDLJP:2959156/16)
- ^ 『官報』第4188号「宮廷録事」、昭和15年12月19日(NDLJP:2960684/25)
- ^ 東京ふる里文庫11 東京にふる里をつくる会編 『渋谷区の歴史』名著出版、昭和53年9月30日発行 p248
- ^ a b 河原敏明『天皇裕仁の昭和史』(文春文庫、1986年)
- ^ 『官報』第8675号489頁 1955年(昭和30年)11月30日
- ^ 『官報』第4438号 付録「辞令二」昭和16年10月23日
- ^ “Official List of Knights of the Order of the Elephant”. 2013年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月28日閲覧。
- ^ “Le onorificenze della Repubblica Italiana”. www.quirinale.it. 2022年5月5日閲覧。
- ^ “153251_JOMSA_Vol39_12_19.pdf”. 2022年5月28日閲覧。
- ^ Esteban (2021年10月5日). “秋篠宮さまと眞子さま、パラグアイ国家功労勲章授与”. 在日パラグアイ共和国大使館. 在日パラグアイ大使館. 2023年1月22日閲覧。
- ^ “団体概要”. 公益財団法人日本鳥類保護連盟. 2022年6月3日閲覧。
- ^ “日本肢体不自由児協会とは | 日本肢体不自由児協会”. www.nishikyo.or.jp. 2022年6月3日閲覧。
- ^ “沿革|大日本蚕糸会”. 2022年6月3日閲覧。
- ^ “沿革 | 当協会について”. 日本障害者リハビリテーション協会. 2022年6月3日閲覧。
- ^ “小史 - 高松宮殿下記念世界文化賞”. www.praemiumimperiale.org. 2022年6月3日閲覧。
- ^ “小史 | 東京動物園協会”. www.tzps.or.jp. 2022年6月3日閲覧。
- ^ “高松宮妃癌研究基金|おことば”. www.ptcrf.or.jp. 2022年6月4日閲覧。
- ^ “沿革 - 日本・ベルギー協会”. japan-belgium.org (2020年9月14日). 2022年6月4日閲覧。
- ^ “[がん研究会 - CANPAN団体情報]”. CANPAN FIELDS. 2022年6月4日閲覧。
- ^ “日本パスツール協会”. 日本パスツール協会. 2023年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月4日閲覧。
- ^ “常陸宮さま、NPO法人「日本パスツール協会」名誉総裁ご退任”. 産経ニュース. 産業経済新聞社 (2023年12月11日). 2024年7月21日閲覧。
- ^ 「勝者を称え、燦然と輝く天皇杯と皇后杯」『皇室 THE IMPERIAL FAMILY』第91号、扶桑社、2021年7月21日、49頁、ISBN 978-4-594-61721-9。
- ^ “常陸宮家のご活動 - 宮内庁”. 宮内庁. 2022年6月4日閲覧。
- ^ “比較腫瘍学常陸宮賞について”. 2022年6月4日閲覧。
- ^ “公益社団法人日本化学会 | 学会案内 | 名誉会員”. www.chemistry.or.jp. 2024年8月26日閲覧。