帝釈天
帝釈天(たいしゃくてん)は、仏教の守護神である天部、十二天の一尊。また八方天の一つとして東方を守る。天衆をひきいて阿修羅を征服し、常に使臣をつかわして天下の様子を知らしめ、万民の善行を喜び、悪行をこらしめ、大きな威徳を有する天上界の王とされる。諸天中の天帝という意味で天帝釈、天主帝釈、天帝ともいう。雷を人格化した神とされる[3]。梵天と一対の像として表されることが多く、両者で「梵釈」ともいう[4][5]。
帝釈天 | |
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名 | 帝釈天 |
梵名 |
「インドラ」 (इन्द्र Indra) |
別名 |
釈迦提婆因陀羅(しゃかだいばいんだら) 釈迦提婆(しゃかだいば) 釈迦因陀羅(しゃかいんだら) 釈提桓因(しゃくだいかんいん) 天主帝天 天帝釈 天帝 |
真言・陀羅尼 |
オン・インドラヤ・ソワカ[1] ナウマク・サンマンダ・ボダナン・インドラヤ・ソワカ[2] |
経典 |
『阿含経』 『大般涅槃経』 『法華経』 『愛尽小経』 |
関連項目 | 種子 (密教) |
概説
編集帝釈天には経典により幾つもの物語が存在する。
帝釈天は四天王などを配下とし、世界の中央にそびえるとされる須弥山の頂上・忉利天の善見城(喜見城)に住むとされる。インドにおける仏伝図様においては、釈迦に従う帝釈天の様子が描かれることがある。
彼には知人友人が32人いて共に福徳を修して命終して、須弥山の頂の第2の天上に生まれた。摩伽バラモンは天主となり、32人は輔相大臣となったため、彼を含めた33人を三十三天という。これゆえに釈迦仏は彼の本名である憍尸迦と呼ぶという。また、このために彼の妻・シャチーを憍尸迦夫人と呼ぶことる。
帝釈天と阿修羅
編集本来のインドラ神は、阿修羅とも戦闘したという武勇の神であったが、仏教に取り入れられ、成道前から釈迦を助け、またその説法を聴聞したことで、梵天と並んで仏教の二大護法善神となった(インドラの項を参照)。
施身聞偈(せしんもんげ)
編集ひとりの菩薩が雪山(ヒマラヤ山脈)に於いて自己の修行を重ねているので雪山童子と呼ばれていた。 その様子を見ていた釋提桓因(帝釈天)が、修行の心が堅固であるかどうか試す為、見るも恐ろしい羅刹(悪鬼)に身を変じて 童子の間近に迫り声高らかに「諸行無常」(諸行に常なるは無し)「是生滅法」(是は生滅の法なればぞ)と歌った。 これは過去の諸仏が説いたた偈文(げもん)の前半部分だった。これを聞いた童子は、この尊い教えを一体誰が唱えているのであろうと周りを見渡したが、それらしき人は見当たらない。 ただ谷底に恐ろしい羅刹がいるばかりだった。 この様な偈文を羅刹が唱えるわけがないと思い周りを見ても誰もいないので、羅刹に聞くと「言ったのは確かに私だが、ここ数日何も食べていない。空腹で偈文どころではない。」童子は「では何をお食べになりたいのですか。何でも差し上げます。」と言い、羅刹は「そうかそれほどまで言うのなら、私の食べるものは人間の生肉と生血なのだ。いま飢えに泣いているような始末だ。」童子は「わかりました。それでは私の身体を差し上げますからどうか後の半偈を聞かせて下さい。」と返した。 羅刹は、厳かに後の半偈である「生滅滅已」(生滅を滅こえ已おわるとき)「寂滅為楽」(寂滅をば楽しみと為す)と唱えた。 童子はその偈文を至る所の木の幹や石に書き付けた。そして樹上より身を跳らせて羅刹に捧げた。 ところが羅刹は元の釋提桓因(帝釈天)にかえり、双手で童子の身体を抱き取って安らかに地上に下ろした。心に道心を修めようと修行し、半偈の為に身を捨てた雪山童子は釈迦の前生である。この話の絵画は法隆寺の国宝、玉虫厨子の左側に描かれている[6]。
ウサギの布施
編集昔、ある深い森にウサギとサルと山犬とカワウソが住んでいた。 四匹の動物たちはとても賢く、お互い仲良く暮らしていた。 ある日のこと、ウサギは他の三匹に「貧しくて困っている者に布施をしよう」と話した。翌日四匹は、食べ物を探し回り布施の用意をした。しかし、ウサギだけは用意する事が出来なかった為、ウサギは考えた末に自分の体を施すことにした。 それを知った帝釈天は、ウサギの気持ちを試そうと僧侶の姿になり、施しを求めに現れた。ウサギは「薪を集めて火を起こしてください。わたしはその火の中に飛び込みますので、体が焼けたらその肉を食べて、修行に励んでください」と話し、僧侶に火を起こしてもらった。ウサギは「もし、わたしの毛の中に、ノミやシラミなど、生き物がいたらそれを殺してはならない」と念じて、3回体を振り、薪火の中に身を投じた。ところが炎は、ウサギの体の毛穴一つも焼くことはなかった。うさぎは「僧侶さま。あなたの起こした火は、まるで雪のように冷たい。いったいどうしたことでしょう」と問うと僧侶は、「ウサギよ。わたしはただの僧侶ではない。帝釈天である。おまえの布施の心を試すために天界から降りてきたのだ」と言って、この立派な行いが世界のどこにまでも知れわたるように月の表面にウサギの姿を描き帝釈天の姿にもどって去っていった。その後、四匹の動物たちは月夜になると森の広場に集まり、明日からまた施しが出来るように働こうと誓った[7][8]。
