岡村 博(おかむら ひろし、1905年11月10日 - 1948年9月3日)は、日本数学者京都帝国大学教授を歴任。解析学微分方程式の理論に貢献。

岡村 博
生誕 (1905-11-10) 1905年11月10日
日本の旗 日本 京都府
死没 (1948-09-03) 1948年9月3日(42歳没)
国籍 日本の旗 日本
研究分野 解析学微分方程式
研究機関 京都帝国大学理学部
出身校 京都帝国大学理学部
主な指導学生 溝畑茂
山口昌哉
主な業績 岡村の一意性定理
プロジェクト:人物伝
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略歴

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1929年京都帝国大学理学部を卒業[1]し、同学の教授を務めた[2][3]

主な業績として、常微分方程式初期値問題を研究し、解の一意性のための必要十分条件を導いた[4]。これにより、20世紀前半の微分方程式論で最も重要な問題の一つに終止符が打たれた。その他の業績としては、積分法平均値の定理の改良がある。

様々な問題を天才的な発想を持ってしてではなく、非常に地道に考え、解いていったとされる。

第二次世界大戦中は航空力学の研究にも携わった[5]が、戦後の食糧難による栄養失調で、42歳の若さで亡くなった。

父は法学者・弁護士の岡村司。教え子に溝畑茂山口昌哉がいる。

主な論文

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著書

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その他

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2003年に再版された『微分方程式序説』の末尾に、山口昌哉が岡村博について書いた原稿、「数学者 岡村 博先生」が採録されている。

脚注

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  1. ^ 岡村 博とは - コトバンク
  2. ^ Okamura(1950), p. 1-3
  3. ^ Funkcialaj Ekvacioj, 2 (1959), Profesoro Hirosi OKAMURA, nekrologo (E-e)
  4. ^ George, John H. (1967), “On Okamura's uniqueness theorem”, Proceedings of the American Mathematical Society 18 (4): 764-765, http://www.ams.org/journals/proc/1967-018-04/S0002-9939-1967-0212240-6/S0002-9939-1967-0212240-6.pdf 
  5. ^ 木村洋「第二次世界大戦期に於ける日本人数学者の戦時研究 (数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1257巻、京都大学数理解析研究所、2002年4月、260-274頁、CRID 1050564285471068672hdl:2433/41944ISSN 1880-28182024年1月11日閲覧 

外部リンク

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