小笠原長祐
小笠原 長祐(おがさわら ながすけ)は、三河吉田藩の第3代藩主。忠知系小笠原家3代。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛永21年4月7日(1644年5月13日) |
死没 | 元禄3年6月17日(1690年7月22日) |
改名 | 千代松(幼名)、長祐 |
戒名 | 弾指院殿別峯宗見大居士 |
墓所 | 愛知県豊橋市東田町坂上の臨済寺 |
官位 | 従五位下、能登守、壱岐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 三河吉田藩主 |
氏族 | 小笠原氏 |
父母 | 父:小笠原長矩、母:菅沼定芳の娘 |
兄弟 | 長祐、長重 |
妻 | 正室:おさん(黒田長興の娘) |
子 | 養子:長重 |
生涯
編集寛永21年(1644年)4月7日、第2代藩主小笠原長矩の長男として江戸で生まれる。万治3年(1660年)に元服する。寛文3年(1663年)、従五位下、能登守に叙位・任官する。延宝6年(1678年)、父の死去により家督を継ぐ。
桜田門番、馬場先門番、和田倉門番など諸役を歴任した。貞享元年(1684年)から病に倒れるようになり、元禄3年(1690年)6月17日に死去した。享年47。跡を弟で養子の長重が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- おさん ー 黒田長興の娘
養子
- 小笠原長重 ー 実弟