宝塚歌劇団21期生
宝塚歌劇団21期生(たからづかかげきだん21きせい)とは、1931年(昭和6年)に宝塚歌劇団(当時の名称は宝塚音楽歌劇学校/宝塚少女歌劇団[注釈 1])に入団し、1932年『春のおどり(七曜譜)』もしくは『フービー・ガール』(両方の生徒もあり)、または1933年『世界一周』で初舞台を踏んだ61人を指す[2]。
概要
編集香宮玲子と竹宮嘉久子の初舞台公演演目は『フービー・ガール』のみであり[2][3]、草場咲耶の初舞台公演演目は『春のおどり(七曜譜)』である[4]。
一覧
編集1932年初舞台
編集芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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青桐しげみ | あおぎり しげみ | 2月3日[5] | オタカ | 娘役 | 1940年 | ||||
安藝幸代 | あき さちよ | 7月15日[5] | 広島県広島市 | 1938年 | |||||
浅香多絵子 | あさか たえこ | 2月21日 | 1934年 | ||||||
朝妻しか子 | あさづま しかこ | 5月25日[5] | 東京都港区 | 1937年 | |||||
足柄孝子 | あしがら たかこ | 5月25日[5] | 鳥取県 | 1938年 | |||||
芦辺慶子 | あしべ けいこ | 9月25日[5] | 山口県 | 1937年 | |||||
在原達子 | ありはら さとこ | 3月6日[5] | 1937年 | ||||||
阿波禮子 | あわ れいこ | 11月12日[5] | 兵庫県西宮市 | キャンさん[6] | 1941年 | ||||
磯小浪 | いそ こなみ | 2月8日[5] | 1937年 | ||||||
一條京子 | いちじょう きょうこ | 1月28日[5] | 兄さん[7] お兄ちゃん |
娘役 | 1939年 | ||||
糸井しだれ | いとい しだれ | 9月21日 | 大阪府大阪市中央区 | 茨木高等女学校 | ミヤス | 娘役 | 1945年 | 姪は二代目・糸井しだれ | |
糸見綾子 | いとみ あやこ | 10月20日[5] | 1933年 | ||||||
氏原節子 | うじはら せつこ | 12月23日[5] | 大阪府大阪市 | 1943年 | |||||
打吹たもと | うちぶき たもと | 11月15日 | 鳥取県倉吉市 | 倉吉成徳学校 | 高砂松子が 出生地・打吹公園の名をとって命名 |
ヨネちゃん[6] | 男役 | 1972年 | 改名後・打吹美砂[8](うちぶき みさ) |
浦船吉子 | うらぶね よしこ | 1月13日[5] | 1935年 | ||||||
大海廣子 | おおうみ ひろこ | 1月4日[5] | 1936年 | ||||||
大峯杉子 | おおみね すぎこ | 6月11日[5] | 大阪府 | ナカス | 1941年 | ||||
小田野巻子 | おのだ まきこ | 3月16日[5] | 1935年 | ||||||
香宮玲子 | かみや れいこ | 1月14日[5] | 1934年 | ||||||
加茂野瑞子 | かもの みずこ | 1932年 | 改名後・加茂野みづ子(かもの みづこ)[2] | ||||||
草場咲耶 | くさば さくや | 1月21日[4][5] | 兵庫県神戸市 | 神戸市立第一高等女学校[9] | 宝塚音楽学校で命名して貰う[9] | アズン[10] | 男役 | 1942年 | |
小春涼子 | こはる すずこ | 8月25日[5] | 大阪府大阪市 | 梅花高等女学校 | オミヅ | 娘役 | 1940年 | ||
狭衣なか子 | さごろも なかこ | 12月12日[5] | 1937年 | ||||||
左近八重子 | さこん やえこ | 8月18日[11][5] | 兵庫県神戸市[11] | 東京府立第五高等女學校[11] | サアちゃん[11] | 娘役 | 1940年 | 改名後・水乃也清美[8](みずのや きよみ)[2] 叔母は水谷八重子[11] | |
里見志津子 | さとみ しづこ | 7月2日[5] | 1937年 | 改名後・里見静子(さとみ しづこ)[2] | |||||
式部若子 | しきぶ わかこ | 1月13日[5] | 東京都 | ウエちゃん[12] | 1941年 | ||||