シビ王と鷹と鳩
編集シビ王という心やさしい王がいた。帝釈天(インドラ)はその心を試しす為に鷹に変身し、火天(アグニ)は鳩に変身した。王のところに鷹に追われた鳩が来て、命ごいをした。鷹は王に、私は腹が減っている。鳩を食べないと死んでしまう。あなたは鳩のいのちとわたしのいのちとどちらが大事だと思っているのか。と尋ねた。そこで王さまは鷹のいのちも大切だと思い、自分の体の肉を鷹にやろうと思い、鳩と同じ重さ分だけ自分の肉を切り取って天秤の上に置いた。しかし、その天秤はどれだけ王さまの肉を切り取って置いてみても、鳩の重さとつり合わない。そこで王さまは自分の体を天秤にのせ、自らいのちを与え、鳩のいのちを救いました。 シビ王の心を知った帝釈天は、王の傷をもとのように癒し、敬った[9]。(シビ王)
『涅槃経』巻33や『大智度論』巻56には、帝釈天が人間だった頃の名前は憍尸迦(きょうしか、梵: Kauśika [カウシカ])であると説かれている。かつて昔にマガダ国の中で名を摩伽(まか)、姓を憍尸迦という、福徳と大智慧あるバラモンがいた。
日本では頭上に宝髻を結び、大衣や天衣を着た二臂像・立像、あるいは白象に乗った状態が多い。手には金剛杵や蓮茎などを持ち、着衣下に甲冑を着けることもある。密教においては、一面二臂で宝冠を戴き、身体には甲冑を着け、手には独鈷杵を持つ例が見られる。
帝釈天は、天部の最高位に属するが、独尊となることはほとんどない。そのため、映画『男はつらいよ』でも有名な「柴又の帝釈天(題経寺)」が本尊として祀られるのは、大変珍しいケースである[10]。
起源
編集帝釈天はバラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教の武神(天帝)でヒッタイト条文にも見られるインドラ(梵: इन्द्र [indra])が仏教にとりいれられたものである。梵名のシャックロー・デーヴァーナーン・インドラハ(梵: Śakro devānām indraḥ, 巴: Sakko devānam indo)のうち、śakraを釈と音訳したものに、devaを天と意訳して後部に付け足し、indraを帝と意訳して冠したものになる。シャックロー・デーヴァーナーン・インドラハは「強力な神々の中の帝王インドラ」となる[11]。
日本における帝釈天
編集日本最古の遺存例は、法隆寺の玉虫厨子(飛鳥時代)に描かれた「施身聞偈図」(せしんもんげず)に見られるものである。同寺の食堂(じきどう)には梵天・帝釈天の塑像(奈良時代)が安置されている(現在は大宝蔵院に安置)。東大寺法華堂(三月堂)には、乾漆造の梵天・帝釈天像(奈良時代)がある。
唐招提寺金堂には、梵天・帝釈天の木像(奈良時代)が見られる。京都・東寺講堂には、密教系の白象に乗った木像(平安時代前期)が安置される。
帝釈天を安置する寺院
編集- 室生寺奈良県宇陀市
- 金堂本尊背後の壁に描かれた彩色画の中尊を寺伝で帝釈天とする。
- など多数
帝釈天の名を冠する山
編集仏像・美術
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脚注
編集出典
編集- ^ 『印と真言の本』、学研、2004年2月、p.132
- ^ 坂内龍雄「真言陀羅尼」、平河出版社、2017年4月第30刷、p299。
- ^ “帝釈天”. WEB版新纂浄土宗大辞典. 2024年12月23日閲覧。
- ^ 「帝釈天」『世界大百科事典 第2版』 。コトバンクより2023年10月7日閲覧。
- ^ 楠戸義昭 『戦国名将・智将・梟将の至言』 学習研究社、2009。
楠戸義昭 『戦国武将名言録』 PHP研究所、2006。 - ^ “施身聞偈せしんもんげの物語”. 2024年12月23日閲覧。
- ^ “例話の紹介 / (1) ウサギの布施〔J316〕”. 2024年12月23日閲覧。
- ^ “連載 仏教と動物 第6回 兎にまつわるお話”. 2024年12月23日閲覧。
- ^ “いのちの天秤”. 2024年12月23日閲覧。
- ^ 石井亜矢子/岩﨑 隼『仏像図解新書』小学館、2010年4月6日、132頁。
- ^ 松本照敬. “仏教に親しむ”. 国会図書館デジタルコレクション. 2024年12月23日閲覧。 “釈提桓因の原名は、「シャクロー・デーヴァーナーム・インドラハ」という大変長いもので、「釈」などと音写されていることもあります。 「シャクロー」は、「強力な」という意味の形容詞「シャクラ」が語尾変化したもので、「釈」と音写されました。 「デーヴァーナーム」は、「神」を意味する「デーヴァ」の複数形の所有格であり、「神々の中の」という意味です。この部分が「提極」と音写されたのです。 最後の「インドラハ」がこの神の名「インドラ」の主格の形で、普通は「民間派」と音写されます。釈提因という音写語の中では「因」と略されておりますが、神々の王という内容を示すために「王」「帝」「主」などとも漢訳されます。 梵語名は、全体として「強力な、神々の中の帝王」という意味になります”
- ^ 立山連峰季節のたより
関連項目
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