宝塚歌劇団29期生
宝塚歌劇団29期生(たからづかかげきだん29きせい)とは、1939年(昭和14年)に宝塚音楽舞踊学校に入学し、1941年(昭和16年)もしくは1942年(昭和17年)に宝塚歌劇団に入団し、初舞台を踏んだ53人を指す[1]。
概要
編集1941年初舞台生の演目は月組公演『正行出陣』『大やまとの歌』、1942年は花組公演『ピノチオ』『風流陣』、雪組公演『軍艦旗征くところ』『戻り橋』のいずれかである[1]。
この期は女優の淡島千景、久慈あさみ、南悠子、故里明美(入団時は故里千秋)、占い師の泉アツノ(在団時は若梅昌子)、元雪組組長の睦千賀らが入団。
一覧
編集入団時の成績順にまとめている[2]。改名後の芸名の出典はすべて『宝塚歌劇100年史(人物編)』[1]。
1941年初舞台
編集芸名[1] | 読み仮名[1] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[1] | 備考 |
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淡島千景 | あわしま ちかげ | 2月24日 | 東京都 | 成蹊学園 | 百人一首 | ケイちゃん おケイちゃん |
娘役 | 1950年 | 俳優 |
東城公子 | とうじょう きみこ | 1943年 | |||||||
松山緑 | まつやま みどり | 1945年 | |||||||
大津典子 | おおつ のりこ | 1944年 | 娘は津山典子 | ||||||
睦千世 | むつみ ちよ | 9月9日[3] | 兵庫県芦屋市 | 芦屋高等女学校 | いつまでも 人の和を 保つように |
サトちゃん[3] | 娘役 | 1985年 | 改名後・睦千賀(むつみ ちが) 日本舞踊・花柳禄寿重[4] 在団中に渡辺武男の郷土芸能シリーズ作品振付助手 1984年宝塚音楽学校日本舞踊講師 |
南郷かほる | なんごう かおる | 1944年 | |||||||
南悠子 | みなみ ゆうこ | 10月1日 | 東京都 | 東京高輪頌栄高等女学校 | 『詩経』 | ユーコさん | 男役 | 1971年 | 俳優 日本舞踊・藤間勘右[5] |
京千鈴 | きょう ちすず | 1月6日 | 京都府 | 京都府立第一高等女学校 | 1944年 | 作家・新章文子 | |||
久慈あさみ | くじ あさみ | 5月2日 | 東京都中央区 | 麹町学園高等学校 | ヨッタン | 男役 | 1950年 | 俳優 | |
桂木宮子 | かつらぎ みやこ | 1944年 | 改名後・桂木富三子(かつらぎ ふみこ) | ||||||
櫻万紀子 | さくら まきこ | 1943年 | |||||||
鳴海潮 | なるみ うしお | 1月28日 | 大阪府 | 奈良女子高等師範学校附属高等女学校 | 姉が命名 | サノやん | 1970年 | ||
大和清美 | やまと きよみ | 1944年 | |||||||
雪路美晴 | ゆきじ みはる | 1947年 | |||||||
八洲陽子 | やしま ようこ | 1946年 | |||||||
小袖京子 | こそで きょうこ | 1945年 | |||||||
百合美子 | ゆり よしこ | 1953年 |
1942年初舞台
編集芸名[1] | 読み仮名[1] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[1] | 備考 |
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黒潮わたる | くろしお わたる | 1944年 | |||||||
若梅昌子 | わかうめ まさこ | 7月9日 | 大阪府大阪市中央区 | 1944年 | 占い師・泉アツノ[6] | ||||
藤園子 | ふじ そのこ | 1944年 | |||||||
結城眞琴 | ゆうき まこと | 1946年 | |||||||
常盤木八千代 | ときわぎ やちよ | 12月14日 | 大阪府大阪市 | 相愛高等女学校 | トダコ | 1953年 | |||
波濤萬里子 | はとう まりこ | 1944年 | |||||||
濱路真砂子 | はまじ まさこ | 1945年 | |||||||
三幸福子 | みゆき ふくこ | 1947年 | |||||||
美園百合 | みその ゆり | 1946年 | |||||||
玉笛美千子 | たまぶえ みちこ | 1944年 | |||||||
花橘陵子 | かきつ りょうこ | 1944年 | |||||||
草間かほる | くさま かほる | 4月6日 | 京都府京都市 | ナカボン | 1957年 | 改名後・草間淑江(くさま よしえ) 夫は鶴岡一人[7] | |||
奥山けふ子 | おくやま けふこ | 1944年 | |||||||
飛鳥都 | あすか みやこ | 1947年 | |||||||
春山かすみ | はるやま かすみ | 1944年 | |||||||
白鳥歌子 | しらとり うたこ | 1947年 |
芸名[1] | 読み仮名[1] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[1] | 備考 |
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霧笛美加 | きりぶえ みか | 1944年 | |||||||
大東君子 | だいとう きみこ | 1943年 | 妹は打出妙子 | ||||||
笹乃おぶね | ささの おぶね | 1945年 | |||||||
名城香久子 | なしろ かくこ | 1945年 | |||||||
湖ひかる | みずうみ ひかる | 1944年 | |||||||
明美京子 | あけみ きょうこ | 1944年 | |||||||
青葉しげる | あおば しげる | 9月29日 | 大阪府茨木市 | トモヤン | 1958年 | 改名後・青葉多枝子(あおば たえこ) | |||
甲斐はるみ | かい はるみ | 1944年 | 夫は俳優の堀雄二 息子は堀之紀・堀秀行 | ||||||
楓かの子 | かえで かのこ | 1946年 | 1946年11月21日、在団中に死去[8] | ||||||
初花にほふ | はつはな におふ | 1946年 | |||||||
船津郁子 | ふなつ いくこ | 1947年 | |||||||
住江みちる | すみのえ みちる | 8月16日 | 兵庫県芦屋市 | マトちゃん みどりちゃん |
1946年 | 歌手 | |||
大空千里 | おおぞら ちさと | 1944年 | |||||||
瑞鳥黎子 | みずとり れいこ | 1942年 | |||||||
故里千秋 | ふるさと ちあき | 11月20日 | 兵庫県神戸市 | おやまちゃん | 両役 | 1959年 | 俳優、鉄板焼「松朝」(兵庫県西宮市北口)経営 改名後・故里明美(ふるさと あけみ) 姪は孝まりお | ||
高津宮子 | たかつ みやこ | マッちゃん | 1949年 | ||||||
小乙女時雨 | さおとめ しぐれ | 1944年 | |||||||
三室幸子 | みむろ さちこ | 1945年 | |||||||
紀伊邦子 | きい くにこ | 1945年 | |||||||
白梅かほり | しらうめ かほり | 1944年 |
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l 100年史(人物) 2014, p. 36.
- ^ 100年史(人物) 2014, p. 5.
- ^ a b 「舞台を色どる人々」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、239頁。
- ^ 「エンサイクロペディア・タカラジカ」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、219頁。
- ^ 橋本 1999, p. 203.
- ^ 橋本 1999, p. 178.
- ^ 高木史朗「宝塚美男美女伝(1)羽根扇を持った蝶々たち」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、76頁。
- ^ 100年史(人物) 2014, p. 76.
参考文献
編集- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。
- 橋本雅夫『素晴らしい宝塚歌劇―夢とロマンの85年―』阪急電鉄コミュニケーション事業部、1999年9月10日。ISBN 4-89485-013-3。