白雲嶺子 | しらくも みねこ | 10月18日[5] | 1936年 | ||||||
白鷺光子 | しらさぎ みつこ | 7月15日[5] | 1937年 | ||||||
銀鈴音 | しろがね すずね | 9月21日[5] | 大阪府大阪市 | コイチャン | 娘役 | 1943年 | |||
高原大和 | たかはら やまと | 1月3日[5] | 兵庫県神戸市 | しいちゃん[13] | 娘役 | 1941年 | |||
寶路郁子 | たからじ いくこ | 7月28日[5] | 兵庫県 | 1939年 | 改名後・寶路みのる(たからじ みのる)[2] | ||||
瀧津とせ子 | たきつ とせこ | 6月30日[5] | 兵庫県 | 娘役 | 1939年 | 改名前は瀧津はやせ(たきつ はやせ)[2] ・瀧津はやみ(たきつ はやみ)[2] | |||
竹野松子 | たけの まつこ | 3月9日[5] | 兵庫県神戸市 | 1938年 | |||||
竹宮嘉久子 | たけみや かくこ | 3月11日[5] | 東京都 | ミヤサク[3] ビヤーツク[6] |
1941年 | 改名後・竹美喜久子[8](たけみ きくこ)[2] | |||
玉葉輝子 | たまは てるこ | 7月10日[5] | 広島県 | シャクさん[11] ツーちゃん[13] |
1939年 | ||||
秩夫晴世 | ちちぶ はるよ | 10月2日[14][5] | 京都府京都市[15] | 大阪市桜宮尋常高等小学校[15] | 実兄が命名[16] | ウラちゃん[17] ウラ子 |
娘役 | 1946年 | |
千舟町子 | ちぶね まちこ | 1933年 | |||||||
都賀豊子 | つが とよこ | 4月1日[15][5] | 石川県金沢市[18] | 大阪府立泉尾高等女学校[15] | コシャン[19] コシちゃん |
男役 | 1941年 | ||
月野花子 | つきの はなこ | 5月11日[4] | 兵庫県神戸市中央区[15] | 西宮大社尋常高等小学校[4] | ヤギヒロ[15] コヤギ[4] ヒロちゃん[20] |
娘役 | 1940年 | ||
常夏君枝 | とこなつ きみえ | 11月26日[5] | 東京都 | 1938年 | 改名後・常夏多枝子[8](とこなつ たえこ)[2] | ||||
轟夕起子 | とどろき ゆきこ | 9月11日 | 東京都港区 | 京都府立第二高等女学校 | 山田耕筰が命名 | トルコ 鼠[7] |
娘役 | 1937年 | 女優 |
名草艶子 | なぐさ つやこ | 6月7日[5] | 和歌山県和歌山市 | チビちゃん[21] | 1940年 | 改名後・名草久美子(なぐさ くみこ)[2] | |||
浪路須磨子 | なみじ すまこ | 6月6日[5] | 兵庫県神戸市 | 1939年 | |||||
二條宮子 | にじょう みやこ | 8月11日[5] | 秋田県[22] | 大阪音楽学校 | セガワさん | 娘役 | 1942年 | 夫は金光嗣郎 | |
花池えみ子 | はないけ えみこ | 10月24日[5] | 大阪府大阪市 | 1938年 | |||||
花殿うたげ | はなどの うたげ | 6月3日[5] | 1939年 | ||||||
人丸俊子 | ひとまる としこ | 12月28日[5] | 兵庫県神戸市 | 1939年 | |||||
槇蓉子 | まき ようこ | 7月8日 | 1935年 | 姉は玉川清子、妹は霞千恵子[23] 姪は尚すみれ | |||||
松並和枝 | まつなみ かずえ | 12月20日[5] | 1935年 | ||||||
御影園子 | みかげ そのこ | 11月24日[5] | 1935年 | 娘は若原三千[23] | |||||
瑞垣久世 | みずがき ひさよ | 10月4日[5] | 1936年 | ||||||
水間扶美子 | みずま ふみこ | 4月6日 | 大阪府大阪市 | 1938年 | 退団後は歌手・服部富子[24] 実兄は服部良一[24] 甥は服部克久 姪孫は服部隆之 | ||||
壬生杏子 | みぶ きょうこ | 11月24日[5] | 1934年 | ||||||
宮居マサ子 | みやい まさこ | 8月6日[5] | 兵庫県西宮市 | ノラちゃん[3] | 男役 | 1943年 | 改名後・宮居昌子(みやい まさこ)[2] | ||
紫藤子 | むらさき ふじこ | 7月12日[5] | 山口県 | イマさん[6] | 1941年 | ||||
桃園ゆみか | ももぞの ゆみか | 3月19日[5] | 長崎県[20] | 諫早尋常高等小學校[6] | アサノ | 娘役 | 1945年 | 夫は歌手の伊藤久男[25] 娘は日月三禮[2] | |
屋島經子 | やしま つねこ | 10月5日[5] | 大阪府[15] | 三軒家尋常小学校[15] | 実兄が命名[15] | キタさん[15] キタコ |
1940年 | 改名後・江川鈴代(えがわ すずよ)[2] | |
八千代治子 | やちよ はるこ | 5月20日[5] | お爺ちゃん[7] | 娘役 | 1938年 | ||||
夕映あかね | ゆうばえ あかね[8] | 1月20日 | 東京都 | 娘役 | 1946年 |
1933年初舞台
編集芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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有川恒子 | ありかわ つねこ | 3月31日 | 京都府 | 下り目 | 1941年 | 姉は松野友子 娘は千草美景[23] | |||
高野みや子 | たかの みやこ | 9月20日 | 兵庫県宝塚市 | 娘役 | 1938年 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 90年史 2004, p. 180.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 100年史(人物) 2014, p. 19.
- ^ a b c 『エスエス』、東宝発行所、1939年1月号
- ^ a b c d e 『エスエス』、東宝発行所、1939年4月号
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年1月、154号
- ^ a b c d e 『エスエス』、東宝発行所、1938年2月号
- ^ a b c 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年3月、156号
- ^ a b c d e 90年史 2004, p. 239.
- ^ a b 『エスエス』、東宝発行所、1939年9月号
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1939年2月、227号、P92
- ^ a b c d e f 『エスエス』、東宝発行所、1938年3月号
- ^ 『エスエス』、東宝発行所、1939年8月号
- ^ a b 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年6月、159号
- ^ 『エスエス』、東宝発行所、1939年10月号
- ^ a b c d e f g h i j 『エスエス』、東宝発行所、1939年5月号
- ^ 『エスエス』、東宝発行所、1938年5月号、P118
- ^ 『エスエス』、東宝発行所、1939年4月号、P148
- ^ 『歌劇』、宝塚1935年3月、180号
- ^ 『宝塚少女歌劇脚本集』、宝塚少女歌劇団、1937年9月、201号
- ^ a b 『エスエス』、東宝発行所、1938年1月号
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年4月、157号
- ^ 『宝塚少女歌劇脚本集』、宝塚少女歌劇団、1937年8月、200号
- ^ a b c 80年史 1994, p. 196.
- ^ a b 橋本 1999, p. 175.
- ^ 橋本 1999, p. 201.
参考文献
編集- 企画・構成・執筆:橋本雅夫 著、編集統括:北川方英 編『夢を描いて華やかに―宝塚歌劇80年史―』宝塚歌劇団、1994年9月9日。ISBN 4-924333-11-5。
- 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6。 NCID BA66869802。全国書誌番号:20613764。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。
- 橋本雅夫『素晴らしい宝塚歌劇―夢とロマンの85年―』阪急電鉄コミュニケーション事業部、1999年9月10日。ISBN 4-89485-013-3